|
汝等一同の者よ、現世人間界とは、そもいかようなるものや。
遠きかなたよりここに生まれ出で、また遠きかなたに去りゆかん人生とは、
なんのためにあるかを静かに思いみるべし。来たりては去り、
また帰り来て去り、人幾度の輪廻ぞや。
悟り得ぬ者、その真実を知らざるが故に、ただ現世に生まれ出で、
年老いて死するを己が全てなりと思う故、
現世肉体に対しての考え違い甚だしきなり。
真実の己れとは常に申すごとく、肉体の奥深く潜める霊魂そのものにあれば、
煮ることも焼くことも、いかようにしても、
消すこと能わざる存在にして、したがって生もなく死もなく、
永遠不滅の生命なりと信じくる時、人の生涯とはまさに役者が、
さながら舞台に出でて己が役をば演じ、
また演じ終えて楽屋に帰るがごときものなり。
高き身分も低き地位も、富者も、貧者も、幼き者も、老いたる者も、
その姿形、肉眼に映ずるものは、それぞれに形違えども、
中に厳然と存在いたす霊魂においては、
現世の長幼なんら関わりのなきところなり。
さればこそ、三歳の幼児に教えらるる、年老いて初めて知ることもあり。
されば三歳の幼児は、いかに我が身老いたりとも、
すでに我が身の師なりと達観いたしみる時、その真実なる生命の長幼とは、
またその生命の尊さとは、また現世に現しゆく人それぞれの人格とは、
さながら役者が舞台に出でて、己が役をば演じ切ること至高なれば、
演技者といたして喝采を得るがごとく、幾度も幾度も、
この舞台たる現世に出でては、楽屋たる霊界に帰りゆく各々が、
いかにこの舞台の時間を完全に演じ切るや否やによりて、
その役者の価値は違えるものなり。人生とはまさに舞台なるぞや。
遠き霊界神界より下りて、この舞台においては、金も無く、地位も無く、
名誉も得ず、したがって貧に甘んじ、生涯を終わらんとも、
その人格の尊さにおいて、いかなる富者も及ばず、
いかなる権力にも屈せず、人間界の名誉を欲する心も無く、
己が人間たるの道全うし得る者の人生こそ、人といたして最も尊く、
またこの現世の舞台に出でて、完全に役目果たしゆくものと尊ばるるなり。
されど人間凡夫と申すは、肉体そのものを己れ自身と思い違いいたすが故に、
肉眼に映ずる物を第一と尊び、
内に潜める真実の己れを見忘れゆるが故にこそ、
現世ただ今の修羅場なり。汝等が心ごころに、真実の己れを見つめて、
現世に生まれ出でたる役目、完全に果たしあるや否や、
しかと反省いたしみるべし。
そこより初めてまさに現世に生まれ出で、生涯を終わりゆくについての、
各々が価値、真価とはいかなるものかを悟りゆくなり。
人は、この世に生まれ出で、地位や名誉、
権力や財を欲するままに憧れて、精進努力いたすもまた良し。
されどその精進努力は、真の目的といたすもの、ただ財のみならず。
地位のみならず。権力にもあらず。
最高なるを目指して努力精進いたせども、
その心情はただひたすらに人といたして、神や仏に喜ばるるべき、
己れとならんがための根底ありてこその現世の功徳なるぞや。
その根底を忘るるが故に、己が我欲貪欲の欲しいままなる、
求め求めて、ついにかく神の宝たるこの現世娑婆をば、痛め尽くして、
地獄の有り様を作りたるなり。天怒り給うこと当然ならずや。
人今にして、心改めずんば、もはや許されざる時、至りたるなり。
汝等一同の者よ、いかなる過去世の徳ありてや、
現世に稀なる正法に巡り会いたるこの大功徳、必ず生かせて、
人の真価とは、富にはあらず、地位や名誉や権力にあらず。
ただ衆生を慈しむ大慈大悲の大愛に目覚めゆくことのみにありと、
しかと悟りて、今こそ心ひるがえさずんば、救われ難き己れぞと、
しかと己れに申し聞かせよ。ただ今よりは、身を謹みて、
しかと大役果たさねば、現世に生まれし甲斐なき身ぞと、
魂の奥底にまでしかと刻みて、この悪世をば、
正しゆくべき大役担いて出でし身なれば、
ただ今よりは直ちに己が役目をしかとわきまえ、
この生涯の最期まで果たし終えるを全うなすべし。
合掌
|


|
|