陽だまり絵本通信 
NO,188 2015・10・15















                         よく似た二冊です

 二冊の絵本を前に、しばし沈黙。よく似ているようで、似ていない。しかし、表紙の絵はよく似ているなあと思いながらよみました。『あな』『あなに』の題字は同じ色だけれど、『あなに』の方が控え目。丸と楕円の色も控えめで渋い。穴のなから見上げる蝶と反対に、穴を見下ろす集平さんの本は、小さな花か?絵が似てると言うより、「40年の年月が、絵本の中で今日の青空に溶けていきます」という帯の言葉に、谷川さんの思いが隠されている、深い絵本なんだと思います。『あな』を描かれたときは、40年経った後に、こんな絵本が出るなんて、谷川さんは思っていなかったでしょうが。

 
 
『あなに』ーーー長谷川集平・作  エルくらぶ

 キャッチボールの絵本と言うことです。東日本大震災とどんなかかわりがあるのかなと、不思議に思って絵本を読みました。キャッチボールは二人の交流をあらわしています。福島から来た「しろうくん」。楽天のユニフォームを着ているのだそうです。このキャッチボールは、福島と私たちの交流。
 横長の見開きにキャッチボールはぴったりです。「転校生のふくしましろうくん」とのキャッチボール。おかあさんが来ても、妹が来ても,しゅうじくんが来ても、やり続けました。「やだよ」と二人で答えるのですから。
 福島から来た福島くんなのでしょう。この言葉をキーワードにして読んでしまいます。キャッチボールのうまいしろうくん。いつまでもキャッチボールがしたいのです。妹がおやつにしようと呼んでも、サッカーが好きなしゅうじくんが誘っても、二人はキャッチボールをしつづけます。お父さんはミュジしゃんなのでしょうか。まるで、長谷川集平さんとそっくり。 後ろにそらせたボールが、工事中の穴に落っこちたって、しろうくんが言いました。二人で穴を見に行ったけれど、近寄ることもできません。月曜日、学校帰りに穴を見に行くと、穴は埋められていました。「ここに、大事なものが埋まっている。「ぼくら二人の」と思うのです。大事なボールだから。何もないかのように埋められてしまうのは困ります。「ぼくら二人の」大事な心の通い合いを、穴の中に埋められたしまう。悲しいことです。
 福島でもたくさんあるのでしょう。肉親の遺骨すら、うずまって見つからないそうです。二人の大事なキャッチボールも、同じように埋められてしまうのでしょうか。










 
『あな』――ー谷川俊太郎・作 和田誠・画 福音館

 一生懸命穴を掘るひろしくん。日曜日、何もすることがなかったからです。おかあさんが聞いても、「穴掘ってる」としか答えません。妹が、「私にも掘らせて」といっても、「だめ」。隣のしゅうじくんが、「何するんだい、この穴」と聞いても「さあね」。お父さんは、「あせるなよ」と言うと、「まあね」。額の汗が、どんどん増え、ひろしはがんばってます。もう、背よりも深く掘りました。両親とも、好きにやらせてくれるのがいいですね。
 背丈りも深くなった穴。穴の中で坐って見上げる世界は、新鮮なものでしょう。「これは、ぼくの穴だ」という気持ちわかりますね。イモ虫と「こんにちは」と言った時、肩の力が不意に抜けて、見上げる空はいつもより青く、蝶が飛んでいく。「ぼくのあなだ」という、なんとも言えない気持ちなんですよ。
 おかあさんが尋ねても、「穴の中に坐っているだけさ」。妹が、「お池にしょうよ」と言っても、「ダメ」。しゅうじくんが、「落とし穴にするの」きいても、「さあね」。おとうさんは、「なかなかいい穴ができたね」というんだけど、「まあね」。誰も入れてやらないんだ。僕の大事な穴だから。
 ひろしは立ち上がり、穴を出た。暗い穴だ。僕の大事な穴だと言って、ゆっくり埋めもどすんですよ。誰にも邪魔されたくない、誰にも侵されたくない、僕の大事な穴。

 二冊の絵本はよく似ています。どちらも「ひろしくん」ですね。おかあさん、いもうと、しゅうじくん、お父さんと、登場人物はおなじ。違うのは、福島から来たしろうくんだけ。このふくしましろうくん、震災と関わってとは、長谷川さんは書いておられませんが。

              
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