野草に思う5-花四季彩

2008.8.24.
恋人岬は神戸市垂水区の福田川沿いにある。対岸に淡路島が間近に見え、東には「平磯灯標」が見える。サマセット・モームの小説『困ったときの友』の舞台だ。イギリス紳士の主人公は本国からの仕送りで暮らしていた遊び人が金に困って仕事を求めてきたとき、塩屋の異人館倶楽部から平磯灯標を廻って福田川(原典は垂水川)まで泳ぎ切れば、雇ってやろうと約束する。果たしてその結果は??? さて「キンエノコロ」は群生した原野でしかも逆光で見るのが格別だと思うがどうだろうか?

神戸垂水・恋人岬 074

■キンエノコロ

Setaria glauca

(いね科)
「エノコログサ」は花ではないが、なかなか趣がある。秋には穂先が垂れ下がる「アキノエノコログサ」が多いが金色の穂もなかなかいい。


2008.8.24. 一ヶ月ぶりの京都で行く夏を楽しむことが出来た。本物ではないけれど、セザンヌやルノアールやモネなどの絵をしのび、その散策の小径でアカソを見つけた。夕闇に、茎や葉がなお一層赤く見えた。この草はよく小さな川の岸に自生している。大葉に似た葉の様子が特徴だ。赤い葉柄はあまり見ることのできない独特の赤色を感じる。

京都・比叡山 073

■あかそ

Boehmeria tricuspis

(いらくさ科)
 茎や葉柄が赤いことに由来する名前だ。山野や川の畔など湿ったところに自生する。赤い葉柄がよく目立つので、わかりやすい。


2008.8.2.
 烏瓜の花は日が暮れてから咲き始め、夜明けにしぼむ一夜花だ。花冠の縁がレースのように細かくさけ、闇に咲く。それは幻想的で美しいと聞いていたし、図鑑でも知っていた。そこでその写真を是非撮りたいと思っていた。しかしなかなか見つけることができなかった。そんな折、三ノ宮の街路樹に絡みついている烏瓜ではないが、「キカラスウリ」が咲いているのを見つけた。同属なので慌てて撮ったのがこの写真だ。まだ花冠のレースは開いていないが、なかなかいい。

神戸・伊川谷 072

■きからすうり

Trichosanthes kirilowii

(うり科)
 烏瓜は夜咲くが、「木烏瓜」は昼間から咲く。烏瓜の実は赤いが、木烏瓜は黄色い。また「キカラスウリ」の根から取った澱粉から作ったのが、汗疹に効く「天花粉」だという。


2008.5.10.
 写真は伊川谷の休耕田で撮影した。春の日射しが陽炎を立たせるような暖かさのなか、小さい瑠璃色の花なのに群れ咲く様子はなかなか趣があった。中河与一の『天の夕顔』の舞台、神戸の大石川へ行ったとき、名前を知った。なにしろきんぽうげ科とごまのはぐさ科の花は美しい。

神戸・伊川谷 071

■かわぢしゃ

Veronica undulate

(ごまのはぐさ科)
 名前は川べりに生えるチシャ。チシャはレタスという意味だ。若葉は食べられる。いぬふぐりに似た紫の花は同じヴェロニカ属だからだろうか。青い小さな花が咲き上がる。学名は聖なるハンカチを持つ人の意味だ。


2007.9.27
 元興寺の元の広大な寺域である「奈良町」の散策に出掛けた。目的は秋に志賀直哉旧居を訪れ、新薬師寺、元興寺と植物散策と文学散策をするための下見だった。少ししのぎやすくなったのか、ときどき清風を感じる。新薬師寺や元興寺は萩の季節だったが、猛暑のせいか今ひとつ花の色が悪い。寺の方に聞くと、こんな状態の萩も一週間ほどで終わりだという。景気づけのように曼珠沙華だけが元気に咲いていたが、何となく淋しい。そんな元興寺の野仏の間に「ひなたいのこずち」はひっそりと生きていた。

奈良・元興寺 070

■ひなたいのこずち

Achyranthus bidentata

(ひゆ科)
 葉が厚く、果実は下向きに熟し、動物や人間にひっついて運ばれる。近縁に「ひかげいのこずち」があるが、葉も薄い。牧野富太郎は茎のところで節くれだっているのがイノシシの足に似ていることに由来するのでは?といっている。

 元興寺

2007.8.13
 六甲ホール・オブ・ホールズの湿地にかかる遊歩道を歩いているとき、光る黄色の花が目に入った。花は小さかったが、つやのある黄色。きんぽうげ科の花はよく目につく。花は春の「うまのあしがた」に似ているが、小型だ。夏の強い陽射しがつらい。涼しさを求めて木立の陰に入る。少し蔭って花の黄色が生きた。あの棘のある実は誰について行って子孫を残すのだろうか?

