●2002.12.01sun.

 忙しい日びが続いている。ホームページの更新も出来なかった。2週間ぶりの更新になる。

 のげしというと、たんぽぽに似た”はるののげし”を思い浮かべるかもしれないが、あきののげしは属が違う。両方とも葉がケシの葉に似ているの由来する。しかし、私はあきののげしの方が好きだ。花が清楚である。秋風に揺れて少し寂しそうな様子がいい。だが、この花は結構おしゃれなのだ。花の総苞片に縁取りがある。そのおしゃれが虫を惹きつけるためなのか、どういう目的なのか分からないけれど、なんとなくけなげさを感じる。

 人間がおしゃれしたり、歌舞いたり、やつしたりするのも深層心理的には異性を惹きつけるためのような気がする。しかし植物のおしゃれはもっと真剣ですべての装いは生き残るための意味を持っている。私たち人間も原点に返って自分の欲望をもう一度真剣に検証しなければならないと思う。私たちは人類の生き残りに反する欲望に日び犯されているように思えてならない。 

伊川谷  021

■あきののげし

Lactuca indica

(きく科)

 花期は8〜11月。日当たりのよいあぜ道で見つけた。1〜2年草。昼間開き、夕にしぼむ。総苞片に黒ぽい縁取りがある。茎を折ると、白い乳液が出る。レタスやサラダナもLactuca属である。

●2002.11.16sat.

 栴檀という樹木に小さい頃から憧れていた。なぜか母が憧れていたから、うつったらしい。彼女は栴檀を見ていると、子供たちが自然に賢く育つ、と思いこんでいたよう節がある。栴檀は家の近くでは、野原の中を斜めに突っ切って小学校へ曲がる道の角にあった。野原に一本だけだった。樹形ものびのびとしていて、よく樹の上に昇りたいと思ったものだ。

「あれが、栴檀は双葉よりかんばし、の栴檀よ」と母は言った。彼女は私が栴檀ように幼いときから聡明であることを望んでいたようだ。私も母の祈りに応えたいと思ったけれど、ままならず、今日までいたずらに刻が過ぎてしまった。このところ多忙で樹木の栴檀を見れないでいる。あめりかせんだんぐさはそんな思いを近所の田圃で手軽に癒してくれる。

伊川谷  020

■あめりかせんだんぐさ

Bidens frondosa

(きく科)

 花期は9〜11月。北アメリカ原産の1年草。せんだんぐさの名前は、葉の形が「栴檀は双葉よりかんばし」の栴檀の葉に似ていることに由来する。花の周りの総苞片がよく目立つのでわかりやすい。

●2002.11.03sun.

 私はききょう科の花が好きだ。一番よく知られている秋の七草の桔梗は、源氏物語の作者紫式部の邸宅跡といわれる京都・廬山寺の『桔梗の庭』など、白砂と苔と桔梗は絶妙なコントラストを創造する。また明智日向守光秀の紋所でもある。ききょう科には他にほたるぶくろなど釣り鐘状の花をつける種類もあるが、いずれも清楚だ。

 廬山寺の桔梗は、紫式部の紫にちなんで植えられたという。私は桔梗というと清楚な女性をいつも思い浮かべる。藤の紫よりずっと奥ゆかしいような気がしてならない。それは大いなる錯覚だろうか。そうでないことをこの花の清楚にかけて祈りたい。

 

伊川谷  019

■みぞかくし

Lobelia chinensis

(ききょう科)

 花期は6〜10月。別名あぜむしろ。由来は水辺ちかくに溝を隠すように繁殖し、また別名は田の畦にむしろを広げたように群生することからと思われる。園芸種のロベリアもこの仲間。花の形がよく似ている。花冠の裂片は5片。横に2片、下に3片が特徴である。

●2002.10.29tue.

 せいたかあわだちそうは強烈な繁殖から嫌われている。もともと鑑賞花が野生化したものであり、私は嫌いではない。秋の野原を黄色く埋め尽くす感じはいい。そしていつのまにか忽然と姿を消す。栄枯盛衰、いつかみんな滅亡していく。そのはかなさを気に入っている。人間だって地球上でのさばりすぎてはいないだろうか。地球は温暖化が進んでいる。氷河はいたるところで融け始めている。いつかその報いを受ける日が来ることを覚悟しなければならない。私たちは今、何が出来るのだろうか。何にも分かっていないような気がする。自然のならいは人間も例外ではない。このきりんそうのように……。

明石城跡  018

■せいたかあわだちそう

Solidago altissima

(きく科)

 花期は10〜11月。別名せいたかあきのきりんそうという。北アメリカの多年草。地下茎から他の植物を排斥する物質をだし、繁殖力旺盛で大群落を形成するが、やがて自らもその物質に自家中毒して衰退する。虫媒花であり、花粉症の元凶ではない。秋の蜜源植物だ。帰化植物。

●2002.10.20sun.

