宗教法人 近畿福音ルーテル教会

 橿原ルーテル教会
 



ルカによる福音書 6章 27〜36節
 「善をもって悪に勝つ」


善をもって悪に勝つ

●北風と太陽
 おはようございます。北風と太陽という話ありますよね。ある時、北風と太陽がどっちが強いか言い争います。そこで、“どちらが旅人の上着を脱がせることができるか勝負する”んです。北風はビュービュー風を吹かせて、上着を吹き飛ばそうとするのですが、かえって旅人は服をしっかりと抑えてしまい失敗します。そこで、今度は太陽が出てきて、ぽかぽかと旅人の周りを暖かくしていくんです。すると、暑くなってきた旅人は、上着を脱いでしまい太陽が勝ちましたというお話しです。

 私達って、相手の考え方を変えたいと思った時に、北風のように直球勝負してしまうこと多いですよね。理屈で攻めたり、正論で攻めたり、時には怒りを示して強引に強要したり・・・。でも、この話しが言わんとしていることは、厳しく攻めるのではなく、暖かく向かって行きなさい。そうすれば、相手は変わりますよ。そのことを教えているですよね。
 「殴っても泣かないような人であっても、愛されると涙を流す」と言う言葉を聞いたことがありますが、これも同じことだと思います。。

●あなたの敵を愛しなさい

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敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。(ルカ6:27)
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 誰もが、それは無理だ・・・そのように思ってしまうみ言葉ですが、このイエスさまの普通とは真逆の言葉も、同じことを言っているのだと思います。

●冬季オリンピックに見る国民性
 今、中国で冬季オリンピックが開かれています(もうすぐ終わる)。今回は、何か変ですよね。好成績を出したと思えば、「はい違反」って感じで、メダルを逃す選手がいらっしゃるです。ちょっとこれまでのオリンピックと違うなって多くの人がコメントしています。
 スキージャンプの高梨沙羅さん。彼女はジャンプで好成績を出したのですが、飛んだ後の抜き打ち検査で、スーツが規定よりダブついていたということで失格になったんです。同じように、好成績を出した、ドイツ、オーストリア、ノルウェーの選手も失格になりました。
 高梨さんの話しでは、抜き打ち検査の時に何か変な人が介入してきて、めっちゃ厳密に、さらには、規定とは違うやり方で検査してきたそうです。他の人は「あたかも失格にしようと検査しているとしか思えなかった」とも言っておられました。

 しかし、今回のことでは、高梨選手は、「怒って抗議する」ようなことをせず、むしろ、「ごめんなさい。みんなに迷惑かけました」そんな風に自分を責めておられるんですよね。それがかえって、多くの人の好感を呼びました。
 今回、検査を担当した外国人は(検査をして失格にしておきながら)こうコメントしておられます。

「日本人のメンタリティーは違うと思った。自分の非を認め、コントローラーやチーム、仲間など、周囲の人たちに謝り始め、他人に責任を押し付けない。高梨のように、感情的になって泣いてしまうこともよくある」

 他の国の人は、こういう時って正々堂々を抗議するんですよね。相手を変えるために。でも、日本人はあまりそういうことはしません。特に、こういう日本代表の立場で行った時は、国民性が出ます。他の国の人とは違うメンタリティーが表れるんですよね。それがかえって、多くの人の好感を呼ぶんです。

●争いを好まない日本
 日本って、争いを好まない国民だと思います。「和をもって貴しとなす」という昔からある考えがずっと大事にされていると思います。
 現在の日本国憲法を見てもそうですよね。「平和を求め、諸国を信頼し、軍を持たず、戦争を放棄する」とうたっています。世界において希にみる国です。もちろん、日本国憲法は日本人が作ったのではなく、戦後、アメリカのGHQが、軍を持たせず、再び戦争をしないようにと押し付けた憲法なんです。でも、私は、ここにキリスト教の精神が意図せず入り込んできたんだと思います。当のアメリカと言えば、キリスト教国と言っても、戦争ばかりしています。でも、日本は、もともと持っていた、「和をもって貴しとなす」という国民性と、アメリカの根底にあったキリスト教精神が融合した、素晴らしい国だと言えると思います。

