ガイド活動を振り返ってみて
                                              
平成18年6月1日
 昨日、京都の方のガイドを最後に、12年と6か月のガイド活動を終えることが出来
ました。ガイド活動をお支えくださった方々並びにガイドにご一緒いただきました
方々に厚くお礼申し上げます。

 ガイド活動は大袈裟にいえば緊張を強いられるものでした。風邪でも引いて体調を
崩さないかと思い心配でした。事実2回だけガイド当日の朝、身体の調子が最悪でこ
の時だけはガイドさえやっていなければ休養が取れるのにと後悔することもありまし
たが何とか乗り越えて参りました。たった一人でガイドをしているため交代要員がい
ないのと前泊までしてガイドの申し込みをしていただいている方の気持を察すると当
日のキャンセルは絶対に出来ないからです。
 それから、車がパンクしていないか、エンジンはちゃんと掛かるのか、高速が事故
渋滞になっていないのかとの心配が付きまとっておりました。さらには、大阪から法
隆寺へ高速西名阪道を使うわけですが松原JCT、柏原ICの渋滞は常態でその渋滞を抜
けるのに2、30分も掛かり法隆寺までいらいらしながらの運転でした。つい最近にな
ってETCの普及で渋滞も解消されましたらガイドは終了となりました。なぜ、車で法
隆寺へ向かうのかと言いますと法隆寺への交通機関ははなはだ不便で法隆寺駅から法
隆寺までのバスの便にいたっては9時以降しかないからです。それと、ガイド参加者
の方と法隆寺駅からご一緒できますのとガイド用の重いバッグを持っているからです。
そのバッグには当日、説明に使う書類とお渡しするファイルが入っております。たま
にあることですが、先日も2名申し込みでしたが法隆寺駅でお会いすると4名になっ
ておられました。予備のファイルを持っておりましたので4名の方全員にお渡しする
ことが出来、喜んでいただきました。

 振り返ってみれば、法隆寺を少し勉強してみようというきっかけは、今から15年以
上前に私が勤務しておりました会社の工場を法隆寺の近くの工業団地に建設したこと
でした。そこで、法隆寺のガイドブックを買い求めたのでありますが当初はこんなに
深みに嵌るとは想像だにしませんでした。法隆寺はやってみると奥が深く魅力尽きな
い寺院と分かり好きだったゴルフともおさらばして50の手習いを始めたのであります。
法隆寺を少し理解するとこれは凄いお寺だと分かり始め少しずつ知識が増えるにした
がって、国宝指定の建築、彫刻が存在しない近畿以遠の方に是非教えてあげたいとい
う衝動が湧き上がりボランティアガイドを志したのであります。しかし、ボランティ
アガイドはまだ世間では認知されておらず当時、奈良には外国語のボランティアガイ
ドがありましたが日本語のボランティアガイドは存在いたしませんでした。そこで、
社会福祉協議会に話を持ち込みましたら大変歓迎してくれました。ボランティアガイ
ドの要請が来るのだが奈良にはないため対応できず困っていたところだったからです。
では早速やりましょうといったところでガイドは私一人と分かって協議会の規定でガ
イドの方には保険をかけるのでグループ単位でないと受け付けることは出来ないとつ
れない返事でした。私は一人から増やしていけばよいのではと提案いたしましたが駄
目でした。つぎに、観光課に声を掛けましたがどうぞガイド協会と話し合っておやり
くださいとのことでした。当時のガイド協会はプロの方ばかりでガイドを生業として
おられるのにボランティアガイドの話など持っていけば話に乗ってもらえるどころか
袋叩きに遭うのが落ちと思い話し合いには行きませんでした。
 それからガイドを実施すべく、多くの方にボランティアガイドの件で声を掛けまし
たが今さら勉強するのは御免だと断り続けられました。中にはボランティアガイドの
趣旨に賛同されて受付などの業務は喜んでやりますといわれる方もありました。これ
より4年後、あの悲惨な阪神大震災が起きてからボランティア、ボランティアといわ
れボランティアが世間に認知されましたことから考えると少し時期が早過ぎたのでし
ょう。
 何の解決策も見つからぬままおりますと法隆寺が世界文化遺産に登録されるという
ニュースが飛び込んできたのであります。私はこの機会を逃すと一生駄目になると考
え法隆寺の世界文化遺産登録と同時に一人でボランティアガイドを実施することにい
たしました。

