御着城は永正16年 (1519)に小寺正隆によって築城された。
当時の播磨では大規模なお城であり、三木城、英賀城と並び播磨3大城の一つである。
天正5年(1575)、羽柴秀吉が中国地方攻略の一環で播磨を攻めると、小寺政職は家老・小寺孝高(黒田官兵衛)の進言により一度は織田方につくが、後に別所長治、荒木村重が信長に反旗を翻すとこれに同調。
天正7年(1579)、秀吉は三木城を支援していた播磨諸城を攻め御着城も落城した。