宗教法人 近畿福音ルーテル教会

 橿原ルーテル教会
 



マタイによる福音書 6章 25〜34節
 「ただ足下を看て歩く」

ただ足元を看て歩く

●命・道・真理
 イエスさまのおっしゃったお言葉に次のようなみ言葉があります。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14章6節)

 少し、想像してください。道を歩いていて、分岐点にあたるのです。そして、そこに二つの道しるべがあります。あなたはどちらかを選んで歩まなければなりません・・・。

 多くの人が幸せを求めて人生を歩んでいます。しかし、どう人生を歩めば良いのかが分からなくなる時があります。「私はこれからどうやって生きていけばいいのか」そのように悩む時、イエスさまはおっしゃいます。ただ、私についてきなさい。
 また、誰もが「愛と何か」「幸せとは何か」「命とは何か」本当の事を知らずに生きています。また、行き詰まった時、真理を知りたくなる時があります。「生きるってどういうことだろう」「幸せってなんだろう」「命ってなんだろう」「助けるって何だろう」。その時、イエスさまはおっしゃいます。私に聞きなさい。
 そして、誰もが直面するのが「死にたくない」という不安・恐れです。イエスさまは、おっしゃいます。私を信じなさい。あなたの心を私に明け渡しなさい。私と一つになりなさい。
 人生で大切なもの、それは生きていくための道しるべであり、生きていくための知恵であり、限りある命から永遠の命への転換です。そのすべての答えが、聖書に、そして、イエスさまにあるのです。

●看却下
 こんな話があります・・・。
 昔、一人の先生と三人のお弟子さんが、提灯に灯りをともして暗い夜道を歩いていました。すると、びゅっと風が吹き、提灯の火が消えてしまいました。真っ暗な夜道に取り残された4人。そこで、先生は3人のお弟子さんにこう尋ねます。

「さあ、この状況を言い表してみなさい」

 一人のお弟子さんは、こう答えました。「鳥が飛び立ち、その翼が光を遮ったのでしょう」そう言いました。「恐れることはありませんよ」と言いたかったのでしょう。
 もう一人のお弟子さんは、こう答えました。「目の前に続く暗闇の道はまるで黒い蛇のようです」。そのお弟子さんは、怖さを蛇に例えたのでした。
 すると、もう一人のお弟子さんがこう答えるんです。「ただ足元を看る」

 先のことを考えて、ああでもない、こうでもないと考える必要はなく、ただ、足元を看て、一歩一歩、確かに歩む。それだけのことです。

という意味です。このシンプルな答えに、先生は、「よし」とうなずかれました。

●突然何かが起こるのが私達の人生
 どうでしょうか・・・暗い夜道を灯火を持って歩いている。しかし、さあっと風が吹き、灯火が消えてしまう。そういう時の、ドキッとする感じ、不安になる感じ、想像できるのではないでしょうか。
 そして、おびえながら(不安になりならがら)、右見て、左見て、ちょっと後ろの気配を感じながら、一歩、一歩、恐る恐る進んでいく自分の姿も想像できるかと思います。

 私達の人生も同じではないでしょうか。突然、病気になる、事故に遭遇する、仕事を失う、そういった問題に出くわす事、あるかと思います。問題に限らず、進学する、就職するなど、良い意味での人生の門出で不安になることもあるかと思います。
 何かあると、「どうしらいいのか」「どうなるのか」未来に対する不安を抱えてしまうのが私たちかなぁと思うのです。

 その時、どうしたらいいのか・・・。それは、前を見ずただ足元を看て歩めばいいのです。なぜなら、私たちには聖書があり、私たちは、神さま、イエスさまを知っているからです。

●詩編
先ほどお読みしました詩編のみ言葉ですがこうあります。

「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」(詩編37編23節)

 これは、主に従って生きる人の歩む道を主は固く確かにしてくださるという意味なんですが、ヘブル語の原点からもう少し意味をくみ取りますと、その歩む道を、人は喜び、その人の道を主は喜ばれるという意味でもあるんです。

 「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」(詩編37編23節)

 神さまに従う人にも、また、従わない人にも、等しく、苦しいことや、辛いこと、不安なことが起こります。しかし、そういう時に大切になってくるのは、「主のみ言葉に純粋に従って歩むこと」なのです。聖書(外典:シラ書)には、「主は、すべての人々に分に応じて知恵を与え、主を愛する者には惜しみなくそれを与えられた」とあります。

