2021年4月1日 第267話
             
出入の一息

        
     仏言く、一切の諸法は畢竟解脱にして、所住有ること無しと
                        
正法眼蔵・山水経


世法如何

 自己証明を求められることがよくある。不在であったがために郵便局の窓口へ不在連絡票を持って受取に行くと、受取人である本人証明をもとめられる。私が受取人で、その本人である私が今、受取を希望していますといってもそれは認められません。免許証、保険証、マイナンバーカードなどの提示が必要です。また一定額以上の金銭の受取には運転免許証などの提示をもとめられます。なるほど写真が貼ってあり、本人の顔が確認されるから、それでよいというのでしょう。

 金融機関のATMで手続きをする場合に指紋認証というのがあります。それぞれ人の指紋が異なっているから指紋は自己証明には確かな証拠となるのでしょう。医者に診察をしていただくときに、かかりつけの病院であっても、採血検査や、レントゲン検査を受けるときには診察カードの提示を都度求められます。顔写真が貼ってないけれど、本人確認されます。国民のことごとくに個人ナンバーが決められていることから、国民はすべて番号付けされています。そのうち自分のパソコンを開くように顔認証となるかもしれません。

 郵便局の窓口で私が本人ですと、そう申し立てても本人証明が必要となる。運転免許証に記載されたものと照合されてはじめて本人であると認められるから、もう私という人格は、生身の私でなく、運転免許証の私が私であることを証明しているということです。指紋認証や顔認証が本人証明となり、個人番号などと合わせて登録され、万事がそれにより処理されていくという社会が現実となりました。

 いったい、私とは何者なのか、個人認証制度のことはさておいても、そのことを自問自答することもなく、社会の制度としての自己証明や自己確認に応じています。履歴書に自分という人物について表記します。経歴事項として、学歴職歴を記載します。そのうち個人情報としての年齢、性別、本籍などの記載は不要となるでしょう。印章についても捺印が減りました、実印登録制度もなくなるかもしれません。生身の人間である私とはいったい何者であるのかということです。

不増不減 

 人の命とは、人間の体を作っている元素は全部で二十九種類で、酸素が半分以上(61%)を占め、次いで炭素23%、水素10%、窒素3%、と、この4種類の元素で97%を占める。そして人体の化学成分比では、水分60%、たんぱく質18%、脂肪18%、鉱物質3.5%、炭水化物0.5%です。つまり水分が全体の60%を占め、組織はわずか40%にすぎません。元素は宇宙の星の成分ですから、人間は宇宙人です。

 人間の体はたった一個の受精卵の細胞から始まって、人として生まれ成長して五十兆個~六十兆個の細胞より成り立っている。そして一呼吸の間にも、細胞が新しく生まれて、古い細胞が死んでいく。人間の体は一年もたてば、脳も心臓も骨も一切の例外もなく、分子レベルで新たに置き換わっている。常に細胞は生まれたり死んだり、新陳代謝をしていますが、はたして人はいつも新しい自分を実感しているでしょうか。

 生命体は自己の意思にかかわらず、心臓は鼓動し、さまざまな臓器も働きをしてくれます。自己の身体を構成する50~60兆個の細胞も生きているかぎり自己の意思によらず新陳代謝しています。ところが煩悩がふくれあがり、悩みや苦しみが多くなると、そのストレスにより臓器の働きや新陳代謝に影響が出ます。

 食べ物は単にエネルギーの供給のみでなく、体を再編成する分子の供給でもある。生物は食べるということで身体のタンパク質が置き換わっていくから、生物体は個体というより流動体です。生きているということは、身体のどこもかしこも新陳代謝しているということです。流動体だから、基本としては不増不減で、増えもせず減りもせずということです。ところが何らかの原因で、新陳代謝が正常になされなくなると病気になり、新陳代謝が縮小してくると老化が進み死に至ります。


不垢不浄

 自分とは何者なのかということですが、自分のものは汚くない、けれども、健康診断で腸の検査の便、尿検査の尿、肺検査の唾液を自分のものとして採取し、容器に入れると、それは汚いものに感じる。口の中や、体内にあるときは自分のものだから何とも思わないが、排出した途端に汚いものに感じるのは、どういうことでしょう。

