このバンドはご存知の三つあるWARCバンドの内、JAで最初にアマチュア用に二次業務として1982年に開放されたバンドです。 |
開放当初私はQRVしていませんでしたので、当時のお空の様子や運用局の運用スタイルなどは知る由もありません。 CQ誌の創刊号からの総目次データを検索してみますと、当時すでにWARC対応可能のHFリグが主要メーカーから出ており、簡単な改造(ジャンパー線の切断等)でQRV可能だったことが伺えます。 それでも、当時は過去のモデルになりつつあったTS−520やFT−101といった今は懐かしいHFリグの改造記事も出ていたようです。 一方アンテナは、メーカー製など全くといっていいほど無く、ワイヤーDPや逆Vが多かったのでしょう。今みたいにオートANTチューナーで無理やりQRV・・・ ということも出来なかったと思います。そういうこともあってか、ANTの製作記事はかなり掲載されてました。 |
国内QSOの運用状況はさておき、開放当初から当バンドでDX通信を運用された局として、JA6HW・角居氏とJA1IFP・菅原氏がパイオニア的存在ではないでしょうか。 角居氏は専用ANTの製作にも傾注され、ANTのグレードアップと共にDXエンティティーがどのように増えて行ったかをCQ誌に詳述されていました。 一方菅原氏は、当バンドで100エンティティーを最も早い時期にwrkdされた内のお一人ではないかと思われます。また1988年4月から、CQ誌DXコラムの初代バンドエディターを務められました。 |
私が当バンドにQRV開始したのは1986年10月でした。前述のJA6HW・角居氏のCQ誌記事にも触発されて、50wのアパマンHAMでは限界を感じていたDXCCレースから、パイルの喧騒もなくのんびりとDXが出来そうな30mにその後の目標を変えようと思い立ちました。 知人から中古でTS−430Sを手に入れ、ワイヤーでアパート屋根に逆Vを張ってQRV開始したのが昨日のように思い出されます。その後ANTは、自作GP,バターナット・バーチカル,WARCマルチR−DP,WARC−3エレ八木と変遷を辿りましたが、TS−430Sは今も現役で使っております。 QRV開始当初、開放から4年以上経過していたとはいえ、まだまだバンドは閑散としておりました。国内QSOは週末の昼間にそこそこ聞かれるものの、DXはといえばW,VK,当時のUゾーンあたりがチラホラ聞こえる程度で、夜間〜早朝にEuもそこかしこが入感しておりました。 現在はもうとっくに停波していますが、以前は10.103MHzにビーコンらしき電波がほぼ常時送信されておりました。「LOG○□」という文字のモールス符号の繰り返しでした。これが結構強力で、10.101〜10.110MHzあたりがメインストリートのDX交信の大きな障害になっていました。 |
今でこそ、規模を問わずにペディションでは必ずと言っていいほどWARCバンドが運用されますが、開放当初の時期は大規模なペディションでも運用されないことがありました。今みたいに、WARCバンドは当たり前でコンパクトで高機能なHFリグやWARC用ANTが豊富でなかったことも一因と思われます。 そんな頃に、ペディ,常駐を問わず、珍エンティティーから突如として当バンドにQRVしてくるDX局がありました。通常バンドなら当然ドパイルになるのですが、30mはまだマイナーで一部の愛好家がワッチしているくらいでしたから全くパイルにならず、せいぜい数分か数局待てば簡単にQSO出来たのです。 当局のような弱小局がエンティティー稼ぎするにはもってこいのバンドでした。しかし30mも通常バンドと何ら変わらなくなっています。 |
それでもこのバンドは当局にとっては楽しいバンドです。他のバンドと違ってこのバンドは年間を通じてDXのパスがどこかしこにあり、地道にさえ続けていればDXCC上がりのチャンスは巡って来るかも知れません。 |
2020年6月現在、wkd/cfmは309/307です(他に消滅エンティティーが4あり)。QRV始めてから11年間は50wにDPかバーチカル、20数年前に3エレ八木にグレードアップしたとは言え、現QTHは四方山に囲まれたロケーション、こんな運用環境で前記の数字は結構頑張っているのではないかと思っています。 QRV開始当初の目標は100エンティティーでしたが約3年かけて達成、次の200は更に約6年かかりました。そして300までは約26年かかりました。ここまで来ると年間1〜2増えるのが精一杯です。 他のバンドも同じなのですが、問題はショートパス方向に山のあるカリブとアフリカ方面をいかに増やすかです。ハッキリ言ってショートパスは無理なので、ロングパス狙いしかありません。特にカリブは年に数回しか聞こえません。 |