神戸・六甲 069

■きつねのぼたん

Ranunculaceae quelpaertensis

(きんぽうげ科)
 葉の形が「ぼたん」に似ていることに由来する名前だ。田や流れの岸に多い。写真の真ん中に球状の集合果が見える。そう果は扁平だ。?


2007.4.22
 前々から柳生の里へ行きたいと思っていたが、なかなか行けないでいた。宮本武蔵が手合わせを願って柳生石舟斎を訪れた柳生の里とはどんなところであったのか知りたかった。江戸幕府の礎を築くためにこの一族は家康と連携して諸藩を牽制した。その背後に蠢く権勢欲と絡んだ暗闘はいろいろな言い伝えが残っている。柳生につぶされた藩の怨念も漂っていたかもしれないが、柳生の里はあくまでのどかで、春の雨にぼうっと煙って見えた。

奈良・柳生 068

■くさのおう

Chelidonium majus

(けし科)
「くさのおう」は草の黄という説が有力だ。有毒植物だが、使い加減で有用植物となり、鎮痛、鎮静剤として使われた。けし科で中国ではアヘンの代用品として用いられたという。花期は4月から7月。茎や葉を切ると、オレンジ色の汁が出る。これがアルカロイドを含む。春の草原で黄色がよく目立つ。つぼみや花茎に毛が多い。「瘡の王」とも「薬草の王」も語源か?


2007.1.1
 仙洞草、とても快い名前だ。広辞苑を引くと、仙人の居所、太上天皇の御所、院の御所、太上天皇の称、鴈雁金とある。せり科だが、きんぽうげ科のセリバオウレンにも似ている。きんぽうげ科は花は綺麗だが、有毒なものが多いから注意が必要と思う。私もよくわからない。この写真が間違いだったら教えてほしい。

明石・明石城 067

■せんとうそう

Chamaele decumbens

(せり科)

 漢字で「仙洞草」と書く。由来はわからない。日本では普通に見かけるが、一属一種で日本だけの植物だ。そう考えると、貴重だ。当たり前過ぎて価値がわからなくなっている。3月から5月にかけて林間にひっそりと白い小さな花を咲かせる。


2006.12.16
 京都の嵯峨野を歩いていたら、喫茶店? の店先に吊してあった。赤みがかった橙色が心を豊かにする。昔はよく家の近くで見ることができた。しかしこの頃は見かけなくなって久しい。なんか幼なじみに会ったように思えた。野草のブッシュの中で赤い果実が目立つ。この頃は生け花の花材として貴重になった。鴉しか食べないなんて名前をつけられて気の毒だ。別名の方がずっと想像力が膨らむ。私が育った原っぱにはあまりなかったけれど、武蔵野の畑のところどころに残っていた雑木林にはたくさんあった。秋になると、ドングリを採りに行くついでに赤い実に魅せられて二三個家に持って帰ってきた。しかし玄関に放り出したままのことが多かった。腐ったり、しなびたり、いつの間にか玄関から姿を消した。母が捨てたのだろうか? 未だにわからない。

京都・嵯峨嵐山 066

■からすうり

Trichosanthes cucumeroides

(うり科)

 花冠の縁が糸状になるのが特徴だ。鴉しか食べないようなということがいわれだ。別名は玉章(たまずさ)という。種子がお神籤を結んだような縦に隆起した帯があることに由来する。花期は8〜9月。


2006.7.28
 今年の梅雨は長かった。久しぶりの晴天だった。前々から考えていた六甲山の撮影に行った。大正時代に描かれた六甲山系東おたふく山とおぼしき草地が現在どうなっているかを撮りたかったからだ。暑い日だった。汗は止めどもなく流れ、コンビニで買った2本のペットボトルも節約して飲まねばならなかった。カカオ成分85%のチョコレートも疲れた身体にはうまい。途中に、芦屋カントリーの水補給所があり、空になったボトルに水を補給したが、水質が分からないので、口内を湿らすのに使った。阪急岡本駅から保久良山、金鳥山、風吹岩、(雄池←ルートから少しそれる)、雨ヶ峠、東おたふく山(697m)へのルートはおおむね尾根筋の健脚コースで酷暑には厳しいコースだった。しかし今年は雨が多かったせいか雨ヶ峠附近の湿原は澄んだ渓流が流れていた。写真は東おたふく山にとりつく草原の入り口で撮影した。花は元の方から先上がるので、まだ咲き出したばかりだ。さぁーと涼風が草原を吹き抜けたような気がした。往きは約3時間、帰りは住吉道を降りたので、谷筋の道で涼しく約1時間30分で麓に着いた。