 後述の志むら食堂(志村さん)の前にガイド案内の掲示板を出させていただくと同時
にエルダーホステス協会の会報、旅行雑誌の読者欄などにガイド案内を掲載して貰っ
てのスタートでした。当時のガイドの所要時間は4時間程度でありましたのとまだ企
業人でありましたからガイドは休日しか出来ませんでした。また、休日に奈良を訪れ
る方の殆どが数多くの寺院を回りたいとの希望をお持ちで、法隆寺のガイドは2時間
くらいでということで交渉は成立せず、大阪から出向くも空振りで帰宅する日も多々
ありました。そうこうするうちに子供からホームページを作りガイド案内を載せては
との提案を受けたのであります。だが当時は今と違ってスキャナーすら珍しく国内大
手二社の大阪のショールームを訪ねても、一社ではスキャナーすら置いてなく、また
もう一社ではスキャナーはありましたが接続されていないという現状でありました。
年配の私に取りましてホームページの作成は難行苦行の始まりでした。それと大きく
目標が違いましたのはホームページの中身であります。Indexにカウンターを付けて
見ますとガイド申し込みが無いのに少しずつ数値が上がり始めたのでそれではと最初、
思い付くままの文章(目次の下部の水色欄)から奈良名刹寺院の紹介、仏教文化財の話
を掲載していきましたところ何時の間にやらガイドが主であったのがホームページの
更新が主になってしまいました。

 ホームページでガイド案内をした時自宅の住所、電話番号を掲載しましたことに関
して多くの方に忠告を受けました。私も電話番号まで載せることには懸念もありまし
たが電話番号とFAX番号が同じためどうにもなりませんでした。と申しますのも当時
はホームページを見ることは出来てもメールが出来ない方が居られたからです。それ
というのも、メールの接続は色んな操作をせねばならず行き詰ってサポートセンター
に問い合わせるもセンターは東京にしかないうえ常に話中で繋がることがなかったか
らです。現在のいとも容易く接続できます状況とは隔世の感があります。夜遅く電話
が鳴り受話器を取るとFAX受信中との音声が聞こえました。多分、個人ガイドとは思
われず団体と思い深夜に発信されていたのでしょう。最近でもパソコンを使っていな
い方が人伝にガイドのことを聞かれFAXで申し込みがありました。しかし、懸念した
ようなことが起こらなかったのはいたずら電話をするような者は仏教美術のホームペ
ージなど興味がなかったからでしょう。
 当初はホームページの中身も貧弱で、しかも奈良ではなく大阪から出向くガイドの
ため本当にガイドが出来るのかどうか心配される方もありました。それと、年配の方
は実際に会うことができるのか心配されて参加者の身長、特徴を書いてこられる方が
結構ありましたので、私の携帯電話番号をお教えすれば会えるかどうかの懸念が払拭
できるのではと考え実行いたしましたらこの問題は解決いたしました。これらは一人
でガイドをしていたからであり団体のガイドであれば起こらなかった問題でありまし
ょう。
 ガイド活動では色々とエピソードもありましたがプライバシーの問題もありますの
で触れないでおきます。

 それから、ガイドを続けていて気付きましたことは、関東の方が奈良を訪れるのは
修学旅行以来という方が8,9割ですが北海道、東北、北陸、四国、九州の方は修学
旅行以来どころか生まれて初めてという方が殆どでした。昨年末には鹿児島からお子
さん夫婦が両親をご招待されてのガイド申し込みがありました。片方の両親とご一緒
というのはありましたが双方の両親が来られるのは初めての経験でした。総勢6人で
来られ、奈良へは何時来られましたかとお尋ねいたしますと6人全員が初めてとの答
えでした。それと残念なことは、関東の方で奈良を訪れるのは修学旅行以来だがその
間京都には何回か訪ねておられるということでした。
 そこで、私は奈良から遥遠の方の殆どは、古都奈良と言う「世界遺産の中の世界遺
産」を知らずに一生を終えられるではないかと思い、旅館の番頭よろしく奈良への勧
誘の客引きに回ることを思いたったのであります。そこで、ホームページにガイドを
終え「古都奈良の魅力の語り部」として全国行脚する計画を発表してのであります。こ
のことに関してはどのような内容にすれば私を呼んでいただけるかを色々と考えて9
月に発表する所存です 。
 
 ガイド活動で喜んでいただいた方ばかりでなく気分を悪くされた方もあったことか
と思います。失礼なことを申し上げた方には謹んでお詫び申し上げます。

 最後に、志むら食堂の志村さんには大変お世話になり感謝いたしております。店前
に堂々とガイドの案内板を出させていただいたうえ、法隆寺の駐車場がなくなり、個
人経営の駐車場はなるべく2,3時間で帰ってきてほしいと遠回しに断られる、さら
には町営の駐車場は8時10分頃にならないと開かないので困っておりました所、志村
さんが借りておられる駐車場を提供してくださいました。キャンセルもなしにガイド
活動が出来ましたのも志村さんのお陰であります。
 志村さん本当に有難うございました。


       志村さん   


            志むら食堂    志むら漬物店

 法隆寺参道を歩いておりますと志村さんが大声を張り上げておられるのですぐに分
かります。ここが私のガイド発祥の地というべき記念の場所です。志村さんは食堂と
隣の店では奈良漬を販売しておられます。

 それから、ホームページの更新ですが、先月が最後のガイド月となりましたためガ
イドに追われましたうえ、雨の日が多く、しかも記録の8時間を超えてのガイドの日
もあり疲れてしまい更新できませんでした。来月からは1日更新を続けて参りますの
で是非ご覧ください。余計なことですが挿絵を書いております中西雅子は私の家内で
す。
                              中西 忠