●コロナに感染して見えたこと
 この前、息子がコロナに感染しました(ご迷惑をおかけしました)。朝、発熱したことを聞いた時、私は、病院に連れて行くこと、そして、熱がなかったので登校した下の子を学校から連れ戻すことをすぐに決めました。そして、息子を車にのせて、病院に連れて行っている時に、私は、自分がここまで、なぜ、淡々と行動しているのかなぁって思った時に、今年に選んだ先ほどの詩編のみ言葉を思い出したんです。選んだみ言葉を思い出したというよりは、何でそのみ言葉を選んだのか。ということを思い出したんです。 つまり、今年一年、

 先のことを憂いもせず、また、高慢にもならず、ただ、謙虚に、主の教えに従って、主がおっしゃる大切なことを一つ一つ実行していこう。

 そう考えたのでした。そして、そのお話しを今日するために、先ほどの「ただ足もとを看て歩く」という話も準備していたのです。

 それを思い出せたときこう思いました。

 『ああ、神さまは、私に、先に、このみ言葉をくださったんだぁ』『色々考えずに、一歩、一歩、歩みなさい、その先の道は私に任せなさい』そうおっしゃっておられるんだ・・・そう思えた時に、不安が解消されて、心が平安になりました。

 インフルエンザと違いコロナです。経験がないので、本当だったら、ああでもない、こうでもない、教会はどうなるだろう、学校はどうなるだろう、世間体はどうなるだろう・・・そんなこと考えて、策を練ったり、当たり障りのないようにしようとしたり、行動を色々考えたと思います。
 しかし、神さまが道を備えてくださるという安心がありました。その後も、目の前にあることを、ただ『正しく』処理していこう。そう思えたんです。

●思い煩わず、神の国とその義を求める
 今日、お読みした、福音書でイエスさまはこうおっしゃっています。(マタイ6章31〜34節)

 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

 明日のことは思い悩むな。そうおっしゃっています。これは、暗い夜道で、暗い先を見るなということです。そして、何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。というのは、ただ足元看て歩く、つまり、霊的に基本的なことを実践しなさい。そうすれば、おのずとゴールに行きますということです。
 霊的に基本的なこととは、道を求め、真理を求め、命ある生き方を求めることです。つまり、『正しく生きる』こと『祈る』こと『み言葉を読む』こと、何より『神の声を聴く』ことなんです。
 その信仰をただ実践していけば、おのずと、守られ、支えら、最後には勝利(喜び)に終わる。そういうことなんです。

 色々なことは起こります。でも、大事なのは、あれこれ考えず、ただ、今日という日を大切にして、神さまと共に一歩一歩、歩むことなんです。

 私は、今回、本当に「足もと(目の前にあること)だけを見て、一つ一つ片付けていこう、主は道を備えてくださっている」そう思えた時に、本当に気が楽になったんです。深く考えず、ただ、今日という日を神さまと共に歩む。もし、同じようなことが起こった時には、このことを思い出してください。

●小さいことに忠実に
 さて、私は、総会資料に詩編のみ言葉と共に一つのみ言葉を載せてました。それは、イエスさまのこの言葉です。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」(ルカ16章10節)
 これは、今日のことに繋がると思います。「困った時の神頼み」という言葉がありますが、その時にはもう遅いと思います。信仰生活を毎日毎日大事にして欲しいと思います。それは基本的な事、道を求め、真理を求め、真の命を求めることです。それは、神さまの言葉に耳を傾けることから始まります。
 ある社長さんの話しですが、その社長さんは、毎日、誰よりも早く会社に出社するそうです。従業員の人にとっては、先に社長さんが来られるのでちょっと困っていたみたいですが、その社長さんは、困らせたいのではなくて、偉くなっても働く基本を忘れないようにと思ったからそうしたそうです。会社名は忘れましたが、その会社は、社員が社長さんとは殆ど建物内で会う事のない大きな大きな、一流企業でした。
 私達クリスチャンも、一見小さく見えるようなこと、例えば祈りであるとか、み言葉を毎日読むとか、また、一見軽視されること、例えば正しい行いを実行するとか、礼拝に必ず出席するとか、そのような、小さく見えることを大切にするといいでしょうね。すると、多くの実り(成長)に繋がっていくのだと思います。そして、大きなことにも対応できるのだと思います。

●神の国とその義を求める
 どうしようか、どうなるだろうか、そのように思う時、是非、足元だけを看てください。先のことを考えないでください。
 基本的なこと、正しいことは何かを考え、また、静まって、未来を主に委ね、主が全てを益としてくださることを信じ、み言葉に近づき、祈り、賛美する。このことを、こつこつと実行してください。
 一足飛びに物事は解決しません。慌てると失敗する時もあります。やはり、神さまの声を聴きながら、急がず、しかも、着実に一歩一歩、今日という日を、歩むことが大切だと思います。