FK/JH3DJX  ニューカレドニア運用記
<1989年 7月26日〜30日>

 1989年7月26日〜30日の5日間、南太平洋のニューカレドニアよりアマチュア無線の運用を行った。私としては、海外運用は初めての経験で、ライセンス取得から機材の持ち込みや設営など、すべて1人で実行した。以下はその顛末です。(XYLも同伴したが、無線の運用に関してはまったくのノータッチ)

【海外から電波を出したい】

 計画した当時はHF−DXを始めて約15年になっていたが、JAの海外運用は現在ほど多くはなく、年に数回程度だったように記憶している。私はもともと海外旅行好きで、グアム(KH2),サイパン(KH0),フィリピン(DU),フィジー(3D2),香港(VR2),タイ(HS),シンガポール(9V1),オーストラリア(VK)などへ行っていたが、いずれも観光などが目的で、無線の運用などは考えたこともなかった。HF帯のリグも最近のようなコンパクトで高性能のものはまだなく、アンテナも移動運用に適したものは出回っておらず、個人で海外運用など考えもおよばなかった。

 しかし、アイコムのコンパクトなHFトランシーバー・IC−731を入手したのを期に、バターナット社のバーチカルアンテナ・HF−7Vとのコンビネーションで、なんとか個人でも運用できる可能性が見えてきたため、海外から電波を出したいという願望が沸いてきたのだった。


【どこへ行くか】

 オセアニアの島々でノンビリするのが元来の夢で、その地域で可能性のある場所(エンティティー)としていろいろリストアップしたが、費用,日数,ライセンス取得などの点から、ニューカレドニアと決まった。ここなら、相互運用協定で容易にライセンス(ただしテンポラリー)が得られ、夏期休暇にわずかな有給休暇をたせばOKだ。夏の旅行ピークシーズンを外して、格安パッケージツアーが利用できる。

 ここへは、当時UTAフランス航空が、週2便成田から直航便を飛ばしており、南東へ約7,000キロを8時間ほどのフライトで結んでいた。パッケージツアーも各社からかなり出ていた。

 これ以外の候補として、タヒチ(FO),バヌアツ(YJ),パラオ(T8),ミクロネシア(V6)なども検討したが、いずれも費用的に手が出ず、パラオとミクロネシアなどはFCCライセンスを持たない身ではライセンス取得の可能性が無かった。バヌアツの場合は、ライセンス申請の問合せに対する回答がニューカレドニア運用後に到着し、間に合わずであった。

【ライセンスの取得】

 ニューカレドニアはフランスの海外領土であり、フランスと日本との相互運用協定により、ライセンスが容易に得られる。申請書はJARL会員課より入手できる。運用予定の4ヶ月前に申請を済ませたが、ライセンスの発給は現地のOPTで直接手渡しとなる。有効期間は、申請した運用予定期間のみで、申請料は無料。

 現地では、発給担当官の部屋まで出向いて直接受け取った。担当官は英語で簡単なライセンスの説明をしてくれた。しかし、もちろんライセンス(ドキュメント)は公用語のフランス語である。コールサインは “ FK/JH3DJX ”。

(当時、フランス革命200年記念のプリフィックス“FK89”が使用できるとのことであったが、これを希望したところ、フランス国籍保有者のみOKということで、“FK89/JH3DJX”は実現しなかった)

  申請書(表)                           申請書(裏)

 

 <これにJAの局免と従免のコピーを添付して、期間的に十分余裕を取ってOPTに送っておく>


現地で直接発給されたテンポラリー・ライセンス

<JARLの申請説明書には3ヶ月有効とあったが、実際は滞在期間内で有効だった>


【出発→現地着】

 ニューカレドニアと決まってから、無線の運用ができそうなホテルをガイドブックで調べ、屋上が屋外レストランとなっている「ル・ラゴン・ホテル」を候補とした。当時はインターネットなどなく、ガイドブックが頼りであった。このホテルが宿泊先となる格安パッケージツアーを探し、1人15万円チョットを見つけた。XYLも連れていかざるを得ないので、往復航空券とホテル代で約30万円也となった。これに、現地での食費や交通費,オプショナル・ツアー代,お土産代などが+α2となる。

