陽だまり絵本通信 
NO,175 2015.3.15
















                     もう、4年もたったのですね
 もう、4年もたったのに、福島の現状はあまり変わりません。孫の代までかかるだろうとお年寄りは言われます。放射能汚染は百年かかると言われていますから当然のことでしょう。立ち並ぶタンクの多さ。そのタンクには、さびがあって、そこから漏れだす汚染水は、確実に海を汚染しています。そのタンクは、日に日に増えていくのですから、あそこでもここで漏れだして行くのでしょう。誰かさんの言うように、「囲いの中に,完全にブロックされている」とは、言いがたいのです。年に何百個のタンクができるのでしょうか.林立するそれを見ていると、恐ろしくなります。韓国などでは、日本の魚は今でも買わないそうです。同じ敗戦国でありながら、ドイツの原発に立ち向かう姿に、拍手をおくります。
           
         




  








  『ほうれんそうはないています』―――鎌田 実・文 長谷川義史・絵 

 こんなに元気なほうれん草。おじさんとおばさんはよろこんでいます。おひたしやバター炒めもおいしいよ。でも、ぼくは食べられません。米もそうです。食べられません。牛のおちちもそうです。飲んでもらえないのです。魚もそうです。食べられないのです。子どもたちは元気に走っていますが、放射能には姿がないのです。危ないよと言ったって、何も見えないのですから。
 おじさんが泣いています。おばさんも泣いている、どうしたのかな。海も空も土も、みんな泣いているのですか
ら。僕らは、「いただきます」って、食べてほしかったんたよ。おいしいよって、ほうばってほしかった。なのに、なぜ。僕らにはわからない。僕らが、何か悪いことしたの。
 海はずっと命を育んできた。空も、美しい空気をくれ、すべての命のもとになる雨や陽の光を惜しみなくくれた。土は私たちか゛食べる野菜や稲を育ててくれた。「もう泣きたくない」と、絵本は最後に言います。「泣かない」のではないのです。泣きたくないのです。私たちに大きな課題を突き付けています。どうすればいいのでしょうか。これからの私たちの生き方にかかっています。一生懸命生きてきたほうれん草の悲しみをみんなのものにして、放射能を許さないで生きたいと思います。



  『つなみてんでんこ
 はしれ 上へ!―――指田 和・文 伊藤秀男・絵 ポプラ社

 「てんでんこ」という言葉は、東北地方に伝わる言葉で、「津波のときには、てんでんばらばらに逃げろ」という意味だそうです。一人ひとりが自分の命に責任をもつ。それが家族を守り、しっかりと逃げて命を守り切ること。それか゛一家全滅という、つらく悲しい思いはさせないと言うこと。そんな願いの込められた言葉であるそうです。伊藤さんのダイナミックな絵が、津波の恐ろしさを余すところなく描いています。
 ぼくが授業を受けていると、大きな地震があった。これは、その一部始終を語り、絵にあらわしたものです。助けあいながら坂を上り、そこが危なくなったので高い山に。園児を含め、600人ほどの子どもたちが、2キロの坂道を走り、登ったのです。上へ、上へ、走るんだと。ページの途中、見開きになっていて、津波から逃げる子どもたちが、必死で逃げる姿が描かれています。
 山の上に着いたとき、涙が止まらなかった。目の下は津波で流されている家や人が。トラックが助けに来てくれて、ほくたちは避難所へ。学校の体育館に、いっぱいの人が。それを細かく描いています。お父ちゃん、お母ちゃん、爺ちゃんも、みんな無事で、家を流されたぐらいで、落ち込んでいちゃだめたなとお父さん。まだ家族に会えない子もいた。
避難所の明るい顔が描かれ、子どもたちは別の小学校の子と一緒に遊べてうれしそう。まだ、家族に会えない子がいるけれど。一人ひとりの子どもの表情が細かく描かれていて、子どもたちの思いがくみ取れます。
 爺ちゃんと海を見に行った。爺ちゃんは、「人間は海からめぐみをもらうばっかりで、付き合い方を忘れていたのかもしんねぇな。」という。福島の現状を知るたびに思います。本当に人間は、海を守ることを、もっと考えねばならないでしょう。このお話は、岩手県のお話です


                                   
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