格差社会について

2009年1月22日



「格差社会」という言葉をよく聞くようになりました。

そして、「格差是正」という言葉も同じように・・・

今回は、この「格差社会」というものについて、一言述べてみたいとおもいます。

まず、「格差」のある社会、つまり、低所得層と高所得層にハッキリと分かれて

いく社会という風に捉えていいと思いますが、これが、「悪い事」なのか?

と、いう所から考察していきたいと思います。

まず、その年の国家予算を決めます、それが、その年の税金の徴収額です。

そして、国民の年収を計算します。

「今年は250万円以上の収入は全て税金です。それ以下の収入の人は

不足分を還元します。」といった社会なら格差は無いでしょう・・・

そして、医療費や学費は全て無料です。

このような共産主義国家(みたいなもの)を本当に望んでいるのでしょうか?

こんな社会になると、みんな、仕事意欲を無くして、怠け者ばかりになる事は

明らかでしょう。

結果、国家全体として経済の成長も止まりますし、どんどん、貧困になって

ゆく事も容易に理解できると思います。

日本は、「資本主義社会」と「民主主義」を採りました。

民衆は「頑張って稼いで、より良い生活をする」という「夢」を「実現」する事が

出来るようになったのです。

ただ、それだけだったら、いわゆる「社会的弱者」などは、どんどんと取り残され

貧困層となって、満足な生活も出来ないといった事態にもなりかねません。

しかしながら、日本は「福祉国家」でもあるのです。

弱い人達も「福祉」という形で救済して歩んできました。

収入の少ない人や障害のある人などは、電車の運賃が安いとか、税金が減額や

免除されるとか、母子家庭には手当てが支給されるとかです。

そして、企業も本来なら「自社」の利益だけを追求していきそうなものですが、

様々な形で国に貢献して(させられて)来ました。

勿論、それは、日本は民主主義なので、政治家も企業の利益ばかり優先させて

いたのでは、選挙で落選してしまいます。

その反面、企業からの献金なども貰う為、企業をないがしろにして、国民(労働者)

に媚を売ってばかりでも、政治資金が無くなってしまいます。

日本の政治家は、有権者の票を得る為に、国民の利益と企業の利益を両立

させる政策を採らなければならなかったのですが、見事にそれを成功させて

日本は、国内に貧困層を取り残さず、国民も豊かになり、企業も潤って、そして

国家も潤ったのです。

これを評価して、世界で共産主義を成功させた唯一の国「日本」とする意見も

ある位です。(共産主義者は認めたがらないみたいですが・・・)

