同時多発テロ(9.11)

2005年10月7日



かなり以前の話題について今回は書きます。m(__)m

イスラム教徒の自爆テロで旅客機4機がハイジャックされて、貿易センタービルなど

へ突っ込んで多数の死傷者を出した痛ましい事件でした。

このテロを正しい行いだとは私は言いません。

しかし、それ以上も言えません。

テロリストも被害者からの主観であって、イスラム圏での捕え方とは

全く違ってきます、彼らは殉教者であり、英雄であるのです。

根本の原因に目を向けると、なぜ、このようなテロが起きたのか?

それは、過去にアメリカが行ってきた様々な非人道的行為への歴史が下した

厳しい審判の側面が見えてきます。

度々、このHPでも取り上げましたが、インディアンへの侵略・虐殺、原爆・枯葉剤

など数多くの非人道的な蛮行を遂行し、過去に数え切れないほどの人々に

筆舌に尽くせぬ悲しみや苦しみ、悲劇をもたらしました。

そういった、自国の罪への代償が今回の同時多発テロです。

イラクのフセイン大統領もウサマ・ビン・ラディンも「ヒロシマ」「ナガサキ」を

取り上げて、今回のテロを歴史の審判と評価しました。

イスラム圏ではアメリカと戦った日本は結構有名で「ヒロシマ」「ナガサキ」は

アメリカが原爆を落として滅茶苦茶した事でよく知られています。

そうです、(「ヒロシマ」)「ナガサキ」ではアトミックボムは戦闘服を着ている人と

着ていない人を区別しませんでした。(ラディン氏)


今回アメリカは、これほどの規模になると、もはやテロとは呼べず、むしろ

戦争行為と言うべきだと言い出して、なんと「第二のパールハーバー」と

言い出して、盛り上がりだしてしまいました。

その後、イスラム教の「客人を大切に扱う」という教えに従って、客人である

ラディン氏をアメリカに渡さなかったアフガンをも身勝手な理由で共犯化して

戦争を始めて行きました。


石原東京都知事は「第二のパールハーバー」を聞いていち早く、「何の罪も無い

一般市民が犠牲になった今回のテロはむしろ原爆に似ている」と言いました。

全く私はその意見に賛成です。

アメリカは今回の「第三の原爆」を自らの歴史の反省の材料に使えず

更なる暴力の連鎖への材料にしてしまいました。


今回のテロは賞賛されるべきものではありませんが、アメリカが行ってきた

歴史を反省する大きなチャンスであったのを活かす事が出来なかった事の方が

私は最大の悲劇だったと述べさせて貰います。


P.S 今回のテロによって犠牲に合われた多くの方々へお悔やみ申し上げます