今月の法話
 ここでは当道場で観音様より賜りました
 お言葉を掲載致します。

 (2025年10月1日掲載)

汝等一同の者よ、現世人間界とは、そもいかようなるものや。
遠きかなたよりここに生まれ出で、また遠きかなたに去りゆかん人生とは、
なんのためにあるかを静かに思いみるべし。来たりては去り、
また帰り来て去り、人幾度の輪廻ぞや。
悟り得ぬ者、その真実を知らざるが故に、ただ現世に生まれ出で、
年老いて死するを己が全てなりと思う故、
現世肉体に対しての考え違い甚だしきなり。

真実の己れとは常に申すごとく、肉体の奥深く潜める霊魂そのものにあれば、
煮ることも焼くことも、いかようにしても、
消すこと能わざる存在にして、したがって生もなく死もなく、
永遠不滅の生命なりと信じくる時、人の生涯とはまさに役者が、
さながら舞台に出でて己が役をば演じ、
また演じ終えて楽屋に帰るがごときものなり。
高き身分も低き地位も、富者も、貧者も、幼き者も、老いたる者も、
その姿形、肉眼に映ずるものは、それぞれに形違えども、
中に厳然と存在いたす霊魂においては、
現世の長幼なんら関わりのなきところなり。
さればこそ、三歳の幼児に教えらるる、年老いて初めて知ることもあり。
されば三歳の幼児は、いかに我が身老いたりとも、
すでに我が身の師なりと達観いたしみる時、その真実なる生命の長幼とは、
またその生命の尊さとは、また現世に現しゆく人それぞれの人格とは、
さながら役者が舞台に出でて、己が役をば演じ切ること至高なれば、
演技者といたして喝采を得るがごとく、幾度も幾度も、
この舞台たる現世に出でては、楽屋たる霊界に帰りゆく各々が、
いかにこの舞台の時間を完全に演じ切るや否やによりて、
その役者の価値は違えるものなり。人生とはまさに舞台なるぞや。

遠き霊界神界より下りて、この舞台においては、金も無く、地位も無く、
名誉も得ず、したがって貧に甘んじ、生涯を終わらんとも、
その人格の尊さにおいて、いかなる富者も及ばず、
いかなる権力にも屈せず、人間界の名誉を欲する心も無く、
己が人間たるの道全うし得る者の人生こそ、人といたして最も尊く、
またこの現世の舞台に出でて、完全に役目果たしゆくものと尊ばるるなり。

されど人間凡夫と申すは、肉体そのものを己れ自身と思い違いいたすが故に、
肉眼に映ずる物を第一と尊び、
内に潜める真実の己れを見忘れゆるが故にこそ、
現世ただ今の修羅場なり。汝等が心ごころに、真実の己れを見つめて、
現世に生まれ出でたる役目、完全に果たしあるや否や、
しかと反省いたしみるべし。
そこより初めてまさに現世に生まれ出で、生涯を終わりゆくについての、
各々が価値、真価とはいかなるものかを悟りゆくなり。

人は、この世に生まれ出で、地位や名誉、
権力や財を欲するままに憧れて、精進努力いたすもまた良し。
されどその精進努力は、真の目的といたすもの、ただ財のみならず。
地位のみならず。権力にもあらず。
最高なるを目指して努力精進いたせども、
その心情はただひたすらに人といたして、神や仏に喜ばるるべき、
己れとならんがための根底ありてこその現世の功徳なるぞや。
その根底を忘るるが故に、己が我欲貪欲の欲しいままなる、
求め求めて、ついにかく神の宝たるこの現世娑婆をば、痛め尽くして、
地獄の有り様を作りたるなり。天怒り給うこと当然ならずや。
人今にして、心改めずんば、もはや許されざる時、至りたるなり。

汝等一同の者よ、いかなる過去世の徳ありてや、
現世に稀なる正法に巡り会いたるこの大功徳、必ず生かせて、
人の真価とは、富にはあらず、地位や名誉や権力にあらず。
ただ衆生を慈しむ大慈大悲の大愛に目覚めゆくことのみにありと、
しかと悟りて、今こそ心ひるがえさずんば、救われ難き己れぞと、
しかと己れに申し聞かせよ。ただ今よりは、身を謹みて、
しかと大役果たさねば、現世に生まれし甲斐なき身ぞと、
魂の奥底にまでしかと刻みて、この悪世をば、
正しゆくべき大役担いて出でし身なれば、
ただ今よりは直ちに己が役目をしかとわきまえ、
この生涯の最期まで果たし終えるを全うなすべし。

合掌


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