火垂るの墓について・・・

2007年11月14日




火垂るの墓というアニメが毎年のようにテレビで放映されているようですが

今回はこの作品のあり方について意見を述べたいと思います。

当ホームページをご覧の方の中にも、「火垂るの墓」を見たことがある人は

少なくないと思います。

この作品は作者の実際の体験を反映した作品であるとの事です。

作品の内容は戦争中の都市空襲で母親を殺されて、孤児になった主人公の14歳

の少年と4歳の妹が、いわゆる戦災孤児となり栄養失調で死んでいってしまう

という内容のものです。

詳しい内容の紹介はここでは、省かせて頂きますが、作品で描かれている描写は

おおよそ、当時には珍しくなかった事であると思います。



では、いよいよ本題に入らせて頂きます。

私はこの作品を「反戦」の題材として子供たち(特に小学生)に見せる事に

大反対であります。

この作品は最初に都市空襲によって、米軍の焼夷弾で母親が焼き殺されるシーンから

物語が進んでいくのですが、こんなシーンから始まるアニメを見て「戦争はよくない」

「戦争は悲惨だ」「二度と戦争はしてはいけない」と発想していく事の意味を今一度

よく考えなければいけません。

ちょっと、難しい事ですが、戦争とは正規軍人同士が相手を殺傷する場合において

これを合法とします、勿論、毒ガスなどの非人道的な兵器の使用や捕虜の殺害など

例外もあるのですが、大原則は一般人は殺害してはいけないのが戦争のルールです。

少なくとも、国際法上は民間人の殺害を認めてはいません。

つまり、主人公の母は、戦争による犠牲者ではなく、戦争中の犠牲者なのです。

都市空襲で使われた焼夷弾は瓦を突き破って木造家屋を燃焼される目的で製造され

使用された、民間人を殺戮する為の爆弾なのであります。

このような戦争犯罪の犠牲者戦争の犠牲者の区別が理解できるのは

概ね高校生くらいからだと思います。

つまり、この作品は戦争中に戦争犯罪で殺されたお母さんの死を、戦争の犠牲者と

誤解してしまいやすい作品つくりになっている事が第一の問題点であると思います。


更に、先に指摘した論点を考察していくと、同時にもう一つの問題点が浮かび上がってきます

それは、「愛するものを殺されてしまう」事の捕らえ方の問題です。

実際に当時の国民の多くは、都市空襲で家族を失った時に「日本軍がさっさと降伏しないから

こんな目に遭うんだ、早く降参してくれないとこれからもどんどん犠牲者が出るじゃないか!」

「日本は一日も早く降参するべきだ!」という声を全くと言っていいほどあげせんでした。

家族を殺された人間の当然の心情として「おのれ鬼畜米英どもめ、いつか大きくなって兵隊さんに

なったら、おまえらを沢山ぶち殺して、殺された母ちゃんの仇を必ず取ってやるからな!」と

なるのが当たり前です。実際に都市空襲で日本は民間人も戦意が高揚し、軍民一体と

なって戦い抜く頑強な精神が出来上がっていったのです。


この作品を小学生などに「反戦映画」の題材として教育の場で使っている人達は今一度

胸に手を当てて、自分の愛する家族が殺された時に自分がどういった気持ちになるか

を想像して下さい。

最近では、飲酒運転の厳罰化が盛んになっていますが、刑が軽すぎると、家族を奪われた被害者の

無念と犯人に対する怒りの声が世論を動かしてなされている事をよくみて下さい。

「年間1万人の死者の犠牲に成り立っている車社会の犠牲になったんだ、日本政府は一日も早く

車社会を捨ててくれなければ、これからも車社会の犠牲者は無くならない」「反車社会が

一番大事だ」、と主張する声は聞いた事がありません。


家族を殺されたシーンから、「反戦争」を教える事はあまりにも想像力の欠如では

ないでしょうか?


