読者の声-花四季彩
■読者の声

●2006.10.15sun.A.Yさん

新しい写真に変わるのをいつも楽しみにさせていただいています。
今回の彼岸花の写真に思わず、懐かしいう歌が出てしまいました。
赤い花なら曼殊沙華、オランダ屋敷に雨が降る、濡れて泣いてるジャガタラお春、未練な出船のああ鐘がなる、ララ鐘が鳴る。 
失礼ながら七十才位から上のかたは、耳たこになるほど聞かれたことがあると思います。この歌詞に出てくる、お春さんは、オランダ人を父に、長崎平戸の遊女を母に生まれました、15歳を待たずして、異国に売られました。当時の定めです。お春さんはコロンボ島に売られたのです。その哀れを歌っているのですが、曼殊沙華は仏の世界では、天人が降らす華で見るものは悪業を離れ悦楽を感じるという意味が在るそうです。このことを最近知ったのですが驚きました。野の花にもこんな物語ありですね。
いつも身近な花をさりげなく、それでいてとても慈しんだ目で見ておられることのよくわかる写真、心が静まります。どうかこれからも可愛いお花を見せてください。
●懐かしい歌ですねえ。しかし歌えませんし、聞いたことがある程度です。児童文学の灰谷健次郎が『太陽の子』でこの曼珠沙華を冒頭近くと終わりに効果的かつ象徴的に描いています。「花を巡る文学散歩」兵庫編で触れるつもりです。お楽しみに……。

●2006.4.10mon.Kさん

 昨日、京阪の乗り場に行くとき、高瀬川の桜をみました。たくさんの観光客がシャッターを押していました。満開の桜も今日の大雨で散ってしまったかもしれません。つかの間の生の絶頂、着実にしのび寄る滅びの影。桜の季節は楽しみなのですが、なんだか切なくなってしまいます。花びらをお酒にうかべて静かな夜を過ごしてみたいですね。


■高瀬川の桜

●川に張り出した桜って魅力的ですね。根が水を求めて川をめざすとき、枝もまたそのあとを追い、花のトンネルが出来ると言われています。それと私は写真の左隅に写っている手をつないで四条方面へ歩く若い?男女になぜか魅せられました。桜の樹の下で彼らは何を感じていたでしょうか? 生きるってなんだろう。  素敵な写真ありがとうございました。
●2005.12.6tus.Kさん


 今日は一日冷たい雨が降っていました。京都市内は雪になったようです。先日、東京から友達がでてきましたので、嵯峨野散策にお付き合いしました。ちょうど紅葉がピークですごい人でしたが、十分に楽しむことができました。念仏寺での写真をお送りします。昼の姿しかしりませんが、夜、月の光に照らされ、色付いた落ち葉が風に舞い、あるいは今頃、霙に打たれているかもしれない無縁仏たち。いったい何を想っているのでしょう。また、祇王寺の下地窓から外の世界はどのようにみえるのでしょうか? あれこれ考えていると、あやしい世界に入り込んでしまいそうです。春の嵯峨野も好きですが、秋もまた違った風情がありますね。



京都念仏寺の素敵な写真ありがとうございます。写真を送ってくださったのは久しぶりですね。前に念仏寺の”ほととぎす”を掲載しましたが、晩秋、紅葉の化野もいいですね。ものあわれ、諸行無常を感じます。俳句のページに掲載しましたが、化野の秋時雨なんて似合うのではないかと思います。
●2005.5.22sun.KSさん
かなり久しぶりに、ホームページ拝見させていただき,その充実ぶりに「はっっっ!!」としました。
花や草木の美しいこと。
自然の素材そのものがもちろん美しいのでしょうが、それを切り取って、美しさをそのままフレームに収めておられますね。
思わず自然を見に出かけて行きたくなる素敵なホームページですよね。
 
華やかなネオンばかりに目を奪われていた20代でしたが自然の美しさに気付くようになった私も、大人の仲間入りかと
しみじみと感じました。。。
 
読後の感想など、まだ宿題が提出できていないので少しづつかもしれないけど、提出させていただきます。
誰だか分かるかなあ、と思いながら考えつつメールしてみました。
 
お久しぶりです。すぐ誰だかわかりました。懐かしいK..S.さん。ホームページほめて頂いて嬉しいです。20代はと謙遜されていましたが、どうしてどうしてたいしたものだといつも思っていました。センスのある話し方、考え方などとても思慮深く、頭の回転が速い方と拝察しています。
 ところで、堅苦しことを抜きにしてまたときどきおいで下さることお待ちしています。


●2005.4.19tue.Sfさん
はじめまして
むらさきさぎごけでけんさくして、あなたのホームページにたどりつきました。
わたしは、むらさきさぎごけやときわはぜによく似た花で、茎と葉が違うように思える植物の名前をずうっと知りたいとさがしてるんです。
やっぱりごまのはぐさ科なのかもしれません。
それから、西宮に住んでいますが、須磨離宮は訪れたことがありません。一度行ってみたいなあと思いました。
これからも時々、おじゃまします。よろしく。
こちらこそはじめまして……。
ところで名前の分からない野草があるのはどこか心にひっかかりますね。神戸市立森林植物園にベテランがおられますので、写真を添えて同定してもらったら如何ですか?
 それから須磨離宮公園にも是非行ってみてください。その折りにお時間が許されるのなら、須磨寺など周辺もまたお奨めです。
では、またおいでくださるとのこと楽しみにお待ちしています。