 背丈よりもずっと高い草むらの中へ美佐子はどんどん分け入っていく。洋一は内心怖い。そんなに奥まで入らなくてもいいよ、と言いたいが、黙ってついて行った。振り返るとふたりの通った跡だけ少し草ぐさがなぎ倒されている。しかし、じきに戻ってしまうだろう。そうしたら、家へ帰れるだろうか。不安がしだいに大きくなったとき、美佐子は真っ青な空を見上げて立ち止まった。持ってきた古い畳表の端を手を広げてつかみ、そのまま草原に身を投げた。草原の中に小さな座敷が出来た。ふたりの秘密の場所だ。

 以前、美佐子はここで彼女の恥ずかしいところを、「触って」と言った。そのときの記憶が蘇る。洋一はパンツをさげた彼女の小さな丘の上にそっと手を置いた。周りは静かだった。じっと目を瞑ったまま美佐子は、「撫でみて……」と小さな声で言った。とても大事なものを触っている感触が伝わってきた。

 草ぐさに囲まれた丸い空に太陽が来たとき、「今日は赤飯を炊きました」と美佐子はアカマンマをしごいて洋一の手のひらに載せた。

伊川谷  017

■いぬたで

Polygonum longisetum

(たで科)

 花期は6〜10月。一番親しまれているたでと思う。葉に辛みがないから、役に立たないとはあまりにもかわいそうだ。葉は互生。紅色の小さい花を無数に付ける。その花を赤飯に見立て、アカマンマと呼んでままごとに子どもころ、使った。

●2002.10.13sun

 若い頃、我が家の庭にかたばみが生えると、抜き取ってしまったものだ。最近は園芸種もいろいろな種類が出ているが、やはり野生がすっきりしていて好きだ。花は小さいがなかなか味がある。今日、この間から、花が咲きそうだ、と心にかけていた伊川谷の田圃に出かけてみた。畦で下の写真を撮ることが出来た。幼い頃、立川の野原で隣のお姉さんとわざと種を弾けさせて遊んだのを覚えている。どうしているのだろう? あの隣の獣医さんのお姉さんに会ってみたい。

伊川谷  016

■かたばみ

Oxalis corniculata

(かたばみ科)

 花期は6〜7月といわれているが、秋も咲いている。黄色い花が可憐でいい。かたばみの由来は葉が睡眠運動で夕方となると、閉じるので欠けて見えることからと言われている。

■むらさきかたばみ(園芸種)

●2002.10.6sun.

 水上勉著『櫻守』ゆかりの武田尾・亦楽山荘に行った。レールが取られ、枕木だけ並ぶ武庫川沿いの廃線を歩いていたとき、岸辺で花序が立ち始めた紅紫色の花を見つけた。山野に蔓延っているから嫌われていることが多いが、私は好きだ。暑い夏に冷やした「くず餅」や黒蜜で食べる「くずきり」は美味い。どうしょうもない暑い夏、ふと思いついて、明石から新快速に乗って京都・四条通りに「くずきり」だけを食べに行ったこともあった。

 漆塗りの容器に入った「くずきり」はほどよく冷たかった。また誰かと行ってみたいと思っている。一緒に味あう人によって黒蜜の甘さやくずきりの適度な冷たさが違うように思えてならない。

武田尾  015

■くず

Pueraria lobata

(まめ科)

 花期は7〜9月。秋の七草のひとつ。つる性多年草。根からくず粉がとれる。花は総状花。和名の由来は奈良県国栖(くず)地方がくず粉の産地だっだからとか。

●2002.9.23mon.

 先々週に布引ハーブ園に行った。秋のハーブを楽しみ、新しいハーブの画像を撮りたかったからだ。若いハーブガイドのツアーに参加したあと、グラスハウスのハーブを見たくなって、パンパスグラスの階段を降りて行った。そのとき、右手のひらどつつじの上に白く靡くようにせんにんそうが咲いていた。私にとって、この花は毎朝、駅で見かける女の人みたいに気になる花だった。楚そとたなびくような様子がそこはかとなく可憐でいい。しかし、遠くから眺めておくに限る。近づくとかぶれる。ふと私は過去を振り返って苦笑した。

■これは、ひらどつつじの植え込みの上に咲いていた。

布引ハーブ園  014

■せんにんそう

Clematis ternifilora

(きんぽうげ科)

 花期は8〜9月。葉は対生。花弁はなく、多数の雄しべが見える。白花が遠くからよく目立つ。花は上向きに咲き、クレマチスの仲間だけあって可憐だが、茎や葉に皮膚がかぶれる有害物質を含む。

●2002.9.14sun.

