宗教法人 近畿福音ルーテル教会

 橿原ルーテル教会
 

 マタイによる福音書 28章 1~10節
 コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章12~28節
 

 「春を迎えた世界」

 おはようございます。今日は、イースター(復活祭)です。皆さまとこうして、イエスさまの復活を喜び・集まり、礼拝している事を嬉しく思っています。私たちのために、十字架で罪を背負い、死んでくださったイエスさまは、今度は、死を打ち破り、死なないお身体になって蘇ってこられました。
 私たちにとってのイエスさまの復活は、私たちの罪が完全に許されたこと、そして、〔私たちも同じように、一度は死ななければなりませんが、死んだあと、イエスさまと同じような体を頂き蘇る時が来る〕ということを教えているのです。もちろん〔復活する〕という事実を信じることは難しいかも知れません。でも、私はそれはそれでもいいと思います。そういった疑問に思うこともまた、イエスさまを真剣にとらえようとしている信仰の証しでもあるからです。

 ところで、イースターの日は毎年違いますが、春にあります。イースターは、春分の日(3月21日:今年の春分の日は瀬戸幸治先生の牧師按手式があった日)の後の満月(4月6日)の次の日曜日です(ちなみに、みなさま良くご存じのモアイ像があるイースター島は1722年のイースターの日に発見されたからそう名付けられたそうです)。
 イースターは旧約聖書の祭りと密接に関係しておりまして、イエスさまは旧約聖書にある春の祭りの時に復活されました。正確に言いますと、初穂の祭りの時に復活されました。旧約聖書によれば、エジプトを出た時が春の時期でした。そして、春を新しい年の初めとするように神は命じ、そして、出エジプトの出来事を忘れないようにと、祭りをするように命じられました。それが、贖いの祭りである、過ぎ越し祭り、そして、大麦の祭りである、除酵祭、初穂の祭りでした。
 偶然かどうか分かりませんが、日本も春というのは新しい時の始まりの日でもあります。
 春は日本の子どもたちにとっては、新しい学年になる時であり、また、新しく入学する時です。新しい学校(園)、また、新しい先生やクラスメートと関わりが始まるということで、ワクワクする思いや不安な思いが入り混じるそういった時期でもあります。
 また、春というのは、生き物の息吹を感じさせる時期でもあります。この時期に、イエスさまの復活の出来事があったというのは、生物の命と季節をつかさどる神さまのお計らいなのではないかと思います。

 さて、イエスさまの復活の出来事ですが、これは、4つの福音書、それぞれに記されている出来事です。ただ、4つの福音書の内容が微妙に違っているんですね。人間が〔魂になって天国に行く〕なら信じやすいのに聖書は〔死なない身体で蘇る〕と教えています。このこと自体受け入れ難い人がいるのですが、イエスさまの復活を記した記事そのものも微妙に違っているのです。となると、また、確信が揺らぐものです。

 しかし、私は思うのですが、4つの福音書が4つとも全く同じ内容のことを書いていたとすれば、むしろ、「こういうことにしましょう」的な意見の調整を感じ、復活の出来事の信ぴょう性を低くしてしまうのではないかと思います。
 そう考えると、①イエスさまの墓が空であったという事実。②イエスさまが弟子たちの前に現れたという事実がまず真実として起こっていて、それを伝えようと一生懸命であったから、枝葉の部分は少し伝承の段階で曖昧になってしまったと考えるのが良いのかなと思います。弟子たちがただ、イエスさまが復活したという喜びを伝えようと必死だったということです。まさか、新約聖書が記されることになるとは思ってもみなかったでしょう。

 そこで、今日、まず、わたしが皆さまに宣言したいのは、「イエス・キリストは本当に復活されて、今も生きておられる」ということです。さらに言いますと、今、この空間をイエスさまは支配(現臨:リアルプレゼンス)されていて、また、聖餐式の時には、「これは〔わたしの身体〕〔わたしの血〕」とおっしゃった言葉を私たちがどう受け止めようとするのかを見ておられます。

