感状山城が築かれたれた時代は、『播磨古城記』『岡城記』などによると,鎌倉時代(1192年~1333年)に瓜生左衛門尉が築いたとする説と、建武3年(1336年)赤松円心の三男赤松則祐(そくゆう)が築いたとする説があります。
建武年間(1334年~1336年)、足利尊氏の追討をしていた新田義貞の率いる軍勢を赤松円心の三男則祐が奮戦し50余日
にわたり足止めをした結果、足利尊氏の反撃の機会を与えることとなったことは歴史上有名です。この功績により足利尊氏が,赤松則祐に感状を与えたことから感状山と呼ばれるようになったといわれています。
感状山城は総石垣による曲輪の構えから考えると,当初からのものではなく、後世に手を加えたもので、戦国時代(1467年~1568年)にこの周辺を支配した宇喜多(浮田)氏の手によって改修されたものではないかという説もあります。
<相生市ホームページより>
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
物見岩より |