中国での大地震について

2008年6月10日



先日、支那(中華人民共和国)において、大地震が発生しました。

まずは、災害に被災した多くの方々に対して深い同情を致します。

で、日本の報道などを見ていると、救助隊を派遣する事や自衛隊の派遣の検討などと

いう動きが盛んに見受けられるようになりましたね。

最終的には、こういった災害時において、72時間を越えた位から救命率は極端に低下する

というのに、その72時間を越えてから救助隊が派遣される事になりました。

当初、外国の援助は拒否されたらしく、もっと、早く受け入れていれば・・・、みたいな

事を報道されているのも見ました。

自衛隊の派遣も最終的には許可が下りずに派遣が見送られたと伺っています。


今回の日本国の対応、ならびにマスコミの報道のあり方に真っ向から「NO」と

声を大にしてあげたいです。


まず、支那という国がどのような国であるか?

これを知る必要があると思います。

あの国の命に対する価値観、生命観、生命倫理、これらの事に少し目を向けましょう

支那という国は人口が公称で13億人という大変多くの人間がいてる国です

そして、支那政府が人口が多すぎてこれ以上増えないように「ひとりっこ政策」を

行っている国なのは、皆さんも承知の事と思います。

そういった国において、諸外国から臓器移植希望の患者が支那にいくと

何故か、適合者の臓器が都合よく手に入って移植が出来るという事実があります。

死刑囚からという事に表向きはなっていますが、年間の死刑執行件数よりも

多いので、過去の逮捕者などの血液データなどから、適合者は適当な理由で

粛清されて、臓器を切り抜かれているのです。

邪魔な人間を間引き出来て、高価な値がつく、中国共産党にとっては一石二鳥な

訳ですね。

このような、生命倫理、価値観の国において、地震などの災害の時に人命を救助する

などという事が果たして、一体どうのような意味を持つのか?

疑問に思いませんか?

人間の命を邪魔だと(大体共産国は人命軽視になるという歴史的な事実がある)思う

国にあっては、災害時に人命を守るという概念も意味を持ちません。

日本なら、非常口などを設けて、火事の時などでも火の手の反対側から逃げていく

通路を確保したり、その非難口がわかりやすいように、停電しても非常灯や誘導灯などで

明かりを確保したり、消火器の設置や非常ベルなど、事細かに災害時に人命を守る取り組み

がなされているのが常識になっていますが、

恐ろしい事に、日本の生命尊重の考えが、そのまま、非常識になるのが支那です。


で、人民解放軍が大量に現地に派遣されて、現地を実効支配する体制を整えてから後に

外国の救援隊(西側の)を受け入れた事から、わかるように、人命救助よりも優先しなければ

ならなかったのが、現地の住民の武力による制圧、監視です。

テレビでは、救助活動やらの映像を流してましたが、日本の自衛隊と違い、人民解放軍は

軍隊なので、基本的に戦争で人を殺す事しか訓練されてません。

彼らの出来る事は人を虐殺する事ですよね。

72時間という人命救助にとって、かけがいの無い貴重な時間をどうしても

西側に知られたくない現地の情勢などが世界の耳目に触れないように

工作する為に使わざるを得なかったのです。


おそらく、直ぐに現地に西側の勢力を入れてしまうと、現地の住民が支那政府による

搾取や圧制、ひょっとすると虐殺などの非人道的な行いを訴えかけるかもと怖れたのでしょう。


更に、あの国では「福祉」という概念もまた、驚くほど希薄です。

震災孤児は勿論、生きていけませんから、死ぬ運命です。(殺される運命?)

働く事の出来ない体になった人も生きていく事が出来ない国です。

つまり、日本の救助隊が瓦礫の下から、仮に生存者を掘り返しても、粛清される

のがオチの国なのです。

そんな、国で粛清される命を必死こいて捜索する事のあまりにも意味の無さ。

単なるパフォーマンスなのです。


あの地震でコキントウが思った事は

「あぁ、ラッキー、これでチベット問題の矛先が外れるぞ、ついでに、人命救助の

陣頭指揮でもすれば、イメージアップにも利用できる。」


てな、もんでしょうな・・・・

ま、自衛隊が派遣されていたら、50年の歳月を経て、人民解放軍が行った虐殺を日本の

自衛隊のせいにして、働けない体になった人や、親を失った子供たちを日本人達は

笑いながら、生きたまま土を掘って、そこに埋めた。

なんて、事をでっち上げて、謝罪と賠償を要求される事になっていたでしょう。

まことに、歴史に学ぶ事の大事さを痛感させられますね。