健全な心と健全な体

平成12年4月20日



よくテレビに出てくる身体障害者を見ていると、不自由な体にもめげず心清らかな

人物という設定が非常に多いように思えます。

しかし、実際の身体障害者はそうなのでしょうか?

答えは否です。

健全な体には、健全な魂が宿る(宿れかし)という言葉を

聞いた事があると思いますが、これは健全な体の人間には

せめて健全な心が宿ってほしいという祈願文らしい

(つまり、実際には健全な体の持ち主には不健全な心が宿っているといっている)

この言葉は確かにもっともと思わせる部分もある。

が、身体障害者は心の美しい人たちと安易に結び付けられては困るのだ!

身体障害者であろうと、高齢者であろうと、部落であろうと

健常者同様心の曲がった奴などいくらでもいるのだ!

いや、むしろ多いのではないか?

それは、マスコミとかがやたら無責任に社会的弱者というだけで

同情的な部分ばかり強調して報道し、批判的な部分は

あまり報道しないという偏った姿勢をとり続けたせいで、

とにかく、自分の弱いところを前面に押し出してそれを逆に武器にして

無理難題言う奴や自分の不正を正当化する奴が多い。

例えば、知恵遅れの子供を買い物に連れて行き、バスに乗り、降りる時に

「うち子供身体障害者なんやで、それやのに金取るんか?信じられへんわーこの運転手

ちょっとあんた、名前言い 福祉課の**さんへ言いつけたる」

などと、盗人顔負けのおばちゃんまで登場する始末。

その昔山口百恵さんの著書「青い時」の中で百恵さんが父親に対して

「病気や貧乏、孤独など自分の弱さを振りかざして娘に骨だけは拾ってほしい

といった父を私は恨む」というような記述がありました。

そろそろ結論付けますが、決して私は身体障害者がロクデモないといっているのではないのです。

身体障害者の中に、障害があることが何か自分の特権か権力みたいに勘違いしている馬鹿がいる

そして、その温床となっているのが、マスコミや学校教育にあると言いたいだけです。

正しい事を正しく正したいだけです。

余談ではありますが、オウムの麻原は身体障害者です。(彼は弱視)