杏林大付属病院での冤罪事件とマスメディアの人権侵害について

2009年4月17日




過去の一言(その1 その2 その3)

前回につづき、少し補足として、もう一言つけ加えます。

この杏林大付属病院の耳鼻科の医師(以後N医師と呼びます)が

先日、刑事・民事の双方で完全なる「無罪」「冤罪」が確定された事を

取り上げましたが、その後のメディアの対応について、思ったことを少し・・・

その昔にオウム真理教がサリン事件を起こした事に関連して、河野さんという人が

冤罪による逮捕をされて、後日、事件に関係ないことが判明したという事がありました。

ま、河野さんの場合は真犯人が別にいて、完全な冤罪でしたが

N医師の場合は、診療行為に対して法的に責任があるかないかを争点に行われた

冤罪事件だったので、ちょっと、ニュアンス的には二人の冤罪は違う性質かもしれません。

しかし、共にマスメディアによって「犯人扱い」されたのは同じです。

日本の裁判制度では「推定無罪」とされてますので、司法の判断で「有罪」が確定する

までは、現行犯逮捕の被告人でも「無罪」である(かもしれない)事を前提に

(すこし極論ではありますが)報道されるベキである。

もっとも、ここでいう「推定無罪」は真犯人が別にいる「無罪」(誤認逮捕)と

「責任能力」や「情状酌量」による「無罪」(逮捕自体は正当)とあると思いますが

後者の場合、確かに「推定無罪」の厳格な適応で番組を作るのは難しい

かもしれませんが・・・

で、警察の発表を報道する事はマスメディアとして、国民の知る権利に応える

職務行為であるでしょうから、これは成されなければなりません。

つまり、冤罪逮捕の被疑者の実名や顔写真を報道しても、これは

メディアによる「人権侵害」には当たりません。

しかしながら、N医師にしても、河野さんにしても、マスメディアはその「推定無罪」を

無視して「推定有罪」を元に番組等を構成して報道してきました。

全ての番組がそうであるとはいいませんが、私自身がテレビ等で見かけた報道では

N医師の「人権侵害」と取るしかない無残な内容の報道が多々ありました。

(もっとも、メディア側は推定無罪を基本に番組を作っていたと主張するかもしれませんが)


で、私が今回言いたい事は、N医師に対する「人権侵害」に対するマスメディアの

「名誉回復」が全くと言っていいほど、成されていない事を非難したいのです。

過去において、この「割り箸事故」を報道してきたメディアの責任として

N医師の診療行為に全く問題がなく、病院側にも全く問題はなく、子供の死は

受傷した段階で救命しようのない不幸な事故であった事を広く周知する「義務」が

あるはずです。

「割り箸事故」は「医療ミス(事故)」でなく、「不幸な死亡事故」であったと

広く周知するまで、「真実を国民に報せる」必要があるはずです。

河野さんは「冤罪」であったと、広く国民に周知されています。

N医師も河野さんと同じように、世間に周知されなければ、とても

「名誉」が回復されたとは言えません。

侵害した「名誉」を回復するのは、侵害したモノの責務であります。

何故、河野氏には大々的な「謝罪」が行われ、N医師には大々的に

「謝罪」が行われないのか?

「謝罪」の必要がないと思っているのか?

「名誉」は侵害していないと思っているのか?

もしくは、警察が逮捕・起訴したのだから、「名誉侵害」「人権侵害」が仮に

あったとしても、不可抗力であり、その責任は「警察(検察)」にあるとでも

思っているのか?


去年、食品の産地偽装や賞味期限の改竄やら、企業の倫理を問いかけていた

マスメディアは、他人の企業倫理を問う前に、自らの「報道倫理」を問うてみては

いかがか?

ついでに、政府の支持率を頻繁に報道して、政府が国民に支持されていない

と偉そうに報道しているが、自分たちメディアが国民にどれ位支持されているかを

気にしてみた方がいいとは思わないか?

政府の支持率に勝つ自身があるか?