阿育王(アショカ王)について
阿育王は紀元前3世紀、インドの摩伽陀国の国王であるが、伝説は釈迦のある日の出来事からはじまります。
釈迦はある日、弟子の阿難と遊行している時、土の塔の中に穀物を納めて遊んでいる2人の童子に出会う。その1人、徳勝という上族の子が、釈迦の三十二の大人相をそなえている姿を見て喜び、その土の塔から米麦を取り出して釈迦に献じた。その時釈迦は予言して言う「勝徳は我が涅槃後200年して生まれ変わって聖王となり、名を阿育王と号し、我が舎利を八万四千の塔に納め四天下に送り供養するであろう」と。
しかし阿育王は釈迦の予言とは反して、庶民を弾圧する悪逆非道の君主となってしまった。
そして「耶舎」という高僧がその非道を悲しみ、命がけの説得をした。その結果、阿育王は自らの誤りに気付き善心にたちかえり、仏教の厚い保護者となる。
そして耶舎は阿育王に仏舎利を供養し仏法を広げるために、八万四千の宝塔を造り、それぞれに仏舎利を納めて各国に贈ることを進める。
これが世に名高い阿育王による八万四千塔の造塔伝説であります。
そして釈迦が出会った徳勝(阿育王の前世)が遊んでいた時の土の塔が、まさに金塗塔の原型であり、その伝説を彫刻した750年以上前の石塔(泉州開元寺の鎮国塔)が今も中国に残っています。また金塗塔の形を残した青銅の物では西暦799年在銘の物も現存します。
備考)
なぜ八万四千という数字になるのか? それは釈迦の説いた教えは八万四千の法門があると言われています。その八万四千もの教えにならっているからです。