 だから、日本は多くの国に愛され、信頼される国になってきたんだと思います。

●善をもって悪に報いる時、恵みがある
 今日の聖書箇所で、イエスさまは、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」とおっしゃっています。「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない」ともおっしゃっています。誰もが、「そんなの無理だ」思うのではないでしょうか。「殴られて、殴られっぱなし??普通は殴り返すでしょう。なのに、もう片方も差し出す??」「上着取ろうとしてきたら下着まで??そんなことしたら全部取られるじゃないか」ありえない。そう感じると思います。

 でも、イエスさまはこうもおしゃっています(ルカ6章32〜35節)。
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 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
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 私たちは、クリスチャンとなった時、新しい生き方に招かれます。ポイントは、自分を愛してくれる人を愛したところで、自分に善くしてくれる人に善くしたところで、何になるのですか?それは、罪人つまりあなたが嫌うような人でもすることでしょ。ここにあります。

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」というのは、やられっぱなしになれということではありません。それだと単に惨めな人で終わってしまいます。そうではなくて、悪に対して悪で報いず、善を持って悪に報いる時、あなたは、沢山の報いを受け、神の子と呼ばれるのですよと教えてくださっているのです。

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 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
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 「そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる」この約束を心に留めて欲しいと思います。

●悔い改めさせるためでもある
 最初に北風と太陽の話しをしましたが、相手に善い人になってもらうと思った時に、直球勝負をしてもダメなんですね。聖書が言う「悔い改める」とは「考え方を正しい方向へ向ける」という意味なのですが、イエスさまは、多くの人たちを招き、弟子になさいましたが、その弟子たちに、「あなたがたは、人々にののしられ、憎まれ、迫害されます」そうおっしゃっておられました。実際に弟子たちは、同じユダヤ人から迫害を受け、また、ローマ兵からも迫害を受けるようになりました。でも、弟子たちは、今日、お読みしたイエスさまの教えを実践したんですね。右の頬を打たれるというのは、侮辱されることを意味します。その時でも、侮辱を怒りをもって返すことをしませんでした。また、当時、ローマ兵は、荷物などを運ばせる苦役をユダヤ人に貸すことが許されていました。その時に、屈辱を味わっている姿ではなく、2倍の距離、荷物を運ぶことで、弟子である姿を見せたんです。中には、荷物を運ぶときに、福音を語ることによって、ローマ兵をクリスチャンにすることもあったそうです。弟子たちの普通の人と違う態度は、多くの人の目を開き、悔い改めさせ信仰に導いていったんです。

●勝つため
 「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。」これは相手の言いなりになるのではないことはお伝えしてきました。そうではなく、神が報いてくださることを信じて、行動するのです。

 ローマの信徒への手紙12章19〜21節にこう書いてあります。

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 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
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 私達の敵となる人は、仲が悪くなった人もいれば、本当に、挑んでくる敵もいます。その時には、神さまが報復してくださる。このことを信じ、神に任せるのです。
 そのことは、イエスさまが証明してくださいました。

●勝利されたキリスト
 イエスさまは、ユダに裏切られるままになさり、また、ローマ兵に抗うことなく捕らえられました。また、鞭うたれる時でもじっと耐え、茨をかぶせられ、民から捨てられてもじっと耐えられました。衣服をはぎ取られも、唾ははかれても、侮辱されても、悪口を言われても、じっと耐えられました。
 イエスさまが見ておられたのは、人ではなく、人を操る悪魔、サタンです。ですのでイエスさまは「彼らの罪を赦したまえ」と人を赦し、罪、悪魔を憎みました。
 そして、そのイエスさまは、十字架で命を奪われましたが、最後、復活されたのです。悪魔に勝利されたのです。罪と死と悪魔はイエスさまによって無にされたのです。

●おすすめ
 ここまでお話ししましても、私達とイエスさまは別格です。同じようなことはできません。となると思います。でも、できないで終わって欲しくないのです。
 あの人やだなぁ・・・って思う人いませんか?恐らくその人と会っても笑顔になることはないでしょう。そういう時は、イエスさまの言葉、「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」この言葉を思い出してください。パウロも「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」と教えています。これは中々できない難しいことです。恐らく、心からそのことを祈れないかも知れません。でも、この祈りを、父なる神さまはとても喜ばれますし、その祈りをする人を神さまは祝福してくださいます。
 
 また、敵ではないけど、近しい人の心を良い方向へと変えてあげたいなと思ったのであれば、寛容な心で接してあげてください。その人に自分の姿を通して、イエスさまを見せてあげてください。私たちが律法ではなく、福音によって心の目が開かれたように、その人にイエスさまの姿を見せてあげてください。