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                            1998年06月の旅行記です。

  ミャンマーを訪れるのは初めてであり、それも7日間の駆け足旅行だったので、思い
つくままの記録である。ミャンマーでは地域ごとに停電は数時間に及ぶが、ホテルには
自家発電設備を持っているので心配要らないとのこと。それと、どのホテルにも香料が
少し強い石鹸とミネラルウォータがありましたが、歯ブラシ、歯磨きは置いていなかった。うかつにもバガンのホテルで歯ブラシ、歯磨きを置き忘れ、買い求めたら両方で た
ったの80円だった。また ホテルでは日本の衛星放送が見えます。


   朝の町並み風景で目につくのは、中国では見られるような自転車のラッシュでなく、
歩行者の姿だ。男女で大小の差はあるが、写真のような丸型弁当箱を持って通勤してい
る。一方、町を走行する自動車の90%以上は看板そのままの日本の中古自動車ばかり
で、西武ライオンズバス、遠鉄バスなどで、その中でも長崎市営バスは行き先表示は空
白に変えられるはずなのに、「長崎駅前市役所」の行き先のまま走っている。ただ日本
の右側通行とは逆で、車道の中央からの乗降となるので、戸惑う。

  通貨は約220円が最高紙幣で、ミャンマー到着と同時に何故か300ドルも交換し
てくれた。その厚さたるや大変なもので、半分ずつ分けて持つことにした。ところが、
その半分をホテルに置き忘れたが、帰ってみるとそのまま無事残っていた。それ以後、
半分をバスに置いておくが、何の事故も起きなかった。軍事政権、アウンサン・スーチ
さんの監禁、大学は今も閉鎖したままなどから、ミャンマーのイメージは大変悪く、日
本の旅行者も少ないが、治安は日本と同様よく町を一人で散歩していても安心である。
現在の治安がいつまでも続くことを願っております。これらは私のたった数日間の経験
談で運がよかったのかも知れません。

 余談ですが、迎えのバスもホテル出発が8時30分なのに、7時10分には着いていた。真面目な国民だと思いました。

  気候は5月には首都ヤンゴンで46℃になり、クーラのきいた部屋でも33℃で仕事
にならなかったとのこと。しかも、そのとき、バガンの遺跡では53℃であったとの事。

  私が訪れた7月早々のヤンゴンは晴れていたかと思うと突然小雨が降り出す。しかし
日本では雨が降るとムッとするが涼しく、我が大阪より凌ぎやすいように思えたし、ヤ
ンゴンではシュエダゴンパゴダ見学中小雨に遭いましたが、土砂降りの雨は建物の中に
居るときだけだった。一度くらいは経験したかったのだが。

 国内線には4回乗ったが、離着陸は見事でハッピーランディングだったのには感心
した。

 ミャンマーは小乗仏教(上座部仏教)であり、信仰は土着の聖霊ナッ神に現世利益を
願う。来世の幸せを日本では大乗仏教の阿弥陀如来か観音にお願いするが、こちらでは
釈迦にお願いしている。

  パゴダ、寺院共釈迦、釈迦ばかりである。その印相は転法輪印(説法印)、触地印
(降魔印)でありますが、宝冠や衣服など着用の釈迦のオンパレード。その上、眼鏡を
着用している釈迦がおられるのと、中には光背がピカピカと光るイルミネーションで荘
厳されているのには驚く。このイルミネーションの荘厳は仏教だけでなく、キリスト教
でも同じです。それに釈迦ばかりでなく、どんな村にも、韓国にはキリスト教会がある
ように、ミャンマーにはパゴダ(仏塔)がある。
 

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あどけない少年僧達
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国民共通の弁当箱
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托鉢中の少年僧達

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行く所行く所パゴダあり

 

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