しかしながら、共産主義の根本である「弱者を見捨てない」「労働者が主役」

は、どうみても日本で成功した事は事実であります。

義務教育で全ての国民は学校へ通い、生活保護によりどんな人間でも

最低限度の文化的生活が保証されているのですから

そして、労働さえしていれば、世界でも最も裕福な部類の生活が難なく

手に入る国家であるのです。

概ね、共産主義(社会主義)を標榜している国の国民(市民)の生活水準と

日本の生活水準を比べれば明らかであります。

共産主義(社会主義)は、国民すべて貧困層にして、それを「平等」と

いう言葉で「装飾」しているのが現実なのです。

さて、何だか話が長くなってきた感じでありますが・・・、つまり

「格差社会」とは、人より頑張って働いたら、その分だけ裕福な生活が

出来る社会という事の裏返しであります。

「努力が報われる社会」と言い方を変えれば、すごく良い印象に変わります。

大前提として、「格差社会」を悪いもの、間違ったものとは考えません。


そして、世界で唯一、社会主義を成功させたとまで評価される、この日本の

貧困層を取り残さなかった国と企業の努力をよーく、理解して欲しいのです。

元来、企業は民間なので、「公僕」ではないのです、国家の「奴隷」でも

ありません。

にも関わらず戦後、60年に渡り、日本の企業は本当に絶大な

貢献を国家にして来たと思います。

そして、いつしか日本は「世界一豊か」な国になっていました。

世界一豊かな国で生まれ育った世代は、物心ついた時から

全ての物があるのが当たり前で育ってきました。

しかし、そんなものは当たり前でも何でもないのです。

「豊か」「平和」などは、毎日お日様が上がってくるのが当たり前の様なもの

ではないのです。

「不断の努力」によって「維持」しなければならない代物なのです。

その「不断の努力」を怠った結果として

今この日本があるのです。

先祖の人達が、必死に働いて、国家の復興の光明を掴みました。

そして、その国家を譲り受けた、私たちの世代はその豊かな国家を

使用はするけれど、「維持」する「不断の努力」はないがしろにしてきました。

選挙の投票率など見れば明らかでしょう・・・

50%もいかない事も多いくらいです。

皆、他人任せなのです。

「きっと、誰かが何とかしてくれる」

「政府は、早いとこ、何か救済の案を出してくれ」

「政府は、いつになったら、俺たちを救済してくれるんだ」

「政府は、俺たちを見捨てる気か!?」

と、聴いているこっちが恥ずかしい様な発言も時折、耳にします。

殆どの人間は「俺は国家の為に何をしなければならないのか?」と

考えないみたいで、非常に残念です。

大事なのは、

「国に何かをして貰う事ではなく、国の為に何をするか?」

なのです。

自分達の生活の事ばかり考えている間に、私たちは国民の生活を

守ってくれない国会議員ばかりを輩出させてしまったのです。

民主主義の手続きを踏んで、合法的に国会議員となった連中が

国会で、可決成立させた法案によって、今日の日本は出来ているのです。

非常に残念でありますが、「民主主義のルール」に則ると、どんなに

日本国民の生命と財産を破壊してしまうような法案であっても

国会議員が国会で可決成立させた法案であれば従わざるを得ないのも

事実であります。

しかし、私たちには、選挙の時に、「選挙権」を行使する事が出来るのです。

この国は「主権在民」なのです。

もっとも、だからこそ、今の日本は紛れも無く日本人の民意の現れなのです。

良くも悪くも、健全な「民主主義」の結果なのです。


そろそろ、「結論」付けていきますが・・・


「格差社会」は「資本主義社会」なら当たり前、問題なし。

ただし、「福祉」が疎かになっていない範囲での話。

食べていけない貧困層などを生み出す程の「格差」は「是正」の対象と考えます。

そして、その「格差社会」を企業の責任にする意見には反対します。

企業に「格差」を生み出さないようにする「義務」なんてありません。

同様に「国家」にも「格差」を促進させるような事を積極的にはして貰っては

困ると考えますが、「資本主義社会」は「実力社会」でもあります

「機会」さえ「平等」なら、努力次第で結果が違っても問題なし。

むしろ、その方が「健全」であると考えます。

だから、非正規労働者などが「格差社会」の犠牲者(被害者)みたいな立場で

文句を言ってるのには、残酷かも知れませんが「自己責任」と言わせて貰います。

(勿論、様々な状況の中には、時代の流れの中で落ち度無く、非正規労働者

に成らざるを得なかった人間もいますし、努力していたにも関わらず、正社員として

採用される事が叶わなかった人間もいる事は承知してます)


先に述べた通り、文句を言ってる人間は政治家に文句を言う前に、そういった人間を

選挙で選んだ人間に文句を言わなければならないはずです。

結局は、それは自分自身に返ってくる事なのです。

そういった意味も含めての「自己責任」でもあります。

何だったら、選挙に立候補して、当選して、その文句を実行しても良いでしょう。


兎にも角にも、これまで通りの日本を望むのなら、私たちの生活水準の見直しも

しなければならないでしょう。

先祖の人達が豊かにしてくれた、蓄えを浪費していれば、必ずいつか底をつきます。

今の日本人の働きぶりと、生活水準と比べると、あまりにも贅沢で

稼ぎ以上に浪費しているのは明らかです。

ニートや生活保護の不正受給、母子手当ての不正受給など、国民のモラルや民度は

著しく低下しています。

少なくとも、社会保障費は国の財政を苦しめている事は確かです。

昔は日本人も、皆、真面目に良く働いて、それでいて、あまり無駄使いや贅沢は

せず、貯蓄するのが好きな民族だったんですが、

今では、働かない(奴も多い)、贅沢はする、といった感じになっています。

現実の日本で、もう、これ以上、皆が皆、これまで通りの満ち溢れた豊かな生活

が出来るだけの国の豊かさが続かなくなったのです。

「格差社会」は否応なしに受け入れなければならない「現実」であります。

これまで、最後尾の人間まで、椅子に座れていたのが、人数分の椅子が

ないので、遅れた人間から、椅子に座れず立っていなければならない

という状況になっています。

ただし、逆に「努力」次第では、これまで以上に「結果」を出す事が出来る

ようになっていく事も確かでしょう。

高卒で社会人になって、1年目で年収1000万円なども「実力」次第で可能な

そんな時代になっていくのではないでしょうか?

前回の「一言」でも最後に触れましたが、これから日本の指導者となって

いく人間には、最下層の人達が生活に困らないように考えられる事が

大事だと本当に思います。

「格差社会」は「少子化問題」とも直結している問題です。

「少子高齢化社会」へ突入していく中で、本当に日本国民の生活を守って

くれる政治家を選ばなくてはなりませんね。

格差社会の底辺の人間も安心して、結婚して、子供を作って、暖かい家庭を

持てる社会がこれからは必要です。

決して、贅沢は出来なくても、子供の成長が一番の楽しみだと、思って

幸せに暮らしてきたのが、この日本なのです。

月の稼ぎが15万円でも、安心して暮らしていけるような「環境」を構築する

事が出来ればいいのですが・・・

少なくとも、昔は貧しい家庭もありました、が、決して、それでも暖かい家庭

は築けてましたし、子供たちが頑張って立派になっていくというのも

珍しくなかったはずです。


えー、何だか、かなりの長文になりましたが、ここまで、読んで頂いた方々

厳しい時代に突入しましたが、共に日本国の復興の為に頑張りましょう。

最後まで、お付き合い、ありがとうございました。