 赤ん坊のおむつは汚れていてもお母さんは汚いと思うことなく取り替えます。臭いはするけれど我子の健康状態を思うことの方が強いのです。けれど、老いた母親や父親の汚物の付いたおむつを取り替えるのは、とても汚く感じていやなものです。同じ親子であっても、ずいぶんちがった思いがあるものです。介護施設や病院の職員さんは業務としておむつ替えをしますが、仕事として、テキパキと処理します。

 植物と動物とは大きなちがいがあります。植物は種が落ちて芽生えたところ、また、植えられた所から移動することがありませんが、動物は移動します。ゴキブリやムカデが出現しますと、人は殺して取り除こうとします。また気持ちが悪いと、逃れようとします。綺麗な蝶やかわいいテントウムシに人は好感を示しますが、トカゲや蛇が現れると避けようとします。危険から逃れる自己防衛というところでしょうか、その間にそれらは逃げ失せて生きのびることができます。

 猿は人間のちがいがどの程度わかるのでしょうか。大人と子供のちがいはわかるでしょうが、男か女の区別、金持ちか貧乏人のちがい、賢い人か劣っているかなどは見分けないでしょう。だが、危険を感じたら牙をむき恫喝するでしょう。
 自分でない他の死について、子を死なせた親は悲嘆から立ち上がれない。パートナーや兄妹を亡くすと悲しみに打ちひしがれます。相棒の犬が死んでも悲しみます。けれどもニュースで流れる被災や、事故、戦争の残忍な光景に心痛めるけれど、他人の死でもあり、やがて忘れていきます。自分とはなにごとにつけても
自分本位なのです。
でも慈しみの心があるのも人間です。

出入一息

 父母が出会い、精子の遺伝子と卵子の遺伝子が融合することで、新しい遺伝子がそなわった受精卵が生まれる。これが生物個体の出現であり、その受精卵が増殖して子として誕生する。
 「身体髪膚は父母にうく、赤白の二滴は、終始是れ空なり、ゆえに我に非ず。心意識智、寿命を繋ぐ、出入の一息、畢竟如何、ゆえに我に非ず」道元禅師は学道用心集にこのように示されました。

 生まれてくるということは遺伝子の受け継ぎです。人の体もそうですが、生物の個体というものは遺伝子の乗り物にすぎないのです。ですから生命の根本は遺伝子であって霊魂でない。

 赤白の二滴は、終始是れ空だから、命の根本である遺伝子にはもとより煩悩などありません。けれども人間の脳が高度になったがために、執着や欲望が尽きないのです。自然体に生きておれば日々楽しく生きられるのですが、さまざまな悩み苦しみを自分自身でつくってしまうようです。

 火葬すると命の根本である遺伝子DNAは消滅します。骨壺に納まるのはリン酸カルシウムと炭素のお骨で、これも年を経ると水と反応して溶けてしまいます。つまり土に帰っていく、色即是空ということでしょう。自然界には過去も未来もありません、生きとし生けるものは、みな今を生きている。人間だけが過去や未来にこだわっている。 空即是色だから、元気の出る遺伝子をONにして、今を生きる、日々に新しい自分でありたいものです。

 「仏言く一切の諸法は畢竟解脱にして、所住有ること無しと」正法眼蔵・山水経。
 ありとあらゆるものはすべからく解放されているから、一所ににとどまることがない。水は天に昇りて雨となり地におりて川となり、また海となり、それぞれの境位に安住している。水は方円に従うの言葉通り、水を方形に入れても円形に入れても三角の器に入れても、水にかわりはなく、自然界には執着ということがない。人間も自然の一部であるから、執着する心のはたらきがあってはならないのです。
 迷妄とは道理がわからず事実でないことを事実ととらえる心の迷いをいう。現前の世界は真理に満ちあふれたところだから、自己の了見で思量すべきでなく、自己の分別心に依るべきでないということでしょう。人は命を授かって誕生するや、この世の空気を吸ってオギャと発し、息をフーと吐いて臨終となる。まさに人生は一呼吸です。であるから、迷妄なき生き方とは、出入の一息に心すべし、ということです。


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