稲作民俗の源流 Folk customs of rice growing

神饌「百 味」  

例祭の古式神饌についてThe classical offerings of anual ceremonies

 〜京都・奈良・滋賀を中心に   A Case Kyoto、Nara、and、Siga
 
         

                                           
1.はじめに
2.古式神饌の種類
   朝御膳・夕御膳
   伊勢神宮    御棚神饌
   佐牙神社の百味    上賀茂神社    春日大社
   稲作以前の神饌
   水戸神社の「栗椎」
   北白川天神宮の「高盛御供」

  神饌「百 味」

 延喜式内佐牙神社の神饌「百味」 場所: 京都府京田辺市三山木                                                                

京都の京田辺市にある「延喜式内佐牙神社」の御旅所では,秋祭り前に稚児が氏子宅へ行き

百種類にものぼる農産物を集めてまわる。

百味は、昔から耕作し食料としたきたもので、五穀の豊穣を感謝するためのものであった。

これらの内、五穀豊穣を祈る、粳米・小麦・大麦・粟・豆・黍・稗の七種類は,

神役が用意せねばならない。


      佐牙神社の「百味」

御旅所に供える百味のうち小麦・大麦・粟・稗は、昔ながらの穂づみの抜穂で、

一番良く実った穂のみを抜き取り、束にして例祭当日に御旅所の神前に供えている。

この方法は、弥生時代に石包丁で良く実った穂のみをつみ、それを神前に供えて

宮座の人達の種子として品種改良を繰り返した方法と同じである。

百味は,本来仏教的な供物であったが、平安末期の神仏習合によって神饌の中に取り入れられた。

そしてその後の、明治の神仏分離後も、百味は残存し、神饌として現在もお供えされている。

この写真は、『再現・日本史 ー原始・奈良Cー』
                          講談社に掲載されました。

  湯立て神楽の楽器(後方は百味)

本社から神輿が到着した夜に、お旅所前で古代の楽器に合わせて「湯立て神楽」が行われる。


  特殊神饌(粟・稗・麦・里芋・大根・・・)

特殊神饌

特殊神饌は、大きな瑞気の瑞饋の里芋や長芋、それに牛蒡の上に大きな丸大根を寝かせて載せ、
その丸大根の上に大きな松茸を二本立て、これらを稲藁で編んだ縄で縛ったものを三宝に乗せ
左右一対を供える。

お問合せ)  京都民俗学談話会会誌
 「京都民俗」
花園大学文学部史学科 研究室
神さんの話 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Gemini/1043/cg1.html


神像の美 日本の美/吉村貞司

 神像は神仏混合の思想が生んだ形式です。これは常識ですが、では何故神仏混合したのか?
せざるを得なかったのか、その発生の動機を誰もはっきり示してくれる人はありません。
 おそらく、あまりに多くの理由や原因がありすぎるためでしょう。学者さえ触れたがらないのです。
しかし、仏像とは違う異質の美しさを持つ神像はその名に背かぬ不思議な魅力をたたえて、
今我々の前にある。文献は何処かの国の何とかという人が、お告げを受けて神の姿を仏に似
せて作った、と伝えます。或いは、神の心を和らげるために菩薩の位を与えたともいいます。
 当時の仏教が、外側の形式を真似ることに忙しく、一般日本人の精神生活に影響を及ぼすに
至らなかった、その間隙をぬって民族の中に生きつづけて、殆ど思想とはいいがたい本能的な
力が、ある日突如として爆発した。神像とはそういう噴火山の一つと見てはいいではないでしょうか。
それは一木というのが原則でした。ある時ある集落で神木が落雷で倒れた、これは一大事!、
何かの災いが起こるかもしれぬ、素朴な村人達が知恵を絞って考えたのは最早、用をなさない
木材に神の姿を刻み付けて子孫に残すとともに、祖先の怒りを和らげようとした。が、それまで
石とか木とか山しか拝むことを知らなかった人々に神のイメージとは浮かんではこない。彫刻の
技術もない、仕方なしに仏師に頼むことにしたが、仏師のほうでも困ってしまった。それでも村の
人々から祖先の伝説や逸話を聞いているうちに、彼等の中では一つのイメージが出来あがった。
 ある時はその像(すがた)が聖徳太子に象徴され、ある時は地蔵菩薩に酷似し、また、ある時は
美しい女体を形どったのも偶然とはいえますまい。
 彩色が落ち、美しい木目の現れた神像の肌を眺めていると、昔の人々の自然の樹木へ対する
信仰の深さを思わずにいられません。

 日本に木彫や木工が発達したのも、それが信仰と結びついていたからでしょうが、茫漠とした
表情で両手を前で掻き合わせ、やや棒立ちの神像にはそのまま立ち木の面影がありますし、
うずくまった坐像には木の根のたくましさを思わせるものがある。


上記内容の詳細は、下記の本で御覧になれます。

 2001年2月下旬に、「稲作民俗の源流―日本・インドネシアー」として出版。
題名『稲作民俗の源流―日本・インドネシアー』
         上記本の写真と内容 詳細は左をクリック!
   ※お問い合わせは、ここへメールをお送り下さい。

お読みになった方からメールをいただきました。

 「稲作民俗の源流―日本・インドネシアー」を読んでお礼のメールをいただきました。 2005年8月5日 21:36
ディスカバリーチャンネルなどででリポートされている方から
 とても中身が濃く、何度もまだまだ読み込める可能性を秘めた素晴らしい御本です! 
 御本の中にもありました「先祖と一体になる」という言葉!素晴らしい表現ですね。
 これは「感謝」の枠を超えた人生観であり、宇宙観であり、哲学だと感じました。


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