神戸・六甲山東おたふく山 065

■おかとらのお

Lysimachia clethroides

(さくらそう科)

 花序が虎の尾のように先端が垂れることに由来する。日当たりの良い丘陵の草原に生育する。属名の「clethroides」の意味は「りょうぶ」「はんのき」のようなと言う意味のギリシャ語が語源だ。「りょうぶ」は日本では1属、1種。「とらのお」の花もそれに似る。花期は6〜7月。


■東おたふく山の草原(06.7.28.14:00)
このような笹原はかって山火事があった跡という。

2006.6.4
 毎朝、仕事前に神戸総合運動公園の園路を運動がてら歩く。地下を新幹線が走る山道を経て、菜の花の丘を乗り切ると、遠く明石海峡大橋や淡路島が見える展望台に出る。菜の花はすでに終わり、丘は秋の秋桜の丘の準備に忙しく見えた。この丘には階段の道やかなり急な坂道もあり、どの道を歩くかはその日の体調や気分だ。この写真を撮った日は快調で真ん中の階段を登った。一気に登る。さすがに息が切れる。頂上は広場になっている。陸上競技場が裏から見渡せる。息を整えながら、ふと足許に目をやる。「まんてま」はそこに秘やかに咲いていた。なおここは群生するまでに至っていないが、体育館から丘への桜谷では群生しているところがある。小さく慎ましやかな花がいい。

神戸総合運動公園 064

■まんてま

Silene mgallica

(なでしこ科)

 人江戸時代末期にヨーロッパから渡来し、野生化したものらしい。花弁は白色、中央に紅紫色の斑点がある。花の縁の彩りはナデシコの特徴が見える。他に萼筒に赤褐色の縦の脈があるのが特徴でナデシコ属にはない。花期は5〜6月。


2006.4.15
「伊丹エッセイ教室」へ行く途中の道ばたで見つけた。しかも歩道のアスファルトの継ぎ目に咲いていた。昨年、ど根性大根が話題になったが、これはど根性すみれだ。すみれというと、すぐ宝塚ガールを思い出してしまう。わがうちに巣食うおじさん的発想だろう。だがしかし、私の思いは少し違うと思っている。この生育環境のように宝塚ガールには感性の豊かさと同時に何かたくましさを感じるのは私だけだろうか。宝塚OGを知っているが、私の知る限りでは魅力的でたくましい。「例外もあるわよ」とどこからか声が聞こえてきた。

伊丹稲野 063

■すみれ

Viola mandshurica

(すみれ科)

 人里から野山で陽当たりのいいところに毎年咲く。この写真は歩道に咲いていた。花もしっかりしているし、側弁に毛もあるので、「のじすみれ」でなく「すみれ」でしょう。その他に「のじすみれ」との違いは「すみれ」の葉柄全体にひれがあるが、「のじすみれ」は小さい。花色も「すみれ」が濃い。花期は他のすみれより少しおそい。


2006.3.12
「やぶこうじ」はどちらかというと森の中より少し陽の当たる森や林と草原の境目を好む。冬の終わりの森はくすんだ色彩ばかりだ。林縁を被う「やぶこうじ」も少し暗い感じがする。しかし林床を一面被う生命力の旺盛さはむしろ私たちに元気をくれる。葉陰の赤い実も控えめなところがいい。今日、明石公園の剛の池沿いの林を歩いたとき、剛の池の東側の林縁は「やぶこうじ」の大群落が繁茂していた。

明石城 062

■やぶこうじ

Ardisia japonica

(やぶこうじ科)

 森や林などの林縁に生える常緑の小低木だ。野草ではないが、地を這うので野草のように見える。カバープラントとして使われている。万両の「まんりょう」や百両の「からたちばな」も同じArdisiaの仲間だ。ところで「やぶこうじ」は十両だ。本HPの「花の見分け方」を参照されたい。