 さて、いざ出発となり、名古屋空港(当時は春日井市に住んでいた)へ行ってみると、成田までの国内便の予約が漏れているのがわかり、カウンターで一騒動。なんとか決着したと思ったら、今度はUTAフランス航空の職員ストの情報が入り、どうなるのか・・・。でもなんとか名古屋を夕刻出発し、成田はほぼ定刻通り夜10時に出発できた。

 成田からニューカレドニアまでは、UTAフランス航空のDC10型機でおよそ8時間の夜間フライトである。翌朝8時(6時JST)には、ニューカレドニアのトントゥータ国際空港にアプローチ体勢となる。ここニューカレドニアはニッケル鉱を産することで有名だが、窓から見下ろされる山々の山肌は一様に赤く見える。すると、高度を一段と下げたと思ったら、山かげから忽然と滑走路が見え始めた。ほどなく、無事ニューカレドニアに到着。

【XYL怒る】

 ここでまたトラブル発生である。入国審査のゲートで、「列になって順番を待て」との審査官の指示(手振りでそう解釈できた)がXYLには理解できず、順番待ちラインから歩を出したとたん「あなたは順番の最後だ!」と睨まれた。でも私は審査を通過してゲートの反対側にいる。これにはXは頭に来て、その日は最後まで機嫌が悪かった。観光事業では大事なお得意さんの日本人を、入国からつまらないことで怒らせるとはなんぞやと言いたくなるが、マナー違反もいただけないことではある。この日の審査官は、腹の虫の居所が悪かったと思えば、少しは気も安らぐものだ。
.                                                      空港ターミナルビル →                                       


【無事通関】

 不機嫌なXをよそに、こちらはリグやアンテナが無事通関できるか不安であった。過去の運用者の経験談には、「通関時に課税された」とか、「持ち込み許可証の提示が必要だった」とかあったのである。

 しかし、リグ(IC−731)はショルダーバッグに収め、バターナット・バーチカルは長さ1mで10cm角くらいの小さなダンボール箱に収めて手荷物にしていたので、何のおとがめもなくパスしてしまった。これが、リニアや大型アンテナの入った大きな箱が次々と出てくれば、そうはいかないだろう。個人で必要最低限の機材を持ち込む場合は、こようなスタイルが有効であるかもしれない。要は目立たないことである。
 ただ、テロに対するセキュリティーがワールドワイドに厳しくなっている昨今では、地域による厳しさの程度に差はあっても、念入れが肝要だろう。

ショルダーバッグ(左上),スーツケース,ダンボールにすべての機材を収めた

【いざヌメア市内へ】

 トントゥータ国際空港はヌメア市内の郊外にあり、市内へはバスで1時間ほどかかる。ツアー会社差し向けのバスでいざヌメアへ・・・。ホテルへチェックインまでの午前中は、市内観光を巡る。 水族館,博物館,アメデ灯台が望める岬の高台,市内目抜き通り,などなど、日本人の現地スタッフ(女性)の案内付きであった。岬の高台には、HF帯とおぼしき大きな業務用のログペリアンテナが立っていた。このアンテナで運用できたら、さぞかし・・・。

 たまたま、この現地スタッフの事務所が滞在先のホテル内にあったので、ホテルでのアンテナ設営許可をもらうのには助かった。フランス語はメルシーくらいしか知らないのに、何の事前アポもなく運用しようというのは、少々無謀かとも思う。全くラッキーではあった。

