稲荷櫓 天守台
天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、一度は織田信長が領国とする。後に、本能寺の変で信長が自刃すると徳川、北条氏の間で甲斐争奪戦(天正壬午の役)が起こり、勝者・徳川家康が甲斐を領有した。
翌、天正11年(1583)、家康が重臣・平岩親吉に命じて築かせたのが、この甲府城である。
尚、開発に飲み込まれた現在の甲府城は当時の甲府城の一部でしかなく、実際はもっと大規模なものであった。