2005.10.17
「おなかが空いたわ」美佐子は学校の帰り原っぱの途中で私の方へ振り返りながら言った。「うん……」と
私はやっとの思いで返事した。声が出てこない。なんか不自然な行動しかできなかった。美佐子は原っぱに咲いていた白い花の茎を折り、皮をむいた。「食べる?」美佐子は私の目を見て言った。どぎまぎしながら、私はあわてて頷いた。そしてかじると、口の中に酸っぱさが広がった。その酸っぱさや思いは今も「いたどり」の白い花を見るたびに甦る。

明石城 061

■いたどり

polygonum cuspidatum

(たで科)

 すかんぽともいう。若い茎は皮をむいて食べることができる。茎には蜜の出る花外蜜腺がある。蟻をおびき寄せるモノといわれている。茎は中空で紅紫色の斑点がある。花期は7〜10月である。この写真は城の石垣に生えている「いたどり」の白い花に魅せられて撮影した。


2005.7.30
 浄瑠璃寺は大学のとき、初めて行った。造園家をめざして浄土式庭園を学ぶためだった。平安時代に派生した「浄土の荘厳を現世に再現しようと意図する」仏教の浄土思想に影響された庭園形式だ。金堂や阿弥陀堂の前に池を穿ち、蓮池とするか、花園とするかが基本的でさらに考えが進むと、浄土曼荼羅の構図を具体的に取り入れようとした。この様式の主とした庭園は浄瑠璃寺始め、宇治平等院、奈良円成寺、天理永久寺、平泉毛越寺、横浜金沢称名寺などがある。浄瑠璃寺庭園は南北が長辺方向の阿弥陀堂(本堂と現在では言っているが、奈良文化財研究所測量原図、及び堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』では「阿弥陀堂」とある)に直角の西に平安時代創建で現存する唯一の国宝三重塔があり、その間に中之島のある池がある。なお、浄土式庭園は寝殿造庭園と池、遣水などデザインや手法が造庭秘伝書「作庭記」の記述に一致するものが多い。今、この庭に立って思うことは、浄土式庭園の花園とはどんなものであったかだ。ききょう、すすき、ふじばかま、くず、なでしこ、はぎ、おみなえし、の「秋の七草」やあざみなどが咲き乱れていたのではないだろうか。そしてその池の花園を九体の柔和な顔の御仏が日夜眺めておわしたのか。

浄瑠璃寺 060

■のあざみ

Cirsium japonicum

(きく科)

 日本各地に普通に見かける「あざみ」だ。のあざみは雄性期に盛んに花粉を出し、出し終わると花柱が伸び、雌性花になる。この写真は雌性花、花柱がよく伸びているのが分かる。


005.6.26
 明石駅から我が家への坂道を上がりきったところに明石神社がある。明石藩祖松平直良の子直明の霊を城内に祀ったのがこの神社の起源らしい。城の刻を知らせる太鼓もあることでも知られている。ここに「こばんそう」が群生している。その風情は神社が著しく荒廃している様子によく似合っている。なにか悲しい気もするが、「こばんそう」が咲き乱れている境内が荒廃しているのは洒落にもならない。

明石人丸 059

■こばんそう

Briza maxima

(いね科)

 たわらに似ていることから別名「たわらむぎ」という。穂の形が独特でかわいい。ドライフラワーとしてもなかなか風情がある。ヨーロッパ原産の1年草だ。淡緑色もいいが少し枯れかけの黄褐色もいい。わたしは大群落で咲いているところ知っている。

■すずがやともいう。姿も涼やかだ。
■ひめこばんそう
学名は Briza mimor


2005.5.25
 旧ハッサム住宅の西に駐車場を兼ねた小さな広場がある。そこでこの小さな野草は精一杯生きていた。私は「わすれなぐさ」が好きだ。それで「きゅうりぐさ」は見つけるなり、気に入った。同じ科の「やまるりそう」も花の瑠璃色が楽しめる。私は「わすれなぐさ」より虜になっている。あまご釣りに行き、渓流へ降りるとき出会った。清流の岸で密やかに咲く様子は一度見たら、その深い色を忘れられなくなる。深山に踏み入ってふと忘れられない女に出会ったような気になった。まさに「わすれなぐさをあなたへ」だ。

相楽園 058

■きゅうりぐさ

Trigonotis peduncularis

(むらさき科)

 むらさき科は花の形を見れば、わかる。下の写真は同じ科だが、わすれなぐさ属の「わすれなぐさ」だ。「きゅうりぐさ」の花は小さいが、「わすれなぐさ」と同じに見える。葉を揉むと胡瓜の匂いがすることから「胡瓜草」という。


■わすれなぐさ
英名は "forget-me-not"

