金 札   


桓武天皇は、平安京を建設した後に、伏見にも大宮造りを命じます。 臣下(ワキ)が伏見へ下向する途上に、行列の先を行く神官の姿をした不思議な老人(前シテ)を見つけ、尋問します。
 老人は、伊勢からこの大宮造りを寿ぐために来たと云って、造営の目出度さを述べます。 その上、天から金札が降ってきたと云って、臣下に金札を読み上げさせます。 その金札には、伏見の宮造りについて書かれていました。 老人は、伏見の謂われを語り、自分は伊勢神宮より遣わされた天津太玉の神と名乗り、自分を祀る宮を造営するように勧めて、金札を持って消え失せました。
 老人の薦めに従って金札を祀る宮を造営しますと、社殿より天津太玉の神(後シテ)が、弓矢を持った姿を顕し、その弓矢で悪魔を射払い、金台両部の威力で天下を鎮める有様を見せます。 天下が治まれば、弓は弦を外し、剣は箱に収めて、君は民を守り、神も社殿に収まり、揺るぎのない御代となりました。
 脇能としては、形式が簡略化されてあり、観世流などでは、祝言の半能の形で伝えられていますが、金春流や喜多流では、前後の形態が伝えられています。


解説目次へ    展示室TOPへ    平成13年1月1日更新