少なくとも、当時の国民の感情を正確に描写していないとは断言できます。

都市空襲によって、国民は皆、戦意高揚し鬼畜米英と徹底抗戦する覚悟を強くしたのです。

ちょっと、長くなりましたが、今回は、読者の対象を高校生以上を想定して文章を

作っていますので、少し難しい言葉使いもあるかもしれませんがご容赦下さい。



さて、次に作品の内容に関してでありますが、主人公の少年は母親が殺されてから

親戚のおばさんの所に身をよせますが、妹を甘やかしておばさんを困らせます。

もともと、父親が海軍の軍人さんで、生活は結構豊かだったみたいな設定になっており、

母親がいる時は、割と恵まれた生活を送っていたみたいです、が、その母親がいなくなったので

当然ですが、それまでと同じような生活は出来なくなるのです。

しかし、主人公の少年は父親の貯金が沢山あったので、それを切り崩してやりくりしていれば

そのうちに父親が帰ってくるから、それまで待っていればどうにかなると甘い判断で

おばさんの家を出て、自炊を始めます。

おばさんにとっては、家の手伝いもしないで妹を甘やかしてばかりのお荷物が自分から

出て行くというのですから、願ったり叶ったりだったでしょう、決して、追い出されたのでは

なく、自らの意思で家を出て自炊を始めるのです。

そして、当たり前のように、世の中、そんな甘いはずはなく、14歳の子供が4歳の妹の面倒を

見ながら生活していけるはずもなく、妹はどんどん衰弱していきます。

農家のおじさんも親切に「おばさんの所へ頭を下げて帰った方がええ」と諭してくれますが

そんな事を聞きはしません。

衰弱する妹を前にしても、自分の安いプライドを優先されたのです。

個人的には、ここで主人公はおばさんの所へ謝りに行かなければならなかったと思います。

そして、妹は栄養失調で死んでしまい、自身もそれからしばらくして同じように野垂れ死にます。

14歳は確かに子供ではあります。しかし、自分は何も出来ないのに、勘違いして

「自分は何か出来る」と思いこみ、その結果、妹を衰弱死させてしまうというこの

無謀な行為を今一度、よく考えてみましょう。

妹の死は浅はかな兄に殺されたとも言えます。

これは、14歳の子供だから仕方ないで片付けられません。

衰弱する妹、親切なおじさんの助言などあったのです、まして、おばさんという帰れるかも

しれない場所もあったのです。

彼の周りで起こった不幸は、彼の努力で回避できる可能性があったのを

彼は自身のプライドの為にその可能性をつぶし、妹を死なせ、自身の野垂れ死という

最悪の結末を招くのです。


彼の不幸は、彼自身の責任から招いた不幸なのです。

勿論、空襲で母親が殺されなければ、彼に降りかからなかった不幸である事は事実でしょう。

そういう意味では、彼の親の躾にこそ原因があったのですが・・・


で、ここで、知っておいて欲しいのは、あの時代主人公と同じように、戦争犯罪の都市空襲で

親や家を失い「戦災孤児」となって、不幸な目に遭った子供達は本当に沢山いたのです。

子供だけではありません、大人もおなじです。ある人は旦那を、ある人は我が子を、家屋や

仕事を失い、それでも歯を食いしばって、真っ当に努力を重ねて生き抜こうとしたにも関わらず、

その努力が報われる事もなく、不幸な最後を迎えた人達も大勢いたのです。


努力が報われずに不幸になった人達と、この作品の主人公の不遇を同列に並べる事は

当時を必死に生き抜き、今日の復興と繁栄を築き上げた人々への侮辱であります。

はっきりと言えば、

この主人公の不幸は戦争のせいではありません。


もしも、「反戦アニメ」の題材として使うのであれば、努力したにも関わらず、戦争中という

時代の中で、その努力が報われず不幸になった主人公を使うべきです。

それでこそ、今の努力が報われる社会のありがたさが解り、平和の尊さを知る事も出来るのです。


努力しないで不幸になったのを戦争のせいにするのはいけません

ならず者の不幸の原因を無理やり「戦争」に転化して、「反戦」のネタにするのは

真っ当な教育ではないです。「思想教育」です。

このような事を行っている教育者は、「恥」を知ってもらいたい。


今回は、かなり辛口な意見を述べているように思われるかもしれませんが、

「反戦」とかのテーマを抜きにして、一つの作品として見て批判しているのでは決してありません。

この作品を「反戦教育」の題材として使う事に限った場合のみに対しての意見です。

一作品として、当委員会から、批評を出す事は致しません。