田母神俊雄航空幕僚長について

2008年12月13日



長らく、更新できず、すいませんでした。

今回は、田母神さんの事について、一言述べてみます。

えー、実は大まかな話はニュースなどで聞いているのですが

細かい事情等もあるかと思うので、とりあえず、wikipediaで田母神さんの

事を調べてみました。

その後での私の考察であります。


まず、第一に私がいいたいのは「侵略」とは「定義」が定かでない事。

国際連合にて「国連総会決議3314」という決議がなされ、一応、今日では

これが「侵略の定義」とされている(?)のですが・・・

これに従うと最終的には「国際連合安全保障理事会」が決定する事になるのです。

拒否権を持つ国などは、拒否権を行使する事で、いかなる行為でも

侵略にならない訳です。

明らかに、怪しげな定義であります。

このように、「定義」のあいまいな「侵略」という言葉を公の場で使うのは

相応しくないと、私は思います。

「日本は侵略をした。だけれでも、私は侵略とは何か説明出来ないのである。」

このような、発言を一国の総理大臣がされた事こそが非常に問題であると思います。

田母神さんの「侵略国家はぬれぎぬ」との発言は、「侵略」の「定義」が定かでない

という事実と照らし合わせて考えれば、十分に納得のいく主張であると私は思いますし

少なくとも、日本人であれば当然然るべき主張であると思います。

すくなくとも、「定義」の怪しい「侵略」という言葉の悪用に日本政府が積極的に荷担する

事の方が国際秩序の破壊への荷担と同じ行為になるという事を知らなければなりません。



つまり、村山談話を日本政府は基本的に踏襲しているのですが、むしろ、そちらの方が

おかしい訳です。

ちなみに、村山元総理大臣は「天皇陛下の戦争責任」については、村山談話を持って

天皇陛下(昭和)に責任があるとする意図は全くないと述べている。


で、田母神さんは有事の際には、命をかけて日本国を守るという自衛隊のトップで

あった訳ですが、そのような人が日本国を愛する愛国者であった事に私は一国民として

誇りにも思いますし、安心も出来ます。

今、日本は仮想敵国がソ連から支那に変わり、尖閣諸島の中国からの奪還作戦を

想定して、日夜過酷な訓練を行っているのです。

そのような、自衛隊のトップが誤った政府見解を否定する立場である事の方が

よほど健全であろうかと、私個人の意見として述べさせてもらいます。

ただ、自衛隊のトップという立場での政治的思想の自由な発言という事には

たしかに、選挙権の行使以外には、ある程度の制約があるのも然るべきで

あると思います。

なので、事前に届出なしに懸賞論文に応募した事に対して「更迭」という

厳しい処分が下った事に対しては、個人的には厳しすぎると思いますが、

政府が決めた判断なので、それには従うしかないと思います。


で、ここから、私が強く主張したいのは、政府の覚悟についてです。


今、日本で「国旗」は「日の丸」、「国歌」は「君が代」と法律で制定されています。

しかしながら、公立の学校で公務員である教職員が入学式や卒業式などで

その「国旗」「国歌」に対して、不起立や不唱和などの職務放棄を行う事がしばしば

あるようですが、今後、このような不適切な行為に対しては「懲戒免職」でもって

挑むだけの覚悟を示してもらわなければ、田母神さんへの厳しい処分は

断じて納得する訳にいきません。

子供たちの教育とは、日本の未来の創造・構築そのものなんです。

そういった、教育の現場で教師が、子供たちの前で職務放棄や上司の命令に

反抗するなどして、不適切な行為を行うなどは言語道断であります。

その姿を見てしまった子供たちの心の傷を考えると、日本の未来そのものの破壊

ですらあります。

そのような教師には、懲戒免職で対処しなければ、田母神さんの今回への処分との

バランスが取れません。


「特定の思想・信条を持つ者が、不当に重い処罰を下される」


このような事が許される社会こそ、戦後民主主義が否定してきた

言論の自由がない社会そのものであります。



P,S この件に関しましては、続編を書くかもしれません。