ある風車被害者の独白18

山桜

                   2016年4月29日

 3月24日、汐見先生のご葬儀の日、今年初めて満開の山桜を見ました。山の雑木の中で、白く気高く咲く山桜。遠目でも山桜であることがはっきりわかりました。桜の季節にはやや早い時期でしたが、まるで汐見先生の孤高のお姿のように思われました。

 「しき嶋のやまとごゝろを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花」(本居宣長)

写真は「ピクト缶」より頂戴いたしました。) 
                                       
 先生をお見送りしてのち、私は甲状腺がんの定期健診に東京に出かけ、その後、岩手に向かいました。約ひと月、由良町を離れ、やっと以前の自分を取り戻しましたが、自宅に帰った4月23日夜、雨になり、21時頃、たまらなくなりました。立って居られないほど、音圧波が頭をたたき、耳が圧迫されて、飛行機が上り下りする時の様な感じに襲われました。雨の中、車で外に出ていくしかなく、涙がこぼれました。
 この地区の人は辛抱が良いのでしょう。被害のことは陰でしか言いません。でも、この頃、出会う人の多くが「風車、こんなに悪いと思わなんだなあ」「畑で、1時間しか居られん」と。言っています。

 「真光院文与寄心居士」、汐見先生の天国のお名前です。長い間、ご苦労さまでした。ありがとうございました。訃報を受けたとき、心にぽっかりと大きな穴が開いたようで、激しい喪失感に襲われていましたが、漸く心が落ち着いてきました。
 汐見先生はきっと天国から見て下さっている事と思いますが、どうか、私たち被害者を見守っていてくださいね。いつか、あの世で汐見先生に再会するときには「よく頑張ったね」と言ってもらえるよう、自分の被害を声に出して、訴え続けていきます。