                       滞在先となったル・ラゴン(最近の写真) →

【ライセンスを受け取る】

 先述の通り、ライセンスは直接OPTで受領するのだが、最初どこにOPTがあるのかわからず、何を思ったか関係ありそうなオフィシャル・オフィスとして郵便局が頭に浮かび、タクシーで市内の郵便局へ。そこで、OPTから送られていた案内書の封筒を見せて、「ここの場所はここでいいか?」などと怪しげな英語で尋ねたのである。

 相手の女性が「ノン」と言ったかどうかは覚えていないが、英語で丁寧に教えてくれた。あとで確認すると、OPTは滞在先のル・ラゴン・ホテルからわずかな距離の所であった。やはり、事前によく調べておくものである。

 公用語がフランス語であっても、構わず片言の英語で尋ねると、こちらが日本人と判るとなんとか英語で対応してくれるもので、ありがたい。OPTでも構わず英語で用件を告げ、担当者の部屋へ案内してくれた。そしてそこでも英語で「ライセンスをちょうだい」と切り出すと、向こうも英語で応じてくれた。これでメデタシである。お礼をする義理はないのだが、日本から持ってきた化粧扇子をお土産に渡す。でも、特別プリフィックスのFK89の許可はなかった。

← OPTオフィスの建物

【QRV開始】

 すぐにホテルへ引き返し、アンテナの設置にとりかかる。ところが、屋外レストランであるハズの屋上がない! エレベーターの最上階にもそのような表示がなく、どうやら客室に改装されたようである。ということは、持っていたガイドブックの情報は古いということである。ということなので、ガイドブックに書かれていることは100%信用しないほうがよい。肝心なことは、事前にチェックすべきだ。

 しかたなく、部屋のベランダに設置できないかと出て見ると、すぐ向かいに木立があり、そこに立てかける格好でバーチカルが設置できた。バーチカルというより、水平ホイップのような格好だ。ミニマルチのアパマン・ベランダ用バーチカルに近い。これでも、アンテナチューナーを持参したおかげで、オールバンドでQRVできたのだ。

(この時、アンテナはホテル前の道路から目立つ存在となっていた。後日、このアンテナを見た同宿の日本人客から、突然の訪問があったのである)
                   赤い線のようにバーチカルを突き出した →
 電源であるが、ここは220Vだ。ケンウッドのPS−430を事前に220V仕様に変更して持ってきてはいたが、SWをONするまでは不安である。電源プラグの変換アダプターを取り付け、SWをONする。何事もなく、スピーカーからノイズ音が出た。問題なし。

 これでなんとか到着日に電波が出せる状態になった。夜10時だったがまずは試しにと、30mでCQを出してみる。すぐにJH1DLJ/田中OMよりコールがあり、1stログインが記録された。


【エスカペーデ島へ行く】

 無線の運用が目的とはいえ、平日の昼間はQRVしてもお客さんはいない。同伴のXといっしょに昼間はバケーションを楽しむことにする。そこで、ヌメアの6Km沖合いにある小さな島「エスカペーデ」へ出かけた。島の周囲は歩いて20分くらいの大きさで、島全体がリゾートになっている。プール,レストラン,バンガローなどが点在していて、遠浅のビーチが続く。
 ヤシの木立の中に点在するバンガローは、無線の運用には持って来いの場所だった。夜な夜な「キューアールゼット・・・!!」と叫んでも気にすることはなさそう。ビーチにバーチカルを突き立てるだけでアンテナ設営も容易に思える。予算に余裕のある向きは、この島から運用すればFBだろう。実際、私の数年後、JA1WPX/下市氏はここから運用されている。
 レストランでのランチタイムには、スタッフがギターで日本の歌謡曲をBGM代わりに演奏してくれた。でも、二十代、三十代の人にはあまりなじみのない曲ばかりであった。そして、プールサイドでしばし日向ぼっこしていると、スタッフが美しい切手を売りにきて、記念にいくつか買った。夕刻、ヌメアへ帰る際、再びスタッフがギター持って桟橋で見送ってくれた。JAでは味わえない、ノンビリとした日を過ごせたのである。

