原爆や都市空襲を戦争行為としたがる輩へ

2008年7月28日



今回、急遽この「一言」を作成しました。

理由は、「探偵ファイル」「ひめゆりの青春」を読んだからです。

この記事の中で筆者は思想的には偏っていないと名言しており、

記事の内容自体も無差別殺人のニュースに対して、命の尊さを訴えかける

という趣旨であり、そういった筆者の姿勢は全く批判する意図はありません。

が、しかし、死んだ人間を批判するのであれば、それなりの知識や勉強を

してからでなくてはならないのでは、ないでしょうか?

生きている人間ならば、間違った非難に対して反論することも、あるいは

相手を訴える事も出来るでしょうが、死んだ人間にはそれは出来ません。

ましてや、その記事で非難した相手は昭和天皇ではありませんか!

国民の象徴とされる相手を非難して、勉強不足で事実無根の言いがかり

だった場合にどう責任を取れるというのでしょうか?

ある人物を絶賛するならば、勉強不足でも、或いは構わないかもしれません。

勿論、私的には、それもどうかと思いますが・・

昭和天皇が人の命を重んじ、戦局を精査していれば沖縄戦で
十数万人の民間人が死ぬことも無かった


もちろん、原爆も東京大空襲も


筆者は、これが「事実」であると、断言していました。

私は、これが、全くの間違いであると断言いたします。

もっと、はっきり言えば、「気違い」と断言致します。

天皇陛下を、何の知識もないまま非難するなんて、日本人ではないでしょうが・・


まず、天皇陛下は勿論、日本政府も軍部も日米開戦を回避するべく、譲歩の極みと

まで言われた、「甲案」「乙案」を提示、それでも、開戦を回避できなかったのは

当時、アメリカ国内の法律で、大統領といえど、独断で宣戦布告できないというものが

ありました、が、その法律には交戦国の同盟国とは大統領の権限で宣戦布告が出来る

とされていた事に理由があります。

つまり、アメリカはドイツと戦争がしたかったのです、その理由はヨーロッパでの

権益を狙っていたからです。

しかし、ドイツに戦争を布告出来ない為に、同盟国の日本を追い詰めて

日本にアメリカ相手に戦争を始めざるを得なくするという作戦を取ったのです。

それが、経済封鎖(ABCD包囲陣)やハルノートなのです。

そして、都市空襲はアメリカが行った大虐殺であり、戦争行為ではありません。

戦争中に行ったというだけで、民間人を標的にした都市空襲は、断じて単なる

大虐殺でしかありません。

では、何故、アメリカは都市空襲を行ったのか?

その理由は「原爆の完成までに日本が降参してしまっては困る」からです。

もしも、アメリカが軍事施設に的を絞って空襲を行っていれば、日本は戦争遂行に

必要な戦車や戦闘機は勿論、機関銃や弾薬もままならず、どれだけ戦争を続けたい

と思っても、物理的に戦争遂行が不可能となって、降伏していたでしょう。

それが故に、軍事施設は温存して、日本の木造家屋を燃焼させる為に焼夷弾を

開発し、非戦闘員である民間人の頭の上にばら撒いて、多くの罪の無い人々を

焼き殺したのです。

これと、同じようなことは前回に「火垂るの墓について・・・」で書きましたが

このように、平然と罪もない人間を焼き殺せる相手に降伏する事を、当時の

日本人が躊躇ってしまったのは、俄然納得が出来る事ではありませんか?

勿論、戦局の打開が絶望になった時点はありました。

しかし、だからといって、自分たちを大虐殺している相手に降伏する事など

簡単に出来るはずはないではないですか?

降伏しても、皆殺しにされるかもしれないなら、命ある限り戦い抜いて

一億総玉砕を、と、なっていく中で、天皇は最後の御膳会議において

「朕はもう止めにしたい」と発言されて、日本は民族の滅亡を回避出来たのです。

また、自身は絞首刑まで覚悟をなされた上で「復興という光明を掴む」可能性の

為にポツダム宣言の受託を決断されたのです。

このポツダム宣言受託の知らせ、いわゆる「玉音放送」とは

アメリカによって、家を焼かれ、愛する家族を焼き殺され、あるいは仕事を失い・・

それらの被害が泣き寝入りしなくてはならなくなった瞬間でもあったのです。

原爆の被害も泣き寝入りです。

日本の戦後復興は、国土が焦土と化し、多くの優秀な人材が戦争で散ってゆき

正義すらも奪われて、そこから出発したのです。

その時に、全国を歩き回って国民を励まし続けられたのが、一体誰だったか!?

今日の豊かな、そして平和な日本は昭和天皇の賜物といっても過言ではありません。

今回は、ちょっと、感情的になって過激な一言となってしまいましたが

ご容赦ください。

国の美しい未来は「愛国心」こそが根本であると当委員会は確信します。

天皇を中心とした神の国

この言葉の意味を大事にしたいものです。