陽だまり絵本通信 
NO,191 2015・121

















          家具調テレビの再利用が鳥小屋だって。でも、よかった。

 使い捨ての時代です。我が家も、電気を全部LEDに替えました。なにも、政府に言われたからではありません。電気代の問題です。テレビも、何時からか薄型になり、大分経ちます。そういえば我が家も、家具調テレビのカチャカチャというチャンネル回しの音が。そこまで行かねばチャンネルは変えられず、リモコンという便利なものがある薄型に変えられました。チャンネルだけでなく、いろんな機能がついていて、なかなか使いこなせず、もう20年近くなります。チャンネルも増え、一人一台の時代になり、ゴールデンタイムという家庭団欒の時が少なくなりました。変わってほしくないものが変えられていく、そんな哀愁のようなものを感じるこの頃。守旧派だ、やっぱり、と思います。

  さようなら  テレビくん


 『ゴールデンタイム』―――稲葉卓也・原作、絵 長谷川義史・文 白泉社

 
絵本の表紙のような家族団欒の主役は、家具調テレビでした。お父さんはビールを飲みながら、猫は片目をつぶって、子どもたちのウルトラマンか何かに興じる姿に見入っている、温かな団欒の姿です。テレビが語る口調で、長谷川義史さんの文章です。長谷川さんの文章は、『じゃがいもポテトくん』のように、簡潔でリズミカルな、心に沁みる文章です。「文・長谷川義史」も楽しいものです。
 世間の憧れだった家具調テレビ、こんな私が廃品置き場に捨てられるなんて、時代の流れ。墓場みたいなところで猫のぬいぐるみも一緒。焼かれる順番を待つなんて、私はまだまだ元気で映るのに。猫だって、ゼンマイを巻いてやると動きます。このあたりの絵は長谷川さんのですね。『ぴかぴか』の田畑精一さんの絵とも似ています。
 ある日、仲間のテレビを積んだトラックが。「まだまだやれますよ」と、必死で訴えたのですが。気がつけば、お腹の中を空っぽにされて。ぼろ布をお腹に巻き付けて、恥ずかしい。もうダメ、何の役にも立たないと、自ら廃品の山に登って処分を待とうと。その時、猫のぬいぐるみが足元にしがみついて、処分されるのが怖かったのね。巨大なクレーンが吸いつけようとやってきましたが、私は木ですから。金属のアンテナとコンセントだけもっていかれました。
 猫のぬいぐるみも、ゼンマイがとれて、動かなくなっていた。空っぽのお腹の中に猫を入れて、廃品の山を捜しまわりました。ここが感動的。わたしのお腹に巻いていた布が、ボロ布の旗のようにはためいて、その下にゼンマイがおちていたのです。その時,空っぽの私の胸に希望の火がともったような気がしました。絵も感動的。ゼンマイをまいてやると、猫がケラケラ笑って。ゴールデンタイムの頃の自分を思い出していました。こうして、それなりに楽しく暮らしていたある日。トラックが私を乗せて走りだしました。
 朝です。子どたちが学校へと急いています。私のお腹の中も賑やかです。私のゴールデンタイムです、とテレビくん。ぽん。ニワトリが卵をうみました。とってもあったかい卵です。テレビは喜んでいますが、ぬいぐるみの猫は残されてどうなったのでしょう。いろんなことを考えさせられる絵本でした。

  この頃、めっきり寒くなりました。寒い上に、寒さを倍増する事件が起こっています。日本の難民に対する門戸の狭さは、遠いヨーロッパのことだと済ませることはできません。言葉も知らない、生活習慣も違う人々との生活は、とっても難しいでしょうが、過激派でないことを条件に、もっともっと門戸を開いてはどうでしょうか。そんなことを置きざりにして、常任理事国入りはもの笑いの種になります。

              
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