●2005.4.17mon.Kさん

暑いくらいの日が続いたかと思ったら、急に寒くなったりして、体調管理に気を使います。その後、お元気ですか?
昨日、桜を求めて京の街をうろうろしてまいりました。
高瀬川沿いの桜は、もう盛りを過ぎてました。おもいたって、岩倉の円通寺に行ってきました。マイナーなお寺なので、人も数えるほどで、庭をゆっくりながめることができました。周辺ではマンション建設のため、竹を伐採する作業が進行中です。もう、まもなくあの借景をみることができなくなるかと思うと寂しいかぎりです。
帰りに北山橋から北大路橋までの半木の径を歩きました。紅しだれ桜が満開でした。なんだか、あやしい気分になります。(笑)
本当は、海津の桜、清水の桜をみに行きたかったのですが、もうひとつ体力がありません。来年こそはと期待しています。半木の径の桜と円通寺の庭の写真を送らせていただきます。



■ 京都・円通寺 比叡山を望む          ■京都・半木の径の桜

素晴らしい写真ありがとう! 円通寺は私が大学時代に下宿していたところから近いので、よく行きました。まだ、有名でなく、夏の比叡山を見ながら、縁側で昼寝をしました。風が渡ってとても気持ちのいいひとときでした。あのころが思い出されます。あの借景がなくなったらこの庭台無しです。どうするのでしょうね。悲しくなります。
桜を見て、なんだかあやしい気分ってどんな感じですか? 美しいものはみな怪しいですね、私に言わせれば……


●2004.11.10wed.Kさん


今回の安曇野は美術館めぐりと道祖神探しの旅でした。北アルプスの山並みをながめ
ながら、のんびりと歩きました。わさび畑、穂高川、焚き木の匂い、また何かの場面
に使えないかなあと思いながら・・・
たくさんの道祖神をみつけましたが、この写真を送らせていただきます。



●読者の声は私の怠慢から一年ほど休んでいましたが、また始めます。よろしくお願いします。安曇野道祖神なかなか味があっていいですねえ。気に入りました。またいい写真ができたら、お願いします。
写真だけでもOKです。

●2003.11.20thu.ssさん

 はじめてこの欄に投稿します。どうぞよろしく。私はそのころの東京に住んでいました。

 Ieさんの批評を読んで 少し感じ方の違う所を書いてみようと思いました。
 舞台は戦後十年。(昭和三十年の頃は母子寮として使われていた。1頁28行)

 街では商売人が活気付いていて、物は溢れていた。スーパーマーケットが日本に出来たのもこの頃だ。(昭和三十一年に一号店)商店街ではお菓子屋や焼きたてのパン屋があり、お金さえだせば何でも手に入るようになった頃だ。給食代が支払えない家の子や、下の弟妹をおんぶして、家の商売を手伝っている貧しい子もいた。貧富の差がはっきり出た時代だと思う。田舎では鶏を飼っている家もあれば、貧しく子沢山なのに鶏を飼っていない家もあった。鶏を飼っていれば卵は食べられた。
(隆二が毎朝卵を台所まで持っていく役目になっている、位の会話を入れたらよかったのだろうか?)
 その上、母親は基地で進駐軍の仕事をしていたのだから、物は一杯貰えたはずだ。(納豆は無理だと思うが。給料を貰っていたことだし)当時の日本人には考えられないほどの豊かな物資をアメリカは持っていたのだから。
 隆二の母親が母子寮を嫌っていたところからすると、母子家庭といっても生活は異なっていた、とこの作品の中から私は読み取った。
 叔父は市役所に勤め、しょっちゅう隆二の家に出入りしているようだし、母子家庭イコール貧しいとは限らないと思う。
 豊かな時代では公務員は見向きもされないが、食べられない時代、社会が不安定な時代には公務員志望は多くなる。1955年に市役所の民生を担当していた、ということは、叔父さんは身元がしっかりしていて、大学出だったのではないか、と思われる。叔父さんの年齢で大学に進学できたということは、両親が教育に理解があったか、家が金持ちであったか、本人が勉強好きで両親を説得して国の援助を得たか、ということになる。
 いずれにしても隆二の家庭は 「つつましやかで、生活苦をかかえた家」 という設定ではなく、文章の中から充分それを読み取れると思う。

「敗戦日が遅れていたら、戦友と同じく海に沈んだかもしれない」
 お国の為に死ねなかった負い目。戦友への思い。その思いは海軍帰りの先生の心に大きな傷を残していることは容易に考えられる。人間なのだから、その“疼き” が大きい時もおさまっている時もあると思う。しかし、教師として児童に接する態度、先生が本来持っていた “さっぱりした性格” 同じ状況下にあっても、それが全て破壊されてしまう人間ばかりではない。戦争に対する傷が大きいからこそ、これからの子どもたちに託したものが大きかったのではないか。自分を守る為に嘘をつくような姑息な人間になってほしくなかった。米軍がうろうろしている中に育っているので 「日本人の誇りを持て」と諭した。国を復興させ、平和な世界を迎える為に学問を勧めた。
 決闘の場面での先生の態度も男らしく さっぱりした性格がよくでている。どこを読んでもピリピリしている根拠は見当たらない。