 幼いとき、我が家の狭い庭にホオズキが何株かあった。

「おばあちゃんが諏訪神社のホオズキ市で買ってきたのよ」と母が教えてくれた。実がなり、緑色にほのかな橙色がさすと、それはランタンに灯が点ったように思えた。母はその実をもみほぐし、爪楊枝を巧みに操ってホオズキ笛を作ってくれた。そして白い頬を膨らませて鳴らした。母の唇につけられたホオズキ色のせいか、母の顔は上気しているように見えた。私はその単調で淋しげな音色と間近にいた母の匂いを今も覚えている。

 いぬほうずきは役に立たないと言われているけれど、ホオズキという名がもうとっくに逝ってしまった母の面影を思い出させてくれた。

明石城跡  013

■いぬほうずき

Solanum nigrum

(なす科)

 花期は8〜10月。葉は互生。白花。葯の黄色はよく目立つ。別名バカナスともいう。ほうずき、なすに似ているが、イヌを冠して人間にとっては役に立たないとされている。炭酸ガスを吸って酸素を創りだしてるではないか。擁壁と側溝のコンクリートの間でたくましく生きていた。

●2002.9.7sat.

 私は基地の町・東京都立川市で育った。

 幼い頃、町の中には赤松林やクヌギやコナラなどの雑木林や原っぱがあった。私は高射砲陣地だった我が家前の広大な原っぱとその南西にあった白いハウス群に接した雑木林が好きだった。ぶたくさは明治中期に渡来したらしいが、原っぱにあったか、あまり記憶にない。しかし、アメリカ駐留軍兵士のアベックの後ろに群れて、「Give me a chocolate」とガムやチョコレートをせがんだ記憶はある。この草も戦後になって日本各地に広がったと言う。きっとアメリカ兵と彼らが我が国に持ち込んだ圧倒的かつ膨大な物資ともに日本を旅して各地に定着したのではないだろうか。

 今、アメリカ兵士のペアの邪魔をした、おかっぱ頭の女の子や半ズボンによれよれのランニングシャツ姿の友だちの顔が浮かぶ。

川西一庫  012

■ぶたくさ

Ambrosia artemisiaefolia

(きく科)

 花期は7〜10月。北アメリカ原産の1年草。風媒花。明治中期に渡来。開花期に花粉症の原因と言われている。戦後、各地で悪草? 害草化?している。ぶたくさ属には他にぶたくさもどき、おおぶたくさなどがある。

●2002.8.31sat.

 子供たちがまだ小さい頃、牛乳の紙箱で手製の再生ハガキをよく創った。今はもう私がしていることなど、何の興味も示さないが、あの頃は、目が輝かせて机の前に寄ってきた。書斎にある私の机の抽斗には子供たちが創ってくれた何も書かれていないハガキの束が入っている。そして、抽斗の中は今でもあのときの風が吹いている。風にあおられて抽斗の外に溢れ出たハガキには私の似顔絵が描かれていた。それは洋種ヤマゴボウと呼ばれる黒紫色の実の汁で描かれていた。アメリカではやまごぼうをインク・ベリーと呼んでいるらしい。 「原っぱにたくさんあるよ」と子供たちは教えてくれた。

 絵は色褪せていたけれど、私の破壊された顔は元気で嬉しそうだった。

川西一庫  011

■ようしゅやまごぼう

phytolacca americana

(やまごぼう科)

 花期は6〜9月。北アメリカ原産である。多年草。果実は黒紫色。紅色の茎や実が特長、すぐ分かる。日本の自生種のやまごぼうは中国からの渡来種と言われているが、あまり見かけない。

●2002.8.25sun.

 処暑も過ぎ、朝夕しのぎやすくなった。今年から軽装勤務が励行されているので、ノーネクタイで仕事をしている。とても楽だ。首の周りを締め付けられないことが発想も楽にさせているようにも思える。どうせなら、ネクタイをこの世から抹殺するのも面白いかもしれない。しかし、男の唯一のおしゃれだとすれば、葬り去るのも惜しい。

 私はこの夏、胸がはだけると、胸毛が見える恐れがあるとき、礼を逸しないようにループタイを何回かした。ブルー地に白い鷺草の花ををデザインしたものだ。27〜28年ぐらい前だと思うが、東京の世田谷区の人にもらったような記憶がある。タンスの中から引っ張り出して、使ってみた。世辞かもしれないが、「いいね」と言ってくれた人も多い。自然のデザインは、すたることもなく生き続けている。

徳島  010

■さぎそう

Habenaria radiata

(らん科)

 白鷺が翼を広げた形に似ていることから名付けられた。湿原に生える多年草。この写真は人工栽培。神戸では淡河の青少年公園に自生している。

野草に思う2-花四季彩