歴史
此隅山城は応安5年(1372)山名時義によって築城された。
応仁元年(1467)、応仁の乱が始まると、西軍総大将・山名宗全は此隅山城に諸国より兵を集結させ京へと向かい、東軍と対峙した。
永禄12年(1569)羽柴秀吉による第一次但馬征伐によって此隅山城は落城、山名祐豊は新たに築城した有子山城を居城とし、此隅山城は廃城となった。
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難易度 ☆☆☆☆☆
アクセス ☆☆☆☆
データ
- 所在地
- 兵庫県豊岡市出石町宮内
- 通称
- 此隅城、子盗城
- 形式
- 山城 (標高 140m/比高 130m)
- 遺構
- 曲輪・堀切・土塁・竪堀
- 築城者
- 山名時義
- 主要城主
- 山名氏
- 築城年
- 応安5年 (1372)
- 廃城年
- 永禄12年 (1569)
- 開城時間
- 常時
- 入城料
- 無料
- 休城日
- なし
- 駐車場
- なし (出石神社に無料駐車場あり)
- アクセス
- JR山陰本線『豊岡駅』より バスで約20分『出石神社』下車 徒歩10分
- 播但自動車道『和田山IC』より 約50分