 屈強な男たちのいない母子寮。後は雑木林。性のはけ口にされればひとたまりもない。襲われない為には三次のような乱暴な少年の群れが そこの子どもたちだとする必要があったのかもしれない。
 友達が羨ましがるほど立派な竹刀を作るためには勇気がいる。三次と出会ってしまう危険性のある栗林に行かねばならない。
チャンバラごっこや戦争ごっこ。巣を守る オス になることを学ぶ。
 三次をこれ以上 具体化などする必要がない。
 三次は 隆二の、否、全ての男の子の内にある 又、あってほしい 良いところも悪いところも併せ持った オス なのだから。

 この作品の登場人物を中学生にするのは無理があると思う(三次は中学生と設定されている。隆二より年上でなくてはならないから当然のこと)
漫画の三銃士に出てくる決闘やその他の場面、全編を通じて描かれている隆二の心理描写や心の動きなどは中学校に上がるまでに通過していく、それであるから。そして、小学生を卒業しようとする少年、隆二の心の動きを丁寧に書き込んであるからこそ、この作品を読む読み手が一気に読み進むことができるのだと思う。

●『草原の果てに』を読んでいただいてありがとうございました。そしてIeさんのご批評に対する反論まで書いていただきました。この作品に対していろいろなご批評をいただけるのは作者にとって大変嬉しいことです。そして、この「読者の声」欄を通じてこのように意見交換がされたことは、サイト管理者としても大きな喜びです。今後ともよろしくお願いします。

●2003.11.14fri.Ieさん

 草原の果てには、少年時代のパラダイスの思い出のかけらを拾いに行く、導入部、
とっても素晴らしいと思いました。戦後の母子家庭、美佐子、友だち、最後までつきまとう
三次の影、も面白い。基地の近くの風俗店や街のようす、ぜんぶ雰囲気、情緒があって
描写がすごいと思いました。
 ただ、草原の果てに住まう母子家庭の、つつましやかさがもう少し出ていてもよかったのではないか。
 あの当時、納豆と卵を一緒に食べられるというのは、豊かなのではないでしょうか。
フッとなにかのときに、苦労している母の顔がうかんでもいい。家庭のふれあいが欲しいと、おもいました。
それと全体に隆二は早熟だと思いました。頭の良い子はそうなのかもしれませんが、              多分それは基地の街が側にある、自然そういう地域に住む子達は、影響を受けます。だから
美佐子と小屋で、誰にも邪魔されずに未来を夢みたい、とか、頁15の下の方で、三次は
原っぱで女の子を襲っているのかもしれない、などと分かったことを言っている。
 なのに頁11では闇の女のことを分からないではないかといっている。
 そんな環境にある男の子は学校で、そんなヒソヒソ話をしあっている。又は自分はしなくても、そんなことを 聞いているものだとおもう。
 だから隆二の想いと、いっていることがヅレていると思います。
 
 中に出てくる海兵帰りの小学校の先生はアッサリしている。とありますが、書かれている先生はアッサリしているようには
思えません。戦争の傷からぬけきれずピリピリしているように私にはみえます。

 少年たちの三次に対する憧れや恐れも文のなかで充分出ていて緊張感を高め
ひきしめていて面白いと思いますが、一度くらい濃い影を出してもよいのではないかと思いました。
 三次に具体性がないのです。具体性があれば5年や6年ではちょっと怖がりすぎるかも
しれないけど。少年達はそれほど悪ガキ、というほどでもないようだし、それでないと三次との
接点が少し無理なような気もします。
 
 全体を通してパラダイスの少年達が生き生きと素晴らしい描写でえがかれていますが
隆二の年齢が美佐子や三次、親ばなれの点などは中学生ぐらいの感じに思えました。
 私は淡路島のド田舎、一方は自然の残る都会、の感覚の違いでしょうか。
 勝手な感想で読み違いもあるとおもいます。またお聞かせください。

●本当によく読んでいただいて頭が下がります。本当にありがとうございます。一度発表した作品ですからご批評についての反論等はありません。頷かされるご指摘ばかりでした。書き直すとき、参考にさせていただきます。

●2003.11.07fri.Kさん

 新宿から中央線に乗って『草原の果てに』の舞台・立川に行く機会がありました。                    立川駅北口からバスに乗って高松町三丁目で下車、歩いてすぐでした。
「草原の果て」のころから較べると、随分変わっているように思われました。立川駅
は大きくて、あまりにも立派なので驚きました。
まわりの風景が変わっていくのは、たまりませんね。
写真をとりましたので、お送りします。読者の声で、拝見しましたが、最後の部分は
私も大好きなところです。そのときの景色と、隆二のやるせない心が胸にせまってき
ます。うまく表現することができませんが・・・・読んだあと、心のなかが、温か
く、きれいになるような作品だと思いました。

■立川競輪場前のケヤキの大木

●『草原の果てに』の舞台の写真ありがとうございました。懐かしいです。確かにこの競輪場が見渡す限りの草原だったのです。しかし、大木はケヤキでなく確かエノキだったように思うのですが、分かりません。いずれにしても私の原風景が感ぜられる写真をご恵送いただき、感謝しています。

●2003.10.28tue.Kさん

「草原の果て」を読ませていただきました。よかったです!一気に読んでしまいました。
原っぱの思い出は素敵ですね。私は中学生になるまで、室町通りに面した自然とは縁がないところに住んでましたので、

