同時多発テロと神風特別攻撃隊

2007年12月13日




今回は、アメリカで起きた同時多発テロと日本軍の敢行した「特攻」について

一言述べさせて貰おうと思います。

よく、この同時多発テロと特攻を全く同じように同列に並べて評価・批判などをする人を

見かけるのですが、果たして本当にこれらの2つの事柄は同じような性質のものなのでしょうか?


概ね、同列に語る(りたがる)人達は、洗脳教育を施された人間が、間違った思想や概念に形成されて

本来自分の命程大切な物はないにも関わらず、それを平然と捨てる事を出来るようにされた。若しくは

半ば強制的にやらされた。

後は、自分の命を犠牲にして、自ら兵器の一部(この場合は誘導装置の役割)になって沢山の人々を

殺す為に目標物に激突し、結果として数多くの死傷者を出し、甚大な被害を相手に与えた。

と、このような論調で、同時多発テロと特攻は間違った教育に起因する間違った行為と断罪するモノが

多い様な気がします。少なくとも委員長はこのような意見を様々な場面で見聞きしました。


委員長の見解はそれらの意見とは全く違います。


いくつか、要点をまとめて説明していきたいと思います。

まず、同時多発テロは犯罪でありますが、特攻は正規軍人が交戦国の軍事目標に攻撃する限りにおいては

決して犯罪ではありません。

非戦闘員(一般市民)を標的とした同時多発テロと戦闘員を標的とした特攻はそもそも非合法と合法という

歴然とした大きな違いがあります。

同時多発テロの実行犯が事前に逮捕されれば、当然アメリカの法律に則って犯罪者として処罰されますが

特攻隊員は出発前に「今からアメリカの戦艦に突っ込んでくる」と堂々と公言しても、何ら処罰される事も

ありません。(作戦内容を漏洩させたという事で処罰は受けるかな?)


次に、同時多発テロは(テロという物は全てですが)、事前に相手に通知する事無く、不意を突いて

行われた行為である事は皆さんもよく知っての通りですが、特攻は戦争中に行われています。

つまり、いつでも、敵を見つければ相手が気づいていなくても攻撃して何も問題ないのです。

戦闘員は「一時休戦」などの例外を除き、常に敵からの先制攻撃を受ける事があるのです。

特攻は戦時中に行われた正規の軍事作戦で正々堂々とした攻撃であります。


以上の2点を特に強く強調しておきます。


同時多発テロと神風特別攻撃隊には同列にして語れない大きな違いがある事は

解って貰えたかと思うのですが、しかし、この2つにも共通点は勿論あります。

一番大事なことは、行動理念でしょうか・・・

圧倒的な暴力に虐げられた被害者が自らの命を投げ出して一矢報いろうとする行為は

正に共通していると言えるでしょう。

同時多発テロはたしかに罪の無い一般市民を標的としていましたが、アメリカという国

そして、ユダヤという国が中東(アラブ諸国)において行ってきた、そして、今現在も行っている

目を覆いたくなる様な非道な行為の数々を知れば知るほど、テロの実行犯は本当に大量殺戮の

人殺しなのか、それとも祖国を愛し、祖国のために殉教した勇者なのか

一概に決めつけられ難くなってきます。

ただ、委員長として断言してもいいのは、被害に遭われた多くの人々には殺されなければ

ならない罪があった訳ではないと言う事だけです。

同様に、パレスチナやシリア、ヨルダンなどの人々にも国を奪われ、或いは聖地を汚され

軍事侵攻による虐殺をされるような罪があった訳ではないと言う事だけです。

とどのつまりは、同時多発テロはテロの側面と、アメリカ・ユダヤ対アラブの宗教的な、つまり

キリスト教やユダヤ教とイスラム教の宗教戦争の側面とを有していて、主点をどちらに置くかによって

その評価も大きく変るでしょう。


日本はどうでしょうか?

軍事的な詳細な検証は、専門的になってきますし、長文にもなりますので端的に述べようと

思いますが、日本の特攻は最初、空母を標的にして行われました。

勿論、それ以前にも爆撃に来た爆撃機に体当たりをした人間もいましたし、機体に損傷を受け

敵の施設に突っ込んだ人間もいました。そういう意味では特攻は以前からも行われていました。

当時、航空戦力が戦争の勝敗を分ける大きな要因になっていましたが、日本はその飛行機を

殆ど失い、また、熟練したパイロットも沢山失い、日本の航空戦力は極端に落ち込んでいる

状況下で敵の航空戦力の存在はとても日本軍を苦しめました。

そこで、空母から発艦は出来ても、着艦する技術のない人間に出来る作戦として

相手の正規空母の甲板を一週間使えなくする事を目的に「特攻」は実行されました。

彼らの犠牲により、敵の空母から航空機の発艦が一週間出来なくなれば、それによって

日本軍側の犠牲者はかなり減りもしますし、作戦の遂行や戦果にも大きな期待を持てるように

なります、様々な葛藤や議論を経て、苦渋の選択へと至る事になりました。

そして、都市空襲の存在を忘れてはいけません。

何度も述べている事ですが、アメリカは日本と戦争している間に、戦争という行為のどさぐさに

紛れて戦争とは別の目的で民間人を虐殺していました。

戦争の犠牲者かのように思われているかもしれませんが、そう思っている人は間違ってます。

自分の家族を殺されたり、いつ殺されるか解らない状況にあって、自身の身を呈して敵に特攻を

しようとする行為は、至極当然の思考ではないでしょうか?

動物でも、我が子を守るために、自分より強い敵に向かっていく親はいてます。

日本人は愛する家族や祖国を守る為、自ら志願して、特攻に散っていったのです。

「特攻」は「特守」でもあるのです、攻めは最大の防御である事もあるのです。

自分の死によって、仲間の命を沢山守る、家族を守る、祖国を守る。

あと、付け加えるなら、あの時は日に日に戦況が苦しくなり、兵隊になったら

生きて国に帰ってこれない事を覚悟しなければならない状況でした。

前線で飢えや病気で苦しみながら、敵の姿を見ることも出来ずに無駄死にするよりかは

自分の努力次第では大戦果を上げる事も出来るし、愛する家族の無念に対して

一矢報いる事も出来る特攻に志願する人間が多かったのは頷けます。

命より大事なものの為に、命を捧げて戦う事は無理やり否定的に評価しなければならない事

であるとは委員長は思いません。


ただ、いづれ取り上げるかもしれませんが、日本がその後に行った数々の特攻作戦は

その作戦内容の成功率や、戦況を好転させる事の出来る可能性などを考えると、全くの無謀

全くの無駄の一言でいってしまえるほどお粗末なものであったとも思います。

けっして、日本軍の特攻作戦に過大な評価を与えるものではありません