2005.5.7
 旧ハッサム住宅の前庭の芝生を春のひととき自然の花畑にする主役はこの「まつばうんらん」だと私は思っている。まだ完全に緑が戻っていない芝生の上に風に揺れて清楚に咲く。"Long times no see" の恋人に会ったような爽やかな気持ちにさせてくれる。一年に一回忘れずにこの花はここに戻ってくる。
 風が渡って花がかすかに揺れた。

相楽園 057

■まつばうんらん

Linaria canadensis

(ごまのはぐさ科)

 日本種の「うんらん」は海辺に生息していることが多い。花が蘭に似ていることから海蘭(うんらん)という。学名はLinaria
japonicaだ。写真の「まつばうんらん」はアメリカ原産の帰化植物で、芝生地やグランドや荒れ地の片隅に生育する。名前は松葉のような細い葉に由来する。


2005.5.7
 旧ハッサム住宅の前庭の芝生は春のひととき自然の花畑になる。「まつばうんらん」「にわぜきしょう」「ねじばな」など清楚な野生の花が次つぎと咲き乱れ、風にそよぐからだ。「にわぜきしょう」は昔から私の好きな花だ。太陽に向かって背伸びをするように咲いている風情は、どう表現したらいいのか分からない。ある朝、芝生の名から忽然と咲き始めるのも好ましい。ふるさと立川の原っぱで見た記憶はないけれど、もしこの花をみつけたら、私はきっと美佐子のために摘んだと思う。
 風が渡って花がかすかに揺れた。

相楽園 056

■にわぜきしょう

Sisyrinchium atlanticum

(あやめ科)

 中花の色は紫と白がある。約1.5cmぐらいの小さな花は可憐だ。和名は庭に咲き、葉がさといも科の「せきしょう」に似ているからだ。あやめ科だが、花菖蒲やかきつばたと違って萼と花びら6片が同じ大きさだからだ。


2005.4.4
 先日、城の南西角の石垣下で偶然「ひめうず」が群生しているのを見つけた。小さい花だけれど、オダマキに似ている。葉は間違いなくキンポウゲ科だ。私は嬉しくなった。明石城跡は週末によく散歩するところだが、興味深い野生種を見つけたのは久しぶりだ。寄り添って咲いている様子は頼りなげだった。キンポウゲ科だから毒かも知れないが、荒城の高い石垣の下にひっそりと咲いているこの花に私は可憐さを感じた。

明石公園 055

■ひめうず

Semiaquilegia adoxoides

(きんぽうげ科)

 地中に同じ科のトリカブト(烏頭)に似た楕円形の塊根をもつところから、小さな烏頭というのが名前の由来だ。花はオダマキそっくりで、葉もかわいらしい。セミアキレギア(ひめうず)属は1属1種だが、オダマキ属の近縁種といえる。薬用植物で解毒、利尿に効くという。

 


2005.3.13
 帷子というのは鎧や経帷子(死に装束)のことと思いこんでいたが、今回調べてみたら、広辞苑では几帳・帳などに懸けてへだてとした布や裏をつけない衣服、という意味も載っていた。幼い日の原っぱで普通に見かけた野草だ。花は地味だけれども冬でも花をつけている生命力の旺盛さをあやかりたいと思った。

明石太寺 054

■すずめのかたびら

Poa annua

(いね科)

 道ばたでよく見かける。はびこるので困るが、健気に生きている。神戸・明石では一年中花を咲かせている。名前の由来は小穂の集まった花序を裏地のない衣服を意味する「帷子」に見立てたものと言われている。「イチゴツナギ属poa]は野いちごを突き通して持ち帰ったいわれによるらしい。

 


2004.1110
 この写真は三宮のフラワーロードで撮影した。平戸ツツジの中から花が立つ風情はなんとなく淋しげで気に入っている。この彼岸花はツツジとともに産地から運ばれてきたのだろうか。
「曼珠沙華は毒だし、火事になるから家に持ち帰ってはだめよ」
 と祖母はよく言っていた。恐らく鹿児島で育った祖母は幼い頃大人たちから教えられたのだろう。それは飢饉の非常食として常に確保しておく必要があった人間の知恵ではないのか。タブーというか、迷信というか、伝承には時として別の意図がある場合が多い。しかしとても魅力的な花だと私は密かに思っている。植えておけば、季節を告げるように咲いてくれるし、朱色が街の殺伐とした風景に映えていい。

神戸三宮 053

■ひがんばな

Licoris radiata

(ひがんばな科)