いつもアスファルトの上で遊んでおりました。だから、とても羨ましいです。

●いつも投稿ありがとうございます。

またご多忙のところ、『草原の果てに』を読んでいただきありがとうございました。

●2003.10.28tue.R.H.さん
『草原の果てに』 を読ませて頂いて

 ★筆者の心の原風景
    「彼が感じる自然への思いや虫たちとの出会いや生きているものへの八つ当たりなど、かれの心を育ててきた
     源はすべてパラダイスの中から生まれてきたように思える。身体が鍛えられたのもこのパラダイスを駆け回った
     お陰だ」

 ★榎の大木が象徴的、効果的

 ★登場人物 それぞれがしっかり描かれ、特に主人公 隆二の心の動きは秀逸。
    子どもの頃は女子のほうが同年齢であれば おませ なので、お互いに好意を抱いているのだが、
     美佐子に翻弄されぎみな隆二がかわいい。 ただし、隆二はやっぱり男の子。こんな少年の頃から 
     しっかりナイト精神が備わっているし、 美佐子は結局 隆二を頼りにしているのが 微笑ましい。

 ★三次を登場させた所がいい = 畏怖と憧憬。男らしさの象徴 = 隆二を投影
    三次=美少年。いつも美少女と一緒。背が高く喧嘩が強い。
    (すぐ狭い枠の中に自分の思いをはめ込む、それが自分) 
    少し年上の不良っぽい少年に自分をうつして、自分のやりたいけれど抑えていることを叶えさせる。
   人は守るべきものがあれば 強くなれる。三次が無用になるまでに隆二は成長する。

 ★文章の書き方のテキストになるなあ。
   @五感を通じて場面を展開
      そよ風に葉群れが揺れ、陽の光が葉陰に煌く。眩しさにめまいを覚え、フラッシュバックのように四十年前の
      榎が原っぱの中に蘇った。

   A時代背景が描かれているので感情移入しやすい(トニー・ザイラーなんて懐かしい。基地拡張の強制測量で
                                 警官隊と反対派市民が激突……)

   B視点が固まらない配慮がなされている
      ◎パンパンを書く時は母をだして
      ◎街角の娼婦にも暖かい目で描かれて
      ◎母子家庭の隆二には 叔父や海軍帰りの先生の存在

   C五官で感じる(触覚・臭覚、視覚、聴覚、味覚)
      ◎美佐子のいい匂いが隆二を包む。 美佐子の髪に匂う石鹸の香にものぼせて
      ◎柔らかい髪が頬に触れる =快い


 ★作者の目
     ◎自分の力ではどうしょうもないこと、謂れのないことで、差別することは慎みたい
     ◎自然破壊への提言(小鳥、昆虫、植物など弱いものへのいたわり)
 
 ★ロマンティスト
  「小川の底は秋の紅葉が敷き詰められている。陽に煌く澄んだせせらぎの水底に紅や黄色の葉がゆれる」
  「隆二にとってこの澄んだ水の流れる小川は、空の青さを映した流れのように、彼の心がそのまま映っているような
   気がした。話すと汚れてしまう気がして心の奥にしまっておくことにした」 →

  「彼女が行ってしまう前に隆二が心から大切にしているものを見せておきたい、と思った。パラダイスの草原でふたり
   分だけの草をなぎ倒して、そこに仰向けに寝転んでいつまでも青い空を眺めていたい。そして、あの小川の畔で
   箱庭をふたりで作り、小川に真っ赤な紅葉の葉を流してみたい。ふたりの流した二枚の木の葉が、いつか重なり
   合うのを隆二は空想していた」 →
                      (「そのとき、隆二は冷ややかな笑いを浮かべた三次の覚めた目を感じた」)

★うまい!
  主人公は超ロマンティスト。しかも学級委員(つまり勉強ができる)。聞き分けの良い子でちびっこ紳士。
  ここまで描いたら カッコのよい男の子を間違いなく連想してしまう。
  だけど筆者は、百貫デブで腕がぶよぶよしていて力が弱い、そんな男の子に木刀を腰に差して走らせる。
  だから読者は隆二を応援し、成長した隆二にエールをおくる。

★筋運び、人物設定など、無理がない。破綻がない。
★派手な題材ではないが、懐かしいものを感じさせる読後感の良い作品だった。

●小説『草原の果てに』読んでいただき、しかも過分なご批評をいただき、ありがとうございます。この小説は私の原風景に近い作品です。しかし、ほんの少しの事実とたくさんのフィクションを想像力で紡いで作られています。

●2003.10.22wed.M.Yさん

エッセイ「野草に思う」は、素敵です。なかでも美佐子シリーズがいい。特にいぬたでがいい!それなのに三回で終わりとは!小説「草原の果て」にその後のことを書いたとあるので、是非これを読ませていただきたい。

●私のホームページを訪問していただいてありがとうございました。
エッセイ「野草に思う」は、野草の写真が撮れたら、掲載していますので、お褒めいただいた「美佐子シリーズ」もその野草に彼女との幼き日の思い出があれば、続きます。ご要望の『草原の果てに』はホームページに掲載しましたので、ご一読いただければ、と思います。よろしければ、今後とも当サイトにご訪問いただきたくお願いいたします。

●2003.10.13mon.kさん

この花の正体は?

