蔓延する「居合」の波に呑み込まれない為に
 居合についての現代人の認識は主に各種出版物やウェブ上の動画などにより形成されているのかもしれません 
 「時代小説や座頭市の映画の影響もあるでしょうか 巻いた畳表を切るのも居合です
 緩く手掛けした刀をゆるく抜き始め鞘離れしてから振り回す全国組織の団体も在ります
 あるいはあたかもそこに極意が秘められているかの如く先人の言い伝えを頑なに居合として守り続ける人々も居ます
 かくのごとく現代は居合で表される内容が多岐にわたり掴みどころのないものになっていると感じています
 私達は「居合」とは 敵の不意の攻撃に対して防御を主目的とする日本刀を駆使した武術(刀法)であると考えています 
 故に稽古会の名称を一般に称される様々な「居合」と区別する意味で「日本刀の刀法研究会」としています
 更に刀法の基本は体術であり体裁きであると考えることから刀の介在しない格闘技の要素も常に念頭に置いて稽古しています
 

 内容についてのご意見やご教示は下のメールアドレスへお願いします   
            刀法研 主宰 野々村耕二   yubiwasogakuin@ares.eonet.ne.jp   090 8366 2984
  


日々の気づき

※日本刀の刀法研究会では「居合に正解は無く.
あくまでも方法論である」と捉えています
このホームページの内容も信じてはいけません 全ての伝聞を疑い自らの身体を使って試してみること 確認することをお勧めします

居合の伝承は四百年に渡る伝言ゲーム ー伝えられる内容の取捨選択は私達に託された楽しい課題ー


※「居合は防御」を考える
連盟居合の教本に居合は防御という根本的な思想が見えないことによって一本目の抜き付けの〈要義〉が法的・倫理的観点から誠に不都合と考えます
「敵の殺気を感じ機先を制して抜き付ける」とは第三者の目にそして現代の法律に照らせば犯罪です 法律で救われるには「相手の不意の攻撃に対して柄頭や鍔などでの防御の体勢からいち早く鞘を外して攻撃に転ずる」でなければなりません〈動作〉に至っては
静かに刀に両手をかけは相手を威嚇し正に先制攻撃の殺気を感じさせる動作に他ならず相手の瞬時の攻撃に対応するスピードにおいても全く合理性を欠いていますね 

※日本刀の刀法研究会を始めてから度々出会うのが竹刀剣道との違和感です (本当は随分前からなんですが)
立ち技で爪先体重・踵体重の使い分けは刀を扱ううえで大切です 剣道のように爪先一辺倒では刀と身体は一体化できません 刀は腕や上半身のみで支配するものではありませんからね
また一般の人々の間に刀法の大本山は剣道という認識が強くあるように思いますが刀法つまり日本刀を扱う方法は様々な場面で剣道の体捌きと対立することが多いと感じています 
それは一言でいうと道具(竹刀)を支配するのか道具(刀)に身体を合わせるのかの根本的な認識の差であると認識しています 振り被ったときの肘の曲がり 手の内の働きを隠す防具等々 

タメ(居付き)を作らない為の注意
☆爪先一辺倒の足の運びや飛び上がろうとする動作(剣道家は要注意) ☆振り被りの切っ先が水平より下がる動作(全剣連居合では強く指摘 水平を保つための根拠は他にもあるが)
☆柄頭を自らの臍より左や下から抜こうとする動き(居合は防御という意識が無い) ☆手掛け時のグリップ指の働きを知るこれはむずいかな? 等々

※筋肉は骨格に繋がっています 重い刀を振れるようにと筋力トレーニングをするような愚かな真似はしないで下さい 甲野善紀先生の指摘する内燃機関のない時代の人々の体裁きが原点

無双直伝英信流山内派を知りたければ品格と知性で山越正樹先生の 京都山内派無双直伝英信流居合術をお勧めします 
山越先生の居合は重く長い刀を自在に扱い古流の型を踏襲しつつ緩慢な動きは一切ありません 正に「木鶏」を彷彿とさせられます

