『かなくら山報』への寄稿1997
最終更新
金蔵寺住職として、記名または無記名で 「かなくら山報」に掲載したものです。 |
御写経のすすめ
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檀信徒の皆様へ
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檀信徒の皆様へ
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震災三回忌法要にて
『かなくら山報』第65号 1997/02/10
『天地嘆かう』
作詞 宮本光研 作曲 西村直記 編曲 谷本祥龍
(唱え奉る阪神淡路大震災受難者追悼御和讃に)
一 まどろむ朝の一刹那 家もろともに崩れおつ 人呼ぶ声も立てられず ああ、息耐えし人や多(さわ) 生きて在りしはまぼろしか |
二 やけただれたる跡にいて ひとり拾える形見にも 陽炎(かげろう)さえも立ちませず ああ、虚ろなるこの胸を 哀れ過ぎにしおもかげぞ |
三 祈らんとする 目に青き六甲の空 思うさま群れ飛ぶ鴎 神戸灘 深く嘆かう ひとの身は 更になきかや浮かぶすべ |
四 引き裂かれたる 天地のありて哀しも 生まれては消えゆくものか みほとけのご詠歌 「御霊安かれ」と 声も限りに唱えます |
去る1月17日(金)、神戸市の御影公会堂にて、大震災の三回忌追悼 法要が行われました。午前中は、読経及び焼香の追悼法要と震災によっ て全焼に遭われた神戸市理性院住職の西蔵全祐師のお話。午後は、 音楽家西村直記氏と「ザ・モンクス」による音楽法要。 私は、「ザ・モンクス」の一員として、冒頭に掲げた和讃『天地嘆かう』 ほか『めぐみの光かがやきて』『観音大慈』をお唱えさせていただきました。 思えば、2年前、震災から50日たった3月7日、御影公会堂周辺を震災 行脚させていただきました。今にも崩れ落ちそうになっていた阪神電車の 石屋川駅は新築され当時の痕跡は殆ど残っていませんでした。一方、 「ここで30人が亡くなったんですよ」と聞いた理性院東側のマンション跡の 瓦礫はすっかり取り片づけられていましたが、建設のための小屋が建ち 並んでいました。理性院もわずかに残っていた基壇は壊され、建築資材 置き場になっていました。 心からの慰霊、そして、一日も早い復興を願って、お唱えさせていただ きました。 |
かなくらの昔(一)
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