●「くさぎ」です。道ばたで見かける普通にある落葉低木で葉に悪臭があります。昔はこの実を染料に使ったといわれています。むらさきしきぶは属が違いますが、同じクマツヅラ科です。

●2003.07.20sun.okさん

ホームページ初めて拝見いたしました。
すてきな花ばなの写真や読者の方の風景写真で見ごたえのあるホームページですね。
とくに夜光茸って初めて見ました。本物がみたいものです。どこで見られるのでしょうか?
また小説も読ませていただきました。
読み応えがあって、読後しばしいろんなことを考えさせられましたね。こんなことをいっては
失礼かとも思いますが、特に導入部、浅田次郎さんの「踊り子」に似ているな、と思いました。でも、テーマや表現方法は全然違います。浅田さんのは細部にはこだわらず、ドライブ感を大切にし、荒っぽい筋はこびで思い出として語られていますが、野元さんのは細やかな心理描写で丁寧に主人公の心の揺れを描かれていて説得力がありますね。
若い男の子の気持ちがよくでています。我が家にも似たようなのがいますので身につまされます。これからも時々読ませていただきますので、よろしくおねがいします

●初めてのご登場、よろしくお願いします。夜光茸は神戸市立森林植物園の分園に生息しています。去年はいたずらされたので困ったようです。それから、『鏡の向こうに』のご批評ありがとうございました。

●2003.06.29sun.kさん

寂光院のお庭の写真を送らせていただきます。火事で本堂が焼けてしまい、補修中でした。趣はさっぱりです。
自分だけのゆっくりとした時間が過ごせるとき、私はふらっと出かけます。主に寺めぐりですが・・仏像や、花を見たりして、気持ちをリフレッシュさせています。
ホームページの「じしばり」、ひとりで可哀想ですね。
ぼちぼち、まあまあ、えらいこっちゃ、……そのとおりだとおもいました。
頑張ってと、じしばりさんにエールをおくります!

(本画像はKさんに著作権がありますので、無断転載禁止です)

●いつも写真付き読者の声ありがとうございます。薄い緑の幕のところが修復中の本堂なんですねぇ。「じしばり」の応援もありがとうございます。雨の寂光院って、さらに冷たく寒いですね。夏というのに……。

●2003.06.17tue.kさん

昨日、大原の里へでかけてきました。
三千院、寂光院をまわってみました。三千院のお庭に「わらんべじぞう」という石像がありました。苔むしているので、うっかり見落としてしまいそうでしたが、とてもおだやかな笑顔です。いつもこんなふうな顔をして、過ごせたらなあと思いました。
写真を撮ってみたのですが、残念ながら、その表情がうまく写ってなかったので、代わりに大原の里の写真をお送りします。三週間前にも、この地を、用事があり、訪ねたのですが、そのときは、畑に植わっていた紫蘇は、赤ちゃんでした。今はふさふさと育っています。自然はしっかりと、動いています。寂光院のお庭の写真は今度送らせていただきます。

(本画像はKさんに著作権がありますので、無断転載禁止です)

●お元気なご様子何よりです。大原の里へでかけられたとか。いいなあ。もう長いこと三千院も寂光院も行ってないんです。
寂光院は火事になった跡は如何でしたか? それから里の写真ありがとう! 

●2003.05.26man.kさん

ホームページの更新を楽しみに待っておりました。
離宮公園のバラも素敵ですね。マダムビオレという花をご存知ですか?やわらかな、
はかなげな紫色のバラです。
荒牧のバラ園で、みつけました。はなやかな色をしているバラの間でひっそりと咲い
ていました。それからしばらくして、ある民家のお玄関先で、マダムビオレだけが咲
いている風景に出会いましたが、あまり、感激しませんでした。きっと、この花はは
なやかな色のなかで、ひっそりと咲いているから素敵なのかもしれません。

●いつもこのページを見てくれてありがとう! マダムビオレ見たことがあるかもしれないけれど、分かりません。こんど見たいと思います。ひっそりと咲くなんて……、魅力的です。

●2003.04.20sun.kさん

(本画像はKさんに著作権がありますので、無断転載禁止です)

●吉野の素敵な桜の画像をいただきました。ありがとうございます。美しい画像なので、読者の方と一緒に観させて貰います。悪しからずご了承をお願いします。

●2003.04.01tue.ynさん

ホームページちょくちょく覗いています。
内容が充実していてすごいですね。
春が咲き乱れている感じがして、とっても素敵です。

●このページへの初訪問とお褒めの言葉ありがとう! 外交辞令をいただいたと、謙虚に受け止め、さらに充実していきます。応援してくださいね。これからも四季の移ろいをうまく発信できように心がけていきたいと思います。

●2003.03.30sun.kさん

こんにちわ!!
私の家の近くに竹の径、古墳コースというハイキングコースがあります。単調な道で
すが、結構、アップダウンがあって楽しめます。このホームページで勉強させてい
ただいるおかげで、野草の名前がわかるようになりました。
いぬのふぐり、かたばみ、はこべ・・・この間、ほとけのざに、可愛い花が咲いてい
ました。紫がかったピンクでした。ほとけのざ、の花を初めてみました。今まで、花
が咲くのを知らなかったので、感激です。

●今は春。誰かと竹の小径や古墳コースを歩いてみたいですねえ〜 そして小さな名もない花を見つけたいですね。最近ホトケノザの群落を見つけました。ピンクの霞という感じです。次回の”野草に思う3”はカラスノエンドウかホトケノザになる予定です。楽しみしていてください。

●2003.03.18tue.Tさん

須磨寺のこぶし等、撮影された翌日に花四季彩に載せておられたので驚きました。お忙しいのに為事が早い!
「雨あがり 心も晴れて こぶし咲く」
 煩わしい事件のことで すっきり”心も晴れて”とはいかなかったのでは?
 小説 ドールハウスが3月31日まで、となっていますが すぐに次作を載せてくださるのでしょうか。 ファンとしては 待ち遠しい!