 秋のお彼岸の頃に花を咲かせることに由来した花の名だが歌にもあるように『曼珠沙華』ともいう。鱗茎で無性繁殖する。鱗茎は猛毒 (アルカロイド)である。昔は飢饉の時に水に晒して食用にした。漢方としても用いる。

 


●2004.09.12
 私は紫やブルーの花が好きだ。夏の花はやはり涼しげに見える方がいい。木立の茂る藪の中でこの花に出会うと心が洗われる。幼いとき、草原の果てに小さな雑木林があって、クワガタやカブトムシを捕りに行ったとき、クヌギの根方に咲いていた紫色の花はやぶらんだったのだろうか? 今もなお記憶の底にぼんやりと紫色が残っている。

明石公園 052

■やぶらん

Liriope platyphylla

(ゆり科)

 夏の木陰に咲く花として貴重だ。葉に斑入りの園芸種もある。
小花が房状に着くが一つひとつの花は愛らしくかわいい。
 やぶらんの由来はやぶに生え、葉が蘭にているからだが、蘭の仲間ではなく、ジャノヒゲと同じゆり科だ。根は滋養強壮、咳止め等薬用植物として利用された。

 


●2004.07.18
 この花も京都神護寺へ上る坂道で見つけた。幼い頃、家の便所の周辺に植えられていたのを記憶している。しかし、こんなにかわいい可憐な花をつけていたのを見た記憶がない。ただ私の好きな祖母が頭が痛いと、こめかみに張っていたのはこの草の葉ではないかと思う。もうとても遠い過去になってしまったので定かでない。
       神護寺の石段険し鴨足草

京都神護寺 051

■ゆきのした

Saxifraga stolonifera

(ゆきのした科)

 初夏になると、この花が咲き始める。日陰に咲くこの花は、小さく可憐だ。名前の由来は中世日本の衣装の名前からと言われている。表が白、裏が紅、その配色を「雪の下」と呼んだ。季語は「鴨足草」と書いて「雪の下」と読ませる。花の形から的を射た名前だと思う。

 


●2004.05.30
 学生時代から東京から友だちが来ると、高雄神護寺と栂尾高山寺はいつも京都案内コースに入った。その頃は車も持っていなかったから、バスで来たと思うのだが、記憶にない。ただ神護寺の金堂前の高い石段で写真を撮ったことだけは鮮明に覚えている。また、神護寺へ行くのに一旦清滝川まで降りて、それからまた険しい石段を登らなければならないことも記憶になかった。いろいろな色合いと表情をした段石を吟味しながら、ひたすら登る。年老いたことを悟る。しかし、他の人たちに悟られまいと平然と石を辿る。我が人生のような気がしてくる。

 そんなとき、小径の林縁に「たつなみそう」を見つけ、私は微かな潮騒を聞いた。

京都神護寺 050

■おかたつなみそう

Scutellaria indica

(しそ科)

 初夏になると、この花が咲き始める。この花は日陰に咲いていたのと花が茎の先にかたまって咲いていたことから、「おかたつなみそう」としたが、非常に難しい。名前の由来は花を横から見ると、浮世絵の波頭に似ているところから名付けられたという。

 

●2004.03.20

 昨年の秋、娘が茸狩りの収穫としてたくさんの茸を持ち帰った。「そんなの食べらるンか?」と私は怖くなって訊いた。「大丈夫よ。もう何回も研修会へ行ったから……」「でもなあ、茸は怖い。わからんものは食べんほうがいい」私は美味そうな茸を見ながら言った。娘は茸汁を作ってくれた。「でも……? これちょっと違うかしら?」どうも危ない。私は一種類の茸だけ秘かに食べなかった。
 食後30分ぐらいしてからだろうか? 「なんや? 変や」と娘が言いだした。それからが大変だった。救急病院を119番で訊いて、すぐ車で運んだ。「胃洗浄をします。今日は入院ですな」娘が不安な眼を向けた。洗浄している間、私は暗い待合室で待った。幸い自覚症状が早くでたので命に別状はなかった。
 せりもどくぜりとの見分けが付きにくく、春の七草のころは若葉や生育地が似ているので、十分注意しなければならない。どくぜりは水に浮かんで生えるので区別できる。

 

京都平安神宮 049

■せり

Oenanthe javanica

(せり科)

 春の七草のひとつだ。水田の縁や湿地や小川の畔に群生する。若菜は食べられるが、花が咲くころは悪が強くなり、しかも固いので食べられない。猛毒のムクトキシンを含む「どくぜり」と間違わないように……。

 


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