仁王像のお話 |
今月は天部の「仁王」について記述いたします。「仁王像」は四天王像と違い雨風にさら |
原則、門の奥行は2間でありますのを「光明寺の二 |
![]() 二王門(光明寺) |
当初、釈迦を守護する「執金剛神」が単独で祀られました。執金剛神とは甲冑で武装し
左側(向かって右側・東側)には阿形像、右側(向かって左側・西側)には吽形像を安置
びくとも動かないぞと足を広げた「仁王立ち」で立ちはだかりますがこれは仏敵を威嚇 |
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仁王像は隆々たる筋肉体質で力強い風貌から健康そのもの |
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![]() 大 門(長保寺) |
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「鞏県(きょうけん)石窟」、「竜門石窟」共に風化か毀損されたのか分かりませんが鞏 |
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「芬皇寺(ふんこうじ)・韓国」は我が国でいえば飛鳥時代に四天王寺式伽藍で創建され |
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「仁王像」は現存最古でしかも天平時代唯一の遺構です。ただ、後世の補修に於いて
撮影は両像の下げた手を入れるべくカメラを持った手を高く挙げたまま勘に頼るも |
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「執金剛神(しゅこんごうしん)立像」は天平時代 |
い、睨み付け燃え上げる闘志の眼には「玉眼」の走りとも言うべき「黒燿石」が黒目として |
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![]() 吽形像(東大寺) |
三月堂の「仁王像」は「南大門の仁王像(後述)」と同じように「阿吽(あうん)」の配置が |
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南大門の「仁王像」はわが国最大の木彫像で、像高は8.4メートルですが阿吽の位 |
鎌倉時代の創像当初は正面の南向きだったのを風雨にさらされるのを避けて南側を |
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後者の方で考えますと正面から見れば巨大な両像が一目瞭然で拝め像に近づくにした |
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![]() 阿形像(興福寺) |
「金剛力士像」の眼は、「玉眼(ぎょくがん)」で睨む方向に目の玉を膨らませておりま
寄木造の特徴は肉厚を薄くして像の干割れ、反り、歪みを抑えることでしたが本像は |
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![]() 吽形像(薬師寺) |
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「薬師寺」は天平時代の建立ですが伽藍は藤原京の「本薬師寺」と同じ白鳳様式でありま |
画 中西 雅子 |