【突然の来訪者】

 ホテルの部屋で運用しているある日、同宿の日本人観光客の来訪があった。ついにTVIのクレームか、などと身構えながら応対に出ると、「外からアンテナが見えたので、アマチュア無線をしておられると思って訪ねてきました。私は、JA1ATI/逸見と申します」と自己紹介された。氏の話では、アマチュア無線はマイクロ波専門で、HFの海外運用に来たのではなく、家族旅行であるとのこと。

 その当時、アマチュア衛星通信はまだ運用していなかったが、AO−40が上がって24GHz帯の運用が行われるようになり、JAMSAT−BBで逸見さんの活躍ぶりが拝見され始めた。マイクロ波のマの字も知らない私は、当然ながら逸見さんのお名前も存じ上げていなかったのだが、「ああ、あの逸見さんだ」と懐かしく思われたのである。そうと知っていたら、記念写真でもお願いしておけば良かったと・・・。


【アンテナの設置を変更】

 ベランダから突き出した状態では、やはり飛びはもうひとつであるし、景観上も好ましくない。なんとかしようとホテル周囲を見回していると、ホテルと棟続きの倉庫みたいな建物が目に入った。その屋根には、非常階段から簡単に移れる。
 ということで、さっそくアンテナをその倉庫の屋根に移動した。もちろん、了解を得てからである。屋根のスペースもそこそこあって、ラジアルも張れた。
 ただ、部屋まで同軸を引くのに、廊下の壁に這わせざるを得ず、宿泊客の目に付くのが気になった。でもこれも最後までクレームはなかった。
 これでようやく格好がついた。この倉庫はホテルの南側なので、JA方向は少し不利ではあったが、40mでもワールドワイドにベアフットで届くようになった。さすがに80mは、ベアフットでは近場に限られたが・・・。

【運用結果】

 5日間の運用結果は下表のごとくであった。Xとのバケーション兼ねての運用だったので、終日フル運用はできなかった。

バンド

80m

40m

30m

20m

17m

15m

12m

10m

トータル

CW

SSB

FM

局数

214

82

20

41

226

16

10

613

606

 

 
A向けサービスは、40m,30m,15mのCWが中心で、約500局ほどであった。Wからもけっこう呼ばれたが、EU方面がやはり難しく、ビッグステーションとおぼしき局だけに終わったような感じである。

 同時期に、あのDJ6SIとK5VTがフィジーのコンウェイリーフからブランド・ニューとなる運用をしていたが、ここからはローカルの距離だ。80mでも楽々QSOできた。残念なのは、自身のDXCCに加えられないこと。(のちの、3D2AMでコンファームしたが)

                                      運用中の私 →


【運用終了・撤収】

 帰国日の翌日は早朝にホテルを出発ということで、運用最終日は夜遅くまで粘った。夜中12時に終了し、そのままアンテナの撤収作業を暗闇の中で行った。作業といっても、バターナットのバーチカルは比較的短時間で分解・収納でき、小さな箱にスッポリと入るので、移動運用には好都合であった。

 1時間くらいですべての機材の収納を終え、帰国準備完了。念願の海外運用は無事終了と相成った。


【その後のFK運用】

 私の運用のあと、何人かのJAが運用されているが、1年か2年に1回程度の模様である。やはり近場のKH0,KH2の運用がダントツで、レンタルシャックが利用できるようになったT8の運用も多い。FK方面まで足をのばそうという人は少ないのだろうか。

 FKまでの直航便は、当時UTAフランス航空の週2便のみであったように覚えているが、今はエール・フランスとエアカランがほぼ毎日運航しているようで、しかも関空からも出ているようだ。やはり、片道8時間という距離感は、バケーションを兼ねたお手軽運用の部類には入らないのだろう。


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