徳川四天王の一人、井伊直政は関ヶ原の戦いによる戦功により、石田三成の居城・佐和山城を与えられる。が、三成の居城であったこと、古い縄張りを嫌い、新しい城を別に築くことを計画する。しかし、直政は関ヶ原の傷が癒えず、1602年に死去。 その後、家督を継いだのは直継であったが、直継は幼少であった為、徳川家康の命により尾張、越前藩など7ヶ国12大名に手伝わせ築城を開始。 天守の完成は1606年で、それと同時期に直継が入城。全ての工事が完成して彦根城が誕生したのは1622年である。