●読者の声、このページ初訪問ありがとう! 今後ともどうかご贔屓にお願いします。みんなで須磨寺詣でをしたので、すっきりしました。ご心配感謝しています。小説は4月1日から『鏡の向こうに』が始まります。お楽しみに! ご批評、ご感想をお願いします。

●2003.03.02sun.kさん

 ホームページを、拝見するのが、楽しみです。もう、スイセン、菜の花がさいている
のですね。こちらは、まだです。でも、梅がとてもきれいに咲いています。あんなに
厳しい寒さの中で、植物の命はしっかりと育っています。すごいことですね。自然の
移り変わりを楽しみながら、生活できることは、ありがたいと思います。

●お便りありがとう。日本で育つ植物はおおむね冬の厳しい寒さが必要なんですよね。チューリップは冬の寒さを経ないと、あの美しい花は咲きませんよね。それにラベンダーなんかは発芽率を高めるために播種前に1週間ぐらい種子を冷蔵庫に入れるのです。植物にとって寒さの修練は必要なんですね。人間も同じだ、と思います。修練を積んでやがてくる春に備えたいですね。しかし、なかなか思うとおり予定がこなせなくて自分のいいかげんさがイヤになります。

●2003.02.13thu.Ieさん

ドールハウスを読まれたOさんへ

 私はOさんの「洋平」をみる眼、いや「運転手」「定年前、定年後の人」をみる眼が
類型的だと思います 。
 自己管理をつよく求められる職業であるからこそ、心の部分、趣味の部分で縛ら
れたくない、と 「何か」 はしても、強く自分を置けないということはあると思います。
 人生八十年、定年後から始めた趣味にのめりこんでゆく人もおります。
 「洋平」の 「何か」 の部分に、自分を取り巻く環境へのこだわりや、植物への
関心であってもいい。
 Oさんは「洋平の生活みたいなものの希薄を感じる」とのことですが、洋平が、どう
思っていようと生活はその程度の希薄さなのだと思います。
 洋平は地あげに反対していても、やがてわが町は都会に埋没して行くだろうことは
わかっている、だからそこに住んでいた人たちの生活を、せめてドールハウスに残し
たいと思っている。その夢をふくらませて行っても、けっきょく最後はフラフラと、迷路の
中に倒れこんで行ったのではないでしょうか。
 私は、都会に飲み込まれていく、人の影をみたように思いました。

●弁護ありがとう。小説とはいろんな読み方がありますね。しかしひとりでも理解してくれる人がいることは嬉しいことですね。
                          

●2003.01.19sun.Oさん

 
 『ドールハウス』拝読しました。最後 の一行がいいですねえ。余韻があって。                     誰から呼ばれているのか判然としないことは、重要だと思います。

 しかしながら私にとりましては、今一つ「洋平」の生活というのが判然としませ
ん。「どうせ何かをしていないと気がすまない性格」と「運転手」ということが結び
つかないといってもいいでしょう。これには説明があってもいいと思います。つま
り、運転手というのは、他者から自己管理を強く求められる職業ですから、自分の時
間に関しては、曖昧なものではなく既に趣味の領域(自宅で、一人でできる)という
のもが、精神衛生上のバランスにも必要なこととなるでしょう。「どうせ何か」では
なくて、運転手として働いているときから「あること」を趣味としてやっていない
と、定年を過ぎてから新しく何かをやるというのは、無理が有ると思うのです。働い
ていたときの、その時代の「趣味の延長」以外に、「新しい趣味」を求めるというこ
とは、現実問題として、なかなか困難なことということです。
 また、「1週間に2回くらい掃除や洗濯に娘が来る」というのも、不自然さを感じま
す。下心に、ここを売って今のマンションより広いところに移れる根拠を作りたい、
つまり、金が欲しいので下心を見せないようにしてはいるが、「一緒に住もう」と誘
っていることとの絡みも、もう少し示唆してもいいのではないかと思います。洋平
は、掃除や洗濯などは、あまり苦になるタイプではないことことになりますよ、「ど
うせ何かをしていないと気がすまない性格」としてしまうならば。(俺の場合は、掃
除・洗濯なんかより多分一人分の食事の方が、苦になるかも知れない。いや、それも
あんまり苦にならないかも知れない。何でも食ってしまうほうだし、作り置きしてレ
ンジでチンでも構わないと思っているくらいだから。「やりたいことをしていない
と、気がすまない性格」かな)
 このプロットからは、少なくとも「日曜大工」を現役時代から「趣味」としていた
ということを明確に出さないと、リアリティが少ないと思います。つまり、「客間を
アトリエにする」ということも、ただ5.5ミリのベニヤを買ってきて敷くではなく、
畳の下地の上にベニヤの下地を作って、それでしっかりとした床を作る、そういう
「道具の使い慣れ」ということがないと、とてもドールハウス博物館を自分で作ると
いう発想になれないのではないでしょうか。
 また、「お地蔵さんを納めるほこらを縮尺通り正式な小屋組みを造った」というこ
とも、道具の使い慣れということが無ければ不可能です。
「どうせ何かをしていないと気がすまない性格」くらいの背景では、洋平の行動の根
拠が乏しく思えるのです。
 「ここで生まれ育った」中で、「家」に対する愛着の一つに、親から受け継いだ
「家屋」の補修やら加工ということを、「日曜大工」ということでいろいろとしてい
るということがあれば、愛着の根拠を補強することにも成ります。娘からハーブの栽
培を頼まれるにしても、それを日当たり良くおく棚を日曜大工で作るということもあ
っていいいと思います。それはまた、娘の要請に積極的に応える父親像ということに
もなりましょう。その方がかえって娘の「憎まれ口」も御愛嬌になるというものでは
ないでしょうか。
 「どうせ何かをしていないと気がすまない性格」という言葉では、「洋平」がドー
ルハウスに突っ込んでいく必然性の根拠にはならないと思うのでして、そこに主人公
としての弱さを感じます。周囲の人たちが立ち去っていく中で、洋平がしがみつくよ
うに買収に応じようとしない強さの根源に、単に「親から受け継いで、子どもに譲る
財産としての家」ではなく、自分も素人なりに、この家に手をかけてきたという自負
というものも必要ではないでしょうか。

