水のお話

 わが国では「水と平和」はタダと言われてきましたが、平和については“太平の眠りを
さます上喜撰(蒸気船)たった4はいで夜も眠れず”ではないですが、“テポドン”の一
発で、平和ボケの眠りから目を覚まされました。そこで今回は「平和」ではなく「水」に
ついてお話します。

 「色(色)のお話」に書きましたお遍路さんの持つ金剛杖は五輪塔で、その五輪とは下か
ら地・水・火・風・空で、宇宙を構成する五大要素で、水は万物の根源であるとされてお
ります。余談ですが、五輪塔の一番下にある方柱の地輪が、現在見られる角柱の墓石にな
ったのであります。また、板塔婆も五輪塔になっております。

 イザナミノミコトが穢れを清めた川で、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三神が誕生、すなわち、水から神様が生まれたと言う神話であります。
  稲作が始まると、大量の水を要しますので、雨乞いや水利権の問題が起きてきますが、
いまでは、稲作に関係なく水利権だけは生きております。 
 奈良の三輪山など山そのものがご神体となっているのは、貴重な水源が山で、森が天然
のダムだからでしょう。
   それと、奈良には、水の守護、水の分配を司る神を祭る“水分(みくまり)神社”があ
ちこちにあります。

 大化の改新の立役者中大兄皇子の母君皇極天皇も飛鳥で雨乞いの儀式を行っておられ、
祭政一致の天皇だったことが知られます。

 わが国は水は何処でもたやすく得られます。インドなどでは布教の旅行に出かける菩薩
さんは水筒持参であります。法隆寺の夢違観音像、百済観音像はインドの流れを汲んで左
手に持っておられる宝瓶には蓋がついて水筒になっております。ところが、わが国では至
る所で水が得られますので、天平時代になりますと、蓮の花が入った華瓶と変わってきて
おります。しかし、これは宝瓶の中に香水など色んな物が詰まっていて、蓮の花が蓋の役
目をしているとも言われておりますが。

 東大寺二月堂では3月2日から「お水取り」が行われますが、若狭国の遠敷川に流した
香水が10日経た後、二月堂の若狭井に届くという行事であります。遠敷川は東大寺の方
向とは逆に日本海に注いでいます。多分、朝鮮半島や唐の文化が若狭国を通じて奈良にき
たと言うことであろうと思われます。(隣の三月堂は建物も仏像も見事です。戒壇院で四
天王の最高傑作を拝観された後、裏参道を歩きますと天平時代にタイムスリップできるので、二・三月堂へのコースを推奨します)

 先日、台風の被害を受けた室生寺は、多雨で知られる大台ケ原に隣接し、雨が多く降り
ます。しかも上根(うわね)と言って、地表に根を張るため、倒木や地すべりが起きやす
い杉の林立だったため、十二単衣に例えられるくらい美しい五重塔が無残な姿になってし
まいました。寺内には多くの竜穴があり、雨水の霊地として崇められて、請雨の儀式が執
り行われてきました。

 さて現在は、化学物質などが含まれている不味い水道水は敬遠されて、ペットボトルの
水が購入されております。最近では炊飯用の水としていたのが、炊飯のための洗米にまで
使われ、大量の消費用に水の宅配まで行われています。私も昨年7月ミャンマーに旅行し
ました際、飲み水だけはペットボトルの水を使用いたしましたが、同行の方は歯磨きまで
総てペットボトルの水を使われていたのには驚くと共に私は貧乏人だなーと思いました。
いずれにしても、ガソリンは価格の半分が税金であるのに、それよりも高い水を使用せざ
るを得ないのは、日本料理の特殊性からくるものでしょうか。
素材の持ち味が分からなく
なるほど味付けをし、煮込む外国料理に比べて、日本料理は素材、鰹、昆布からだしを取り、醤油でさらりと味付けするため、どうしても水が良くなくてはならないのです。ご飯
や緑茶がおいしいだけでなく、冷やした烏龍茶、冷めたご飯が飲食できますのもわが国に
は良質の水があるからです。それと、日本料理はあまり油を使わないので、冷めても味が
落ちません。その結果として、我が国独特の「弁当文化」が生まれたのでしょう。

 ただ我が国では「軟水」であるため、ミネラル不足の者が多いともいわれております。
 「硬水地域」ですから、「発酵」の紅茶、ウーロン茶が誕生、油を多く使う料理が発達
したともいえます。
また、炊飯もピラフのような味付けご飯になっていったのでしょう。

  わが国の川は、大陸の人から見ると流れが速く、滝のようだと言われますが、それだけ
に大陸の濁水の川に比べて清流の川で、川の成分も、土中のミネラル分が溶ける時間が短
いため、軟水となっております。しかも大陸の川は一度決壊すると、長期間水は引かず、
ニュースなどで連日報道されるわけです。その点、わが国の洪水騒ぎは短期間で解消され
ます。