造形表現教育実践講座

第17回 幼児の描画と色彩

―色彩経験を豊かにする保育―

 

 

作品1「自分のお当番カード」(3歳児)

 

 

作品2「大好きな家族」(3歳児)

 

作品3「いろいろな味のアメちゃん」(3歳児)

 

写真1「コンテによる混色遊び」(4歳児)

 

写真2「自分でつくった色で描く」(5歳児)

 

作品4「おしゃれなクロネコちゃん」(4歳児)

 

作品5「家族みんなでお出かけしたよ」(4歳児)

 

作品6「動物の国」(4歳児)

 

作品7「スーパートラック」(5歳児)

 

作品8「公園で遊んであげる」(5歳児)

 

1 色彩感覚は乳幼児期の色彩経験に左右される?

「幼児の描画と色彩」というテーマを掲げると、幼児画に使用されている色によってその子どもの心理状態や性格を診断するようなことを連想する人は少なくないでしょう。

確かに、色彩が人の心理に様々な影響を与えたり、感情の表現と深いつながりがあったりすることは否定しません。しかし、特定の色彩(たとえば紫色)を病気や欲求不満の色だとして、医学的根拠の薄い病理診断をしたり、生き死にの予測をしたりといった占いまがいの類をここで取り上げるつもりはありません。

幼児期の描画活動では、四歳頃までは形への興味が中心であり、色彩には無頓着な時期がしばらく続きます。四歳前後から次第に色彩への興味と関心を高めながら、色彩を意識して使うようになっていきます。

このように、幼児は生活の中で出会う多様な色彩に触れながら色彩感覚を獲得し、造形遊びや描画活動の中で色を楽しみながら、自己表現に色彩を使うようになっていくのです。

生活環境や自然環境の中で触れる色彩も、造形活動の中で出会う色彩も、共に幼児にとっては大切な色彩経験なのだと言えます。

しかし、肝心の色彩感覚が形成されていくプロセスやメカニズムについては、十分な解明がされておらず、最近まで色彩感覚は、生まれつきに備わったものと考えられてきました。

従って、成長や発達と共に、誰もが同じように色を知覚し、理解し、表現するのであり、後天的な経験の意義については明らかにされないままだったのです。

しかしここに興味深い研究成果があります。色彩感覚は、生まれながらに持っているものではなく、乳幼児期の視覚体験によって獲得されるものである。と言うのです。「幼児脳の発達過程における学習の性質とその重要性の解明」 (研究代表者 杉田 陽一, 独立行政法人 産業技術総合研究所)の一環として取り組まれた実験研究の成果として平成一六年七月に発表されました。

この研究は、これまで生得的なものと考えられていた「色の恒常性」が後天的なものであることがサルを使った実験で明らかになったというものです。

「色の恒常性」とは、たとえば昼の太陽の下でも、夜の街頭の下でも同じ車の色は同じ色として知覚されるという性質のことを言います。色彩は光の反射によるものですから、その反射の元となる光源(自然光や照明光)の性質によって実際に見えている色は変化しています。にもかかわらず、同じものとして私たちは知覚することが出来るのです。

この「色の恒常性」は、人間が生まれつき持っているものと考えられてきましたが、こうした色彩感覚が後天的に、しかも乳幼児期に獲得されるものであることが明らかになったと言うのです。

つまり、色彩感覚は、生まれつきのものではなく、乳幼児期における視覚体験(色彩経験)によって形成され獲得されていくものであることがわかってきたのです。

2 幼児の色彩感覚

色彩に無頓着な段階−三歳〜四歳

 「なぐりがき」の段階を卒業して、何らかのかたちを描き出す頃の3歳児の描画活動を観察していると、色彩はそれほど重要な役割を果たしていない事に気付きます。たとえば作品1は、入園してしばらく経った三歳児クラスのお当番カードですが、それぞれに「自分」を描いています。どの子も色彩を自由に使い、顔の輪郭に肌色を使ったり、口に赤色を使ったりしていません。

このように、全色のパスやカラーフェルトペンなどを使った自由な描画活動でも、表現しているイメージに色彩を結びつけて使用している様子はほとんど見られないのが普通です。

 色彩に無頓着な段階がいつまで続き、特定のイメージと色彩を関連づけて表現するようになるのがいつからなのか、一般的な傾向を明確に示すには、個人差があり難しいのですが、その発達のプロセスには一定の段階があるように思われます。おおむね3歳の後半から4歳半ばあたりまでの幅で、身近な食べ物などから徐々に、固有色を表現に使いはじめるようです。