 そういう自負があればこそ、最後の一行での「誰かが洋平を呼んでいる」というこ
とが、もっと生きてくるのではないかと思うのです。
 まあ、回りをもっと見てください。定年過ぎから初めてのものに取り組んでそれを
趣味にするという人は、先ず無いですよ。「何をやっていいのか分からん」のが大部
分ではないでしょうか。俺達も今年還暦でしょ。ま、定年と同じようなもんだけど、
周囲の同年代の人を「調査」してみてはどうでしょうか。ま、2〜3年先輩方で。現
役時代の趣味と定年後の趣味とどう変わったか。あるいは現役時代に趣味といえるよ
うなある程度の自己投資と経験をつんできたものがあるのかないのか。そういう人た
ちが実際に定年後にどんな領域で趣味を生き甲斐に近いほどにしているのか。
 何か、その辺の「調査不足」を感じます。おれの場合は、手のかかる「ハーブの栽
培」なんか、誰に頼まれてもしないな。他にやりたいことややっていることが有るか
ら。でも、「ハーブ栽培用の棚」なら作るよ。また「辛口」になりましたが、ディテ            ールの問題より、「洋平の生活」みたいものが希薄なんですねえ、私から見ますと。          「地上げ屋」に丸め込まれるような性格にし か見えないのです。で、全体的には何            か構造上の矛盾が感じられるのです。ではでは。御精進あれかし。

 ●ご批評ありがとう。散々だねぇ。しかし、ホームページで公開しているので、反論や弁解は控えます。またよろしくね。

●2003.01.13mon.Ieさん
もちろん、毎月このページは拝見しています。メールの仕方を教わったので
初めて送信してみました。
すてきな、俳句でしたね。私は最近、文章ばかりで俳句も短歌も詩も、浮かんで
きません。
草花の写真も自分が本当に見ているようで、心がなごみます。そばの小さなお話しも
楽しいですね。
●俳句は我流なのできっと俳諧の人が見たら、笑ってしまうのではないでしょうか。しかし、まあいいか、とやってます。引き続きこのホームページをご覧いただければ、嬉しいです。

●2003.01.09thu.Ytさん

須磨離宮公園案内記の中の岡崎邸跡地の記述で、若木荘の位置が、「現在の東門を入って左手」とあるのは右手では?
車庫、派出所の位置も右左逆と思いますが。

 ●若木荘の位置は「現在の東門を入って左手」というのは、正しいのですが、ページでは「現在の東門を入って右手」となっていましたし、左右逆はご指摘の通りです。ご指摘に感謝するとともにお詫びして訂正します。

●2003.01.06mon.Ytさん

賀状のURLを見て、ホームページ花四季彩を楽しませていただいています。                                    
離宮公園の園地配置をベルサイユのそれと比べて書いておられるのが面白かったです。私もベルサイユの庭園を、かなり詳しく見て歩きましたので。ベルサイユと聞き、そこの市役所前花時計の写真をいただいたことも思い起こしました。

旧岡崎邸の遺物が地震で壊れたこともこのホームページで始めて知り得ました。
請願巡査派出所のあったことなど忘れかけていました。

離宮の行事の中で「帰ってきたタコ」を見ていないのを残念に思いました。
離宮でのイベントで、アーバンリゾートフェアの年の「初夏の夜の夢」が忘れられません。

 ●ホームページを見ていただきありがとうございます。ベルサイユの今も持っていますが、またいずれ行ってみたいと思っています。去年かその前か暴風雨で多大な被害を受けたと聞きましたので、その復旧の様子など見たいですね。あの広い苑内を7班の職人グループが競争で管理しているとか、それも面白いなあ、と思っています。

●2002.12.1sun.Tsさん

ホームページの紅葉すてきですね。
身近に自然があっていいですね。いくらそこにあっても、自分から心を開かないと、その美しさにも気づかず通り過ぎてしまうものなのかもしれませんが・・・。
センダンのお話もおもしろかったです。