 さて、マタイが書いた福音書からイエスさまの復活の出来事を見ていきたいと思います。今日の聖書箇所では、朝早く、マグダラのマリアと、もう一人のマリアが墓に行ったと書かれています。彼女たちは、イエスさまの復活を確認しに行ったのではありません。死者のために香油を塗るために墓に行ったのでした。実は、イエスさまは安息日の前日の午後に十字架で息を引き取られましたので、数時間後には〔何もできなくなる〕安息日が始まります。アリマタヤのヨセフは何とかイエスさまを墓に葬ろうと頑張ります。というのも処刑された人は当時、墓に葬られることなく捨てられるからです。安息日になると何もできなくなるので、急いでイエスさまを墓に葬りました。ですので、死者のために香油を塗る暇がなかったのです。婦人たちはイエスさまのご遺体に香油を塗ろうと墓に向かったと思われます。
 さて、彼女たちが墓に行ったときに、不思議な出来事が起こりました。地震が起こり、天使たちが現れ、墓の石を転がしたのです。そして、「この出来事を恐れず、遺体の置いてあった場所を確認してみなさい。あなたが捜そうとしているイエスはもうここにはいない」そのことを告げたのでした。私は、以前、墓の石を転がしたのはイエスさまなのかなって思っていました。イエスさまは、扉に鍵がかけてある部屋にも入ることが出来たのに、なぜ、石を除けられたのかと疑問に思ったことがありますが、マタイによる福音書を見ますと、実際は、天使が石を除けたことがわかります。恐らく、婦人たちのためだと思います。
 婦人たちは中を見て、イエスさまがいなくなっているのを確認します。そして、天使の命令通り、急いでこのことを他の弟子たちに伝えにいったのでした。他の福音書を見ますと、ペトロとヨハネがいち早く、イエスさまの墓を確認しに来たと書かれています。
 こうして、弟子たちの間でだんだんイエスさまの復活が確信へと変わっていったのでした。

 イエスさまが復活なされたのは、一つはイエスさまが神さまであったという証明です。もし、イエスさまが復活なさらないのであれば、イエスさまは良い教えをしただけの方で終わりますし、何より、ご自身が言っていたことがすべて嘘になり、本当の意味で、十字架に相応しい人になってしまいます。また、イエスさまが復活は、私たちの罪がすべて赦されたということを保証するものです。そして、イエスさまの復活は私たちはこのままの姿で神さまの身もとに行くのではなくて、放蕩息子の話のように、綺麗な服を着て迎え入れてくださるということが分かったということでもあります。

 初めに春はスタートの時期であり、また、命の息吹を感じ始める時期であるとお話ししました。日本人であれば誰もが持っている感性なのかなと思います。加えて、クリスチャンである私たちは、春ごとに、信仰を新たにする、そのような時期であると思います。それは、イエスさまの復活を信仰を通して改めて受け止め、神さまと私たちの関係が回復したことを実感する日でもあるのです。そうして春ごとに信仰を新たにするのです。

 イエスさまが復活された時、み使い、そして、被造物の全てが「ハレルヤ(神をほめたたえます)」という声を上げたのです。この世界は、新しい世界に移ったのです。人と神様との関係は完全に回復しました。〔信じている人〕、〔そうでない人〕、関係ありません。もし、イエス・キリストを信じる人だけが、その恩恵を被るのであれば、神さまは、神殿の垂れ幕を真っ二つに引き裂くという象徴的なことはなさらなかったでしょう。イエスさまが十字架で息を引き取られた時、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたのですが、これは、神と人との隔たりが完全になくなったということの象徴的出来事なのです。
 ただ、信じることがなければ、実際に罪の赦しを自分のものとして受け取るということはできません。だから、私たちは、イエスさまの復活の出来事を全ての人に伝え、全ての人がそのことに耳を傾けるように頑張るのです。

 皆さまはイエス・キリストを信じ、洗礼をお受けになったかと思います。洗礼をお受けになったとき、皆さまは見た目には何の変化も感じられなかったかと思います。しかし、実際は、古い人は死んだのです。神さまの前に新しい皆さまが誕生したのです。その証拠に皆さまは神さまのことを〔天の父〕と呼ぶようになっています。「神さま」と言う以上に「天の父よ」と呼ぶ信仰こと、新しく生まれた証拠だと言えます。霊によって生まれたので、私たちは、神さまを「父」と呼ぶ信仰を持っているのです。

「父」と呼ぶ私たちは永遠の命に生きているのです。

 春は、新しく学校生活が始まる時期です。みなさまも、昔、そのことを何度も体験してこられたかと思います。
 春ごとに新しい学年が始まるように、私たちは、イースターのお祝いをするごとに、生き方を新たにする思いを持つ必要があると思います。
 イエスさまの十字架の意味と、復活の恵みを改めて心に刻み、これまでの古い生き方を顧み、新しい生き方をするようにと勧める聖書の言葉をまっすぐに受け止め、フレッシュな思いで信仰生活を始める時にして頂ければと思います。私たちが神さまとまみえるとき、罪は全て許されていますので、とがめられることはないかと思います。しかし、神の子としてどのように人を愛したのか、神を愛したのかを神さまは見られるかと思います。

 また、今は、聖霊なる神さまが、生き生きと働いてくださっている時期でもあります。使徒言行録を見ますと、聖霊なる神さまの働きが見えてきます。是非、聖霊なる神さまを意識して、聖霊なる神さまが、自分の人生の中で生き生きと活動してくださるように、祈り求めつつ歩んでいただければと思います。聖霊なる神さまの働きに参与できると、イエスさまの復活も現実的に信じれるようになると思います。

イエスさまは、復活されました。そして、今も生きておられます。