作品2と作品3は、3歳半ばの幼児の作品ですが、作品2は「大好きな家族」、作品3は「いろいろな味のアメちゃん」というテーマで描かれています。

作品2では、家族のひとりひとりを描く色を変え、それぞれが別の人物であることを表現しているようですが、肌色や目鼻口などの固有色には全く無頓着であることがわかります。

一方作品3では、「いちごの味」→桃、「みかんのアメちゃん」→橙、「こおりの味」→青、「卵のアメちゃん」→黄、「ソーダの味」→緑、と味と色を一対一で対応させていることがわかります。そして、その色はイメージに結びつく固有色です。

家族の絵でも、固有色ではありませんが、色と人物を一対一で対応させています。この頃には、単純ではあるが、イメージと色彩を結びつけようとする傾向が見られるようになり、果物のようにより単純にイメージと色彩を結びつけられるようなものから固有色を意識して表現するようになる事がわかります。

色彩で遊ぶ段階−四歳〜五歳

単純な固有色の区別を表現するようになるということは、身近な世界における色の違いに興味や関心を持ち始めていることを意味します。まだまだ描画活動では形への関心が優先しますが、複数の色彩を使って線を描いたり色を塗ったりすること自体を楽しむようになります。

こうした段階では、たとえば先生が用意した複数色の絵の具を使い、多色を活かした表現の模索が始まります。ですから、何かテーマを持って表現するような題材でも、たくさんの色を使う事自体を楽しむ遊びに走ったり、使い分けるべき絵の具を画面上で混ぜ合わせてその色の変化を楽しんで遊んでしまうことも多くなります。そのような子どもの存在にあわてる先生もいますが、それはごく当然の事なのです。

写真1は、コンテ遊びを楽しんでいる4歳児です。横に寝かせて使うと幅広の線が描け、手でこすると色が広がっていきます。隣り合った色と色とが混ざり合う変化の発見は、子どもにとって新鮮な驚きであり遊びの発見なのです。こうした発見や驚きを出発点にした遊びはコンテ以外にもたくさん考えられます。

写真2は絵の具の混色遊びで、チューブ入り水彩絵の具セットを初めて使う活動です。パレットに自分でチューブから絵の具を出し、水の量をコントロールするなど幼児には少し難しい点もありますが、適切な環境設定と支援により、それほどの抵抗もなく使いこなせるようになります。色が変化する驚きと、色を支配する喜びが子どもたちを夢中にさせます。

混色遊びは先生が準備した絵の具ででも出来ますので、4歳児の半ば頃からこうした絵の具の混色遊びを楽しむことが出来ます。

作品4「おしゃれなクロネコちゃん」は、先に黒一色でクロネコを描いて遊んだあとで、「みんなが描いたクロネコちゃんが、みんなみたいにかわいい、かっこいい服を着ておしゃれしたいなって言っていたよ」と投げかけると「おしゃれにしてあげる!」とパスで思い思いのきれいな服を着せてあげました。

「かわいい」「かっこいい」さらに「きれい」といった価値づける言葉が理解できるようになってくると、色彩を駆使して「かわいくしよう」「かっこよくしよう」「きれいにしてあげよう」と追求する活動が芽生えます。幼いんがらも美的価値の追求だと言えるでしょう。このように、この時期の子どもたちは、材料のおもしろさ、行為の楽しさを味わいながら、多様な色彩経験を積み重ねて美的価値観に目覚め始めるのだと言えるでしょう。

色彩を使う段階−四歳〜

色彩で遊ぶ活動を十分に楽しんでいるうちに、その一方で色彩を自分なりの表現に活かして使うようになってきます。たとえば先生が教え込まなくても、人物表現にも自然な色彩を用いるようになってきます。(作品5)

果物の次には、特徴のある動物たちの姿形と共にその色彩も再現し始めます。(作品6)四歳の後半には、ほとんどの子どもたちが再現的な表現には適切な色彩が使えるようになります。

色彩の使用は、単純に色彩感覚の発達に比例しているとは限りません。人間の各部分の色が適切に知覚されているからと言って必ずその表現にもその色彩を使うとは限らないのです。ある機会に人物を、それらしい色を使って表現したとしても、またその次の機会には全く違った色彩で表現することもありえます。