 ●久しぶりで感想ありがとう。紅葉、今年はたくさんの写真を撮りました。少しずつ公開していきたい、と思っています。

●2002.10.23wed.Nさん

すてきなホームページで、感激しました。
行ってみたいですね。森林公園とか、ハーブ園。
北野町に友達がいるので、野元さんのホームページ、教えてあげます。
きっと、大喜びだと思います。(*^_^*) 

 ●お友達にPRありがとうございます。是非よろしくお願いします。これから森林植物園は紅葉の季節です。まず、ハナノキが紅葉します。それにこのホームページのtoppageのようにコマユミやハゼはすでに紅葉が始まっています。「ひとり来て思い出拾う紅葉狩り 正」なんて淋しい句を詠む季節です。またときどきこのページへおいでくださるのを待っています。

●2002.10.22tue.Tsさん

 くずきりは私も大好きです。
口に含んだ時のあの頼りない感じと喉ごしの滑らかさが癖になりますね。
くずの花は見たことがないのですが、是非一度見てみたいです。
美味しいイメージと重なり合うと、きっとまた違った顔を見せてくれることでしょう。

先日、久しぶりに上野でロセッティやモローの絵を観てきました。戻ってきても、分厚いカタログを飽きずに眺めています。物語性があって、なかなかおもしろいです。

 ●くずきりがしきりに食べたくなってしまいました。くずの花、画面が小さくて見えないようですね。画面をよく見ていただければ、紅紫色の花が咲いています。

今、宮本輝さんの『花の降る午後』を読む文学散歩のカルチャー講義の準備をしています。この作品はスペインのマドリードにあるプラド美術館のボッシュ作『愉楽の園』が全体のサブモチーフになっています。絵画って面白いです。そしてこの小説は「しあわせとは何か?」私たちに問いかけています。私も何か絵画から発想されるイメージをモチーフに書いてみたいですね。

●2002.9.25wed.Tsさん

 ホームページみました。
せんにんそうってあんなに可憐でかわいいのに、触れるとかぶれてしまうなんて。
保身というか、正当防衛よ、きっと・・・。
これから、ハーブ園はどんな色の花で染まるのかしら。
また、教えてくださいね。
今、雨が降っています。きのうも夕方激しい通り雨がありました。季節はどんどん変わっていくのね。
このまえ、映画「チョコレート」を観にいきました。なかなか歯ごたえのある映画だったよ。あんなに男のひとに大事にされたらいいなあ。では、また。

 ●せんにんそうって本当にいいんです。清楚で……。でも、近づくかぶれさすのが正当防衛かなあ? まずはさり気なくかわしてほしいのですね。ハーブ園はこれから『セージ』が盛りです。このホームページの(布引ハーブ園)に写真を載せています。もう見てくれたよね。今年はあの六甲山が先人たちの努力ではげ山から植林して、今のような緑の山になって100年目なんです。それで『六甲山緑化100周年』を記念して私たち市民も何かこれからの100年を考えなければ、と思っています。

私も映画は大好きです。このところ多忙で観に行ってないですが……。このホームページも映画に出てくるなんて出来ないかな、なんて思っています。なんかいい映画が観たら教えてください。では今日はこの辺で!

●2002.9.23mon. Kさん

 ホームページ、楽しいです。心が和みます。小説は新しくなったのですね。「幻の池」に入っている作品でしょうか?本を取り寄せようとしたのですが、もう書店にないとのことで、諦めていましたが。「氷の箱」楽しみに読ませていただきますね。
それでは、今日はこの辺で・・・・。

 ●久しぶりですね。お元気ですか。いつもご愛読ありがとうございます。『幻の池』は発行部数が少なかったので、無くなりましたが、このページで連載していく予定です。ぜひ呼んでいただければ、と思います。いいページにしたいから、改良したほうがいいところなど、どんなことでもいいですから、感想や意見をお寄せくださいね。エッセイ論でもいいですよ。お待ちしています。

●2002.8.25sun. Tsさん

 ホームページ初めて拝読しました。あらためてすごいなと感心しました。野草のフォトエッセイはなんだかしんみりとしてしまいました。野元さんならではの味わいですね。ぜひ続けてくださいね。

 ●インターネット開設後、早速ご訪問いただきありがとうございます。さらに充実したホームページを作成していきたいと思っています。

●2002.8.22thu. Kさん 

 2日ほど涼しくて秋を感じますが、また暑さが戻ってくるかもしれませんね。
 つゆくさも枯れてしまい、えのころぐさが、大人の背丈ほど伸びています。この間か
ら気になっていた草、わかりました。やぶがらしでした。ひとつ、勉強させていただ
きました。m(__)m
 今、虫の音がとても賑やかです。季節の時計は正直ですね。

 ●メールありがとうございます。
 ブドウ科のやぶからし、参考になってよかったです。
 野草シリーズも次でいよいよ10野草目になります。

 009スベリヒユから少し社会的視点に立ったエッセイにしょうと努力しています。
しばらくしたら、カットももう少し面白いものにする予定です。
 お楽しみに! 機会があったら、邯鄲の声を一度聞いてみてください。       

●2002.8.11sun. Yさん                    

 この前ホームページで、飼い猫の写真を見ました。
 以前私が飼ってた猫と同じ色ですが、目つきに凄みがあって、ちょっとゴンタそうな猫相ですね。耳にキズがあるところをみると、町内の暴れん坊侍