主たる目標はやはりDXCC追っかけ(メンコ集め)なのですが、それだけでは面白くありませんので、30mシングルBandでのADXA,WAZ,WAS,その他アワードなども目標として来ました。以下はその成果や状況です。 |
★1992年10月にJARLより受領(#1752),"10MHz CW"は特記ではなく注記です★
★1990年9月にDX−Magazineより受領,30mで100entityをcfmする(アジアでは最初の発行)★
(額に入れて飾っていたら肉筆の記載事項が薄くなっちゃいました。VP2MLのサインがあります)
★月刊59誌発行のアワード,4番目の発行でした。2002年10月現在cfmは285。★
WAZ |
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WAS 2007年1月現在、あと3州(Rohde Island ,Virginia ,Iowa)を残しております。Virginia州はカード待ちですが来ません。Rohde Island州は、E-Mailでスケジュールを組んだりしましたが、当局のロケではやはり苦しくダメでした。コンディションの良いチャンスを待つのみです。Iowa州はなぜかQRV局がいない?一度も聞いたことがありません。でもマメにW相手に運用していれば、遅くても来年中には完成するかも。 |
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WAC 十分に完成しているのですが、正直アワードは乗り気じゃないので申請していません。 |
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DXCC 2002年9月にARRLは当バンドのDXCCの受付を正式に発表した由。但しアワードNoは付かないとのこと。そのうち申請しようかと思っています。 |
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◆◆ その他のメジャーなアワードについてはまだ考えておりません ◆◆ . |
1989年頃は100エンティティー目指してかなりアクティブでしたが、CQ誌のDXコラムにもレポートをせっせと送っておりました。当時の30mバンドエディターはJH1DLJ・田中氏でしたが、30mのAce
of Aceに推薦していただき、1990年度のベストレポート賞を頂戴致しました。 前年度と前々年度はJH2CLV/2・望月氏が連続受賞でしたが、望月氏は当時の私のQTHのすぐローカルでして、夜な夜な30mのDX情報を交換しておりました。 余談ですが、この年の特別賞に、あの 3Y5X や VP6DI など数々の超珍エンティティーから運用されているJF1IST・藤原氏が選ばれ、授賞式でアイボール出来るのを楽しみにしていたのですが、緊急の所要が生じて出席できませんでした。残念!! |
★Ace of Aceの決定を報じたCQ誌と受賞者プロフィールの抜粋です★
カードの枚数が多いのでページ表示に多少時間がかかります。当局にとっては選りすぐりのカードですが、必然的にcfmはSASEが多いです。 |
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未だ30mにQRVが無いエンティティーは恐らく以下のようだと思われます。これは私の持ち得る情報の範囲での推定です。 |
P5 北朝鮮 .
上記以外のエンティティーは、JAからほぼ100%射落とされていると考えられます。 |
1988年夏から、モービルにIC−731とオートANTチューナーのAH−2を載せ、週末になると移動運用によく出かけたものです。当時はまだ愛知県春日井市に住んでおり、1991年春に現QTHの兵庫県養父市にUターンするまでの間、2エリアを中心に1,3,9,0の各エリアよりJCCサービスを主体的に移動運用しました。 中でも福井県丹生郡は、グリッドロケーターPM76という陸上ではほんのピンポイントしか場所が無い所よりQRVし、多くの局に珍ロケーターをサービスしました。運用地点の詳細はこちら。 当時の移動運用を整理してみました → 移動運用記録 |
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