絵を描くその行為を通して何を楽しんでいるのか、何を伝えようとしているのかによって、色彩の使用はその都度変わるのです。作品7は「スーパートラックって何がスーパーなのだろう?」という投げかけから、それぞれの子どもたちが発想しイメージを拡げて描いたものです。

描きながら次々浮かんでくるアイデアや、次々と生まれてくるお話しを描き出すには、いちいちパスを持ち替えるのももどかしいようです。黒色のパスを握って一機に描き進めていきました。その後、さらに自分で必要を感じたところに色彩を加えていきましたが、それは、この子が色彩を必要と感じたところだけに止まっています。

このように、先生が無理に押しつけない限り、自分が満足のいく表現を追求する上で必要を感じた所にのみ色彩を用います。逆に言うならば、次々と想像を楽しみながらお話しを広げていくような活動では、多色を無理に使わせるのではなく、むしろ単色に限定することで、集中して表現に向かえるようにしたほうが良い場合もあるのです。

使い慣れたパスなどであれば、技術的な抵抗も低く、どのように使うかは子ども自身が選択し決定することが出来るようになります。作品8は、登場人物の特徴を、髪型や着ている服のデザインの違いで表現しようとしており、その中で自然に人物も彩色されています。さらに、遊具の色の違いや花の葉の葉脈まで描きだしています。

人物の色を肌色、鼻をオレンジ、口を赤などという概念色で塗り固めさせるような指導は、子どもの自由な視覚体験や色彩経験を妨げてしまいます。むしろ、このような過剰な指導をするのではなく、自然な色彩との関わりや多様な表現のありかたを認めて受容していくことが大切なのです。

まとめ

 冒頭で、乳幼児期の視覚体験が色彩感覚の形成に重要な役割を担っていることを明らかにした実験研究を紹介しましたが、この研究のグループ長である杉田陽一氏は、色彩、物の動き、空間の認識など、複雑な視覚情報を認識する脳の機能を解明しようとしている研究者です。

杉田氏は「大脳皮質は生まれた後の環境にうまく合わせて神経回路のネットワークを組み変える。これがいつごろ組み上がるのか、組み上がる前後の違いは何なのか、間違って組み上がったときはどこが違うのかを調べるのがテーマ」と語っています。

こうした「組み変え」が言葉を話し始める前から始まることがわかってきた事から、乳幼児期からの経験が重要であると指摘しています。

では、やはり早教育のようなことが大切なのかとの問いに次のように答えています。

「本当の頭のよさは、細胞がネットワークを新しくバランスよく組んでいけることです。そのためには偏った英才教育をするよりも、年齢の違う子どもや大人と交わってよく遊ぶことが大切です。」

今回ここで紹介したように、はじめは色彩に無頓着な幼児が、造形遊びや描画活動を楽しみながら多様な色彩経験を積み重ねていく中で、自分らしい色彩表現が出来るようになっていきます。「大脳皮質の細胞が自らネットワークを新しくバランスよく組んでいける」という難しい言葉は、色彩の経験でいえば、このように色彩経験を豊かにすると言うことと捉えることも出来ます。

そして、早くから概念的に色彩の使用を教え込むような「英才教育」はかえってマイナスになるのであり、多様な直接体験による色彩との出会いや触れあいを十分に楽しみ遊ぶことが大切だと言うことなのでしょう。

作品1のお当番カードは、数年前までは、すべて顔はペールオレンジ(うすだいだい:以前は肌色と呼ばれていました。)で丸を描き、さらに同色で塗り込まれ、その上に黒で髪の毛と目、オレンジで鼻、赤で口が描かれていました。

「お顔は何色ですか?」「肌色ですね」「みなさん肌色のパスを持ってください。」などと全員に順序立てて同じ色を持たせて描かせていたのです。しかし、先生が言うとおりに描ける子はごく一部で、訳がわからずなぐりがきや意味不明な形態を描いてしまう子も多く、それを手取り足取り無理矢理、顔に見えるように描かせていたのです。

「どうすれば、きちんと顔を顔らしく描かせることが出来るのですか?」という質問に、「なぜ肌色で顔を描き、オレンジで鼻を描くことが「顔らしい顔」なのですか?」と聞き返したものです。幼児の色彩感覚の実態を無視して、大人の思いこみで「概念的に色を教えこもう」としていることは少なくないようです。

 

 

保育案1(PDF)

 

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