火のお話

 前回「木のお話」での“桧”は、脂分があり,昔、“火”を起こす場合、棒を桧板に
押しつけながらもんで、木の粉をつくり、その木の粉に“火”を起こすのに適しており
ましたので、〈火の木〉(=桧)の名が付けられました。そこで今回は「火のお話」に
ついて書きます。


 “火”を屋内に持ち込んだのは、我々の祖先であるが、私の子供時代は家族全員が一
つの火鉢を囲み,暖を取りましたので直接火に当たる部分はよいが、背中などは木造家
屋の隙間風が当たり、寒かったのを思い出します。しかし現代は室内暖房で、その頃、
冬にビールを飲むなんて想像もできませんでした。結果、現代人は寒がりで猫並となっ
たように思われます。 

 “火”を使う食物調理で、ご飯が美味しいのは、日本独特の先人の知恵が入った炊飯
方法があればこそであります。昔、生米、固い干飯を食べたのか、それを食べると耳の
上の部分が動くので、コメカミが動くと言ったものでした。

 早朝、土間に設けられたカマドで、腰をかがめてご飯を炊くのは、大変な家事労働で
した。それが昭和三十年頃に、家庭電化の尖兵として登場した電気炊飯器が、俗に「自
動式電気釜」と呼ばれて、ごく短い間に日本中の家庭に普及していったのであります。
お陰で、主婦は家事労働の一つから解放されたのであります。昔は、子沢山(こだくさん)のうえ、家族の中で、一番早く起き、一番遅い就寝の主婦にとって、睡眠は最高の
贈り物であったことでしょう。

 それと、庶民の魚サンマを焼くと、もうもうたる煙が出て、その煙を外へ排出すると
隣り近所から匂い公害で苦情がきたりするし、また最近家屋の気密性もよくなったため、煙が部屋に籠もり続けるので焼魚は致しませんと言う家庭が多くなりました。もし焼く
としても、上火だけの器具で焼くため、油が落ちても燃えることなく、煙の出ない蒸し
焼きになるから、おいしくないのであります。やはり、サンマは炭火の上でジュウジュ
ウと焼くこと、焼くというよりも出た煙で燻製もどきとなるので、サンマ特有の風味が
出て、おいしいのでありまして、これが落語でおなじみの鷹狩にでかけた松平出羽守の「目黒のサンマ」であります。(目黒区の地域振興券のシンボルとなりました。)
  ところが最近、“炭火焼き”がブームになりつつあります。私の子供時代には炭火の
七輪をよく使ったものですが、若い方にとっては珍しいでしょうね。炭火焼店で“当店
では備長炭を使用しております”の案内から、備長炭を使用するくらいの店ならばきっ
とネタも新鮮で、味も期待出るでしょう。それとなんと言っても、“炭火焼き”の良い
点は、も、ネタを自分自身の目で確かめられることと、その上、焼き具合も焼くペースも、自分好みに出来ることであります。

 “火”は心身などの穢れを取り浄化する効果があり、火を炊いたり、左義長(ドン
ド),火渡りの儀礼、火葬だったりします。
 その火葬は、仏教では荼毘とも言います。奈良時代、天皇・貴族の火葬の葬法も多か
ったのも事実であります。ただ、古代墓から人骨が出るが,これは土葬だからで、火葬
では無理な話であります。墓とは、土に肉体が隠れるのであるから、土葬のことであり
ましょう。〔余談ですが,莫とは隠れるという意味で、日(太陽)が隠れるから,暮と
なります。〕

 それから、ヒンズー教徒は、火葬でないと、死者は極楽に行けないと信じております。逆に、イスラム教徒は、死体を土葬にしないと、天国に行けないと
信じております。

 次に、証明の“火”についてでありますが、仏教伝来と共に輸入された古代
の照明で
あった蝋燭は、蜜蜂の巣を加熱圧搾によって採集された蜜蝋で作られました。

 話は変わりまして、その蜜蝋でありますが、“金銅像”は蝋型方法で制作されます。
その方法とは、中心に鉄心を立て、これに土を盛り上げて像内の空洞となる部分(中
型)を作り,その上に蜜蝋を一定の厚さに塗り、細部を整形して原型を仕上げます。
さらにその上に、土を被せます(外型)。それから、外型がずれないように金具で固定
した後、型に熱を加え、何ヶ所か穴を開けたところから蜜蝋を溶かし流し出します。そ
して、出来た隙間に溶けた銅を流し込みます。最後の鍍金まで工程は、話が長くなるの
で割愛しますが,ガイドの時には説明しております。
 その当時、蜜蜂の飼育は、蜜を取るよりも蜜蝋を得ることの方が重要でなかったかと
思われます。