人間魚雷・呉へ回帰

呉市の博物館に寄贈される特攻兵器「回天10型」
(ゆどうふ嵯峨野)
京都・嵐山の料理店で薬20年にわたり展示されてきた太平洋戦争末期の
人間魚雷と呼ばれた特攻兵器「回天10型」が、
製造地の広島県呉市にオープンする「呉市海事博物館(仮称)」に寄贈される
回天10型は終戦直前に6基造られただけで、現存するのはこの1基のみ
料理店は「戦争の悲惨さを示す展示物として有効に使ってほしい」としている

料理店は右京区嵯峨天竜寺の湯豆腐店「嵯峨野」。
先代社長の中村さん(故人)が、「残酷な兵器から、平和の尊さを考えてもらおう」と
約20年前に入手し、店の庭に展示していた
「回天」は前部に爆薬を積み、操縦する乗員が敵艦に体当たり攻撃する兵器で、
「人間魚雷」と呼ばれた。呉市の海軍工場で開発され、
最も多い「1型」など4種類約600基が製造された。
「10型」(全長8.6メートル、胴体直径53cm、重さ2トン)は、
小型で操縦性に優れたが、実戦で使われる前に終戦を迎えた

戦後、回天の大半は処分された。しかし、寄贈される回天10型は、
米国の技術調査団がハワイに持ち帰り、その後も現地の中古自動車販売店で
展示されていた。ほぼ原型で保存され、史料価値が高いという

呉市は、平和や造船技術の進歩を紹介する「市海事博物館」を
3年後に開館させる計画で、回天10型の譲渡を同料理店に申し込んだ
博物館では、戦艦大和の模型などと並び展示するという

回天10型は27日早朝に搬出し、トラックで呉市まで運ぶ。
「嵯峨野」の山崎店長は「せっかく今まで残されてきたのだから、博物館では
1人でも多くの人に見てもらい、戦争の悲惨さや平和を考えてもらうきっかけになれば」
と、話している

も、ずっとこの魚雷の側で、仕事をして来たので
何か、複雑な気になります!


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