甲野氏の著述に居合の達人の話が出てきますが「居合の達人」とは講談や時代劇の創作であって剣術の達人が即ち抜き付けにおいても達人ではないですかね
また防具のない状況での「鍔迫り合い」や時代劇でよく見る「峰打ち」なども殺陣師の創作か 反りのある日本刀を逆に使うなどとても考えにくいにくいですね
手の内
※最近になって体捌きと刀の運動を一致させる為の究極の接点は指であると感じています 掌と認識していたのですが 掌はグリップを深くしてしまい微妙な「手の内」が機能しません 刀の軽重、長短にかかわらず強くて滑らかな太刀筋を生むのは指の動作に支配された巧みな手の内です

日本刀の刀法と手首の働き
直伝の片手早抜きを手首の動きの訓練などと宣う人が居ましたが日本刀の刀法において手首を使うことはまず無いと考えます
「手首」と見えたのは手の内「指」の働きを手首の働きと誤認したものでしょう  自らの全身の動きを直伝の早抜きなどで試してみて様々に実感することが大切ですね
脇
※手掛けと合掌 脇を締めて肘に促された両手はそれぞれ柄手と鞘手となり胸の前で防御の位置で出会った瞬間に爆発的な抜き付けを生むがそれはあたかも神仏に対する合掌の仕草に似る 
脇を締めるのは格技の鉄則  身幅で刀を扱うためにも脇を締めるのは当然です  肘の向きにも要注意 決して外を向かない 無意識の柄手は庇い手の延長の直線運動
円を描くのは切っ先の軌跡です 柄手(拳)は直線上の最短距離を動く  この端的な運動を刀を腕と肩で振り回している人はご存じですか?

※武道(術)は芸術に通じるか?

※全居連(古流)などの一見無駄でスマートでなく見える動きも その原点を
想像で辿ってみれば合理性に裏付けられた伝承である可能性が見えてきました
居合の伝承は四百年にわたる伝言ゲームであるから そこに潜む様々な可能性について推理することは刀法研究の楽しみですね
【無双直伝英信流の河野百錬先生から伝えられたのか?(真偽不明)鞘もろとも引き出す防御の仕草から間髪を置かず鞘のみを引き戻すとことで鞘離れを実現する 刀身の動きに注目すれば連盟居合一本目のそれと全く同じです】以上連盟居合に参加しなかった河野百錬先生に連なる人の受け継いだ技に「居合は防御」を匂わせる動きを見つけました私の独りよがりか?

浮身
※足首の反転と合わせて爪先で常時床を感じる必然を思い出しています  浮身に繋がると信じています

正座の位置からディフェンスを意識して抜き打ちするとき瞬間立てる軸足のつま先に体重が乗るのは「居付き」でしょうか?抜き付けのパワーは得られるんですけどね?

鞘を外す
※居合とは「刀を抜くのではなく鞘を外すのである」ことにようやく思い至りました「柄口六寸」とはその教えを現わすのか?黒田鉄山先生の動画を見たら名人ばかりになると思いました

※柄手の手掛けと居付きの関係?
 柄手のグリップによって身体全体の動きが瞬間的にロックされると感じるのは私だけか?
  身体の動きを制限する何某かの力を感じます
武道としての抜き付けを志すなら柄手鞘手のグリップの間を惜しむべ

※稽古で手首や肩肘その他関節部を痛めたことはありませんか? 患部に過度な負担を掛けていることが原因と思います 痛みを軽減するには関係する関節部を連動させて使うことで患部の負担を軽くすることが出来ます それが刀との一体感を得ることに繋がります 上達のチャンスかもしれません
体重移動
※様々なスポーツを知ることは毎日居合だけを稽古するよりずっと効果的  バスケットボールの練習を見て両足体重からの瞬時の体重移動を再認識しました(洋のつま先体重) 正面の切り替えの妙 フェイントの基本等学ぶことはいっぱいありますね 
抜重(和の踵体重)剣道の洋のつま先体重は反転に遅すぎる 武道は主に和の踵体重で即座に反転が可能

