第5話  −峠を歩く−



今回の遍路では、山上の札所に行くための山道の他に、道中いくつかの峠を通りました。近年、新しくトンネルが開通したりして、必ずしも峠道を歩かなくても良いのですが、「国道か峠道か」ということになると、時間がかかり、しんどいのはわかっていても足は峠道の方に向いてしまいます。そしていつもの事ながら、歩き始めると、「やはりこの道を選んで良かった」と思ったものです。
でも、「オレは○○日でまわった」と、速さを自慢したい人は、まずこういう考え方はしないでしょう。最短距離を選んで、ただひたすら歩くということになるのでしょうネ。それもまた一つの遍路の仕方、人それぞれということでしょうか。

「焼坂峠」(H=228m、高知県・36番青龍寺〜37番岩本寺)
5/14、民宿「あわ」を出てすぐに山道に入ります。手にしたうちわでクモの巣を払いながら歩きました。二箇所ばかり鎖が付いている急な上りもあり寂しい道です。ひとり歩きの女性遍路もこんな道を歩いているのだろうか、などと考えながら歩いたものです。頂上が須崎市と中土佐町の境になっていました。
頂上を過ぎてからは、なだらかな道になり落ち葉を踏みながら気分よく歩きました。ウグイスが実に楽しそうに鳴いていたのが印象に残っています。

「そえみみずへんろ道」(H=409m、高知県・36番青龍寺〜37番岩本寺)
5/14、この日二つ目の峠越え。変わった名前の道ですね。古くから遍路たちもこの道を辿っていたといいます。
麓で、農作業のおばさんから呼び止められて飲物とお菓子のお接待を受けました。その上丁寧に道の説明と、「反対側に下りてから左にいけ」と注意してくれました。後になってこの忠告の有難さがわかるのです。おばさんのこの注意がなかったら完全に道を間違えるところでした。

「松尾峠」(H=290m、高知県・39番延光寺〜愛媛県・40番観自在寺)
5/21、高知から愛媛への県境にまたがる峠で、古くから土佐と伊予の両国間の往来に利用された峠道です。昔、松並木があったそうですが、戦時中、軍の命令で舟の用材として伐採され、松根油を採るため根まで掘起されたそうです。"根こそぎ"ってこういうのを言うんでしょうね。今はその掘起した跡が残っていて、そこにいきさつを書いた立札があります。
頂上付近には大師堂跡があり、ボランティアの僧が協力者と共に堂を再建しているところです。わたしも幾ばくかの寄付をさせてもらいました。
※後日、この人が高見 真宏という方であることを知りました。
高見さんのHP:http://www.henro.org/takami/

「柏坂の峠道」(H=450、愛媛県・40番観自在寺〜41番龍光寺)
5/22、柏から大門までの約七キロの山道。野口雨情の詩歌を書いた碑や民話の説明板がいくつも建っています。山道は大抵 1人で歩きましたが、ここでは珍しく途中から新潟のK さんと同行することになりました。
K さんは山が好きというだけあって、自分が行った山のこと、山の歩き方など、たくさんの話を聞かせてくれました。雨上がりで蒸し暑く汗びっしょりになった峠越えでしたが、Kさんの話は一服の清涼剤でした。

「歯長峠」(H=450、愛媛県・42番佛木寺〜43番明石寺)
5/24、42番佛木寺を過ぎてまもなく6キロほどの山道に入ります。途中、県道と峠道の分岐するところの標識に「楽をとるか苦をとるか、それはあなたの胸三寸」と書いてありました。歩き始めるとなるほどかなりの急坂ではありましたが、やはりこうしてしんどい道を歩くのが遍路にはふさわしい、歩くということ自体が修行だというから、と思い直しました。
(「僧の修行は、歩く・座禅・読経」と書いた本があった)

「鳥坂峠」(H=460、愛媛県・43番明石寺〜大洲)
5/25、峠の入口には番所跡があり、昔は多くの旅人・遍路が往来したと説明がありました。山道に入ると、待っていたかのようにたくさんの鳥の声が聞こえてきました。
登り道で長さ50p以上もある大きなミミズを見かけました。太さは1.5センチぐらいで、色がなんと鮮やかな紺色をしているのです。大きさはともかく、紺色のミミズなんて初体験です。最初は電線の切れ端でも落ちているのかと思ったくらいです。
下の方から聞こえていた車の騒音がぴたりと聞こえなくなったのは、ちょうど鳥坂トンネルの真上を横切っている場所にきたのでしょう。

【ちょっと一服】
 鳥坂峠の下り道で休憩していると、草むらから一匹の沢蟹が這い出してきた。バナナの皮をちぎってそっと投げてみると、右手のハサミで少し触れて口のところにもっていって味見?をしている。イケルと見たのか、今度は両方のハサミで抱えて、草むらに5センチばかり引っ張り込んだ。そしておもむろに右手のハサミで少しずつ食べ始めた。奴さん、これでも人目につかないように隠れたつもりらしい。
 しかし一分もしないうちに蟻が三匹現れて、バナナの皮の上を忙しく走り回りだした。こんな獲物をカニさんだけに任せておくわけには行かないとでも言うように。さあこれからどうなるのだろう?自然界はいっときも停止することなく動いている。
頭上からは、ホトトギス・ウグイスなどの鳴き声が降ってくる。遍路道中での安らぎのひととき。

「槙谷経由岩屋寺へ」(H=770、愛媛県・久万町)
5/27、ここも国道・県道を行くルートがありますが、こういう場合は山中の歩行者専用の遍路道を選ぶのがわたしの定石です。山に入る手前の槙谷というところで、奥さんと二人で米・野菜・果樹を作り自給自足の生活をしているというおじさんと立ち話をしました。遍路道の草刈りもしてくれているということでした。
よく晴れた日には、途中から霊峰石鎚が真正面に見えると聞いていましたが、今回はだめでした。
岩屋寺は標高650mで、文字通り切り立つ岩を背にしています。今夜の宿は温泉がある国民宿舎「古岩屋荘」です、宿の前も大きな岩がそびえていて、このあたり一帯は日本離れした景観を呈しています。

「三坂峠」(H=702、愛媛県・46番浄瑠璃寺へ)
5/28、国道33号線を歩き、三坂峠からは車の通らない遍路道を下ることになる。峠までは、国道で車が多かったが、標高が高く風が涼しかったのが救いでした。峠のドライブインで昼食休憩。ここからいよいよ松山市内に入ります。

「女体山」(H=776、香川県・87番長尾寺〜88番大窪寺)
6/12、前山ダムから大窪寺までは四つのルートがあります。そのうち女体山を越える道はバス通りを行く道より4キロ短いが時間は一時間余計にかかるという。ここまで来たらもう急ぐことはない、迷わず山越えを選びました。山頂近くは胸突き八丁の急斜面、山頂からは高松市街・瀬戸内海が一望です。
ここを下ったら最後の大窪寺。下り道には多くの「結願」記念の札がぶら下がっていました。

この他にもまだいくつもの峠を通過しましたが、何れも自然豊かな道で大いに満足できました。
これ以上書いても同じようなことで、くどくなりますので、この辺でやめます。


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