阿弥陀如来
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御真言:おん あみりた ていせい から うん 「なむあみだぶつ」で知られる阿弥陀さまは、無量寿如来(はかりしれない 寿命ないし生命力をもつ如来)と無量光如来(はかりしれない光に満ちた如 来)という二つの別を持っておられます。 阿弥陀さまは、西方極楽浄土に住居をなされ、阿弥陀さまを信じ、その名 号「南無阿弥陀仏」を唱える者を、その願力によって必ず極楽浄土に往生 させるといわれています。 |
頭部乾漆阿弥陀如来坐像(金蔵寺蔵、八世紀)
金蔵寺本堂に安置されている阿弥陀如来座像は、頭部は乾漆仏で奈良 時代中期(八世紀中頃)の作、胴部は木材による後補で江戸時代の作とい われています。 平成10年4月25日〜6月7日に奈良国立博物館で開催された特別展 『天平』に出陳いたしました。 |
「72 阿弥陀如来坐像 一躯 兵庫 金蔵寺 (頭部)乾漆像 (体部)木造 像高八五.三 頂〜顎二八.〇 (頭部)奈良時代(八世紀) (体部)江戸時代(十七世紀) 小作りで、若々しく張りつめた顔立ちをしている。目は切れ長で、眉間辺 りを平らに、鼻は小さめに表す特徴をみせるが、これらは脱活乾漆造の香 川・願興寺観音菩薩坐像に共通する特徴である。またこのような顔立ち は、乾漆像だけにとどまらず、銅造の東大寺戒壇院の釈迦・多宝如来像 (26)、塑造である法隆寺梵天・帝釈天像や頭塔の石仏などに及び、かなり 流行したものであったことが分かる。 本像についてはその耳の表現に、耳輪の輪郭線が耳朶に連続せずに巻 き込みを作るという特徴があり、この表現が東大寺大仏蓮弁の線刻画に同 様なものがみられるという指摘がある。造立年代は八世紀の第V四半世紀 辺りと考えてよいと思われる。 本像は正面で三道の二筋目より上、背面で襟際より上の頭部が乾漆造と なり、寄木造の体部とは制作時期を異にする。体部はおおよそ江戸時代に 補われたものであろう。」 (奈良国立博物館・特別展『天平』図録 p230より) |