刀は背筋で振ります。ゴルフのクラブや野球のバットと同じです 投球にも通じます
刀を振る動きは体軸から捻りが始まる 道具を身体の延長のように扱う 振り上げた刀にぶら下るという感覚は解りますか ゴルフの山下美夢有さんのスイングを参考に

※両股関節に均等に体重を乗せること 均等に体重を受けている股関節での体重移動が最も早く無駄な動きがない 

※肘は柔らかく伸ばして打突(五輪の書?) 刀は小さく上げて大きく下ろす 振りかぶりに必須の意識であり肘が伸びていないということは肘から先で刀を操作することに繋がる 更に左から右の自然な捻りを阻害する 肘から膝を腰で捌く 振り被った刀は床に平行  二の腕は耳の脇まで  刀の振り下ろしは肩甲骨から

※刀を反転させることが切る基本であることから刀の経回転と緯回転を知ることは大切 刀の経回転と緯回転の間に防御と攻撃の妙はある 

              

着座から始まる丹田の役割 左と右・右と左 身体の各部分の動きを認識することから体捌きは始まる 踏込み足と送り足の関係もまた身体の右と左です 膝から下で踏み込むことの認識が必要

※剣道連盟の居合道教本の一本目の動作を「両つま先を立て」で始まる解説は誠に理にかなっていると思うのですがこれを忠実に稽古させず両踵を立ててお茶を濁している現状はとても居合とは言えない 速さにおいて確実に後れを取ります  連度ではなく必須です 足首を返すことが重要なポイント 教本の両つま先を立てるを考える場合に避けて通ってはだめですよ 決して踵を立てるのではない
送り足
※全剣連の送り足は軸足のひかがみが伸びた瞬間が正面への打突の時 つまり軸足の詰め 直伝の送り足は方向にかかわらず打突の瞬間に強さを担保する足 何れも両足体重
剣道連盟の指導者に直伝には送り足が無いという人が居ましたが「血ぶるい」「受け流し」「付け込み」など刀の振り切りと同時に両足を揃える足は送り足と考えています 抜重にも通じるか?
剣道連盟のように一正面に対してだけの送り足とは剣術が明治維新に歩兵の軍事教練に取り込まれたことに起因するのではないか?

※立ち技の踏込み足の膝の位置知っていますか? 振りかぶりの切っ先の位置と合わせてご注意ください 股関節からの体重を受ける膝 踏込みの膝 送り足の膝 反転時の軸足の膝 爪先からの始動を伝える膝 なんでもかんでも膝々々 

※筋力を節約する膝の使い方は大切つまり骨格を意識すること筋肉は骨格に繋がっています 様々な動きに必須の認識 股関節から膝、足首、爪先の連携の運動はいつも意識すること 

直伝英信流の正座の部の一本目から四本目は踏込み足がそれぞれ右左交互に出ますがいずれも相手を確認してから抜刀は始まります 防御から攻撃という居合の本質に照らして行うなら回転しながら相手の動作を確認もせずに鞘を外すのは違います 抜刀の間は4本とも同じでなければならないと思います 全剣連居合居合道教本の二本目の記述に再考の必要があるのでは?

※直伝英信流で左右の順に手掛けするのは何故?居合は防御からの発想と関係はあるのか?関係があってほしいなぁと思います  

※直伝の正座の部「前」の抜き付けはがま口に抜きなさいって聞いたことありますか?そのように抜き付けた切っ先は連盟居合と同じだけ遠くまで届きます  
連盟居合より切っ先が20センチも手前を通るのはだめ

※技名は伊達についていません 「附込」「行違」など動きを表現している筈です今一度考えてみましょう

※直伝英信流山内派の「追風」と「信夫」はいかにもご都合主義の解釈に違和感があります 
特に直伝山内派の「追風」については居合の技前とはとても思えません 直伝の一派から得たであろう夢想神伝流の「虎乱刀」にむしろ合理的な伝承があります 

※「附込」
は摺り上げて立ち上がる時に左足軸は不合理 右足を軸でないと相手との間合いと打ち込む時間の間合いが違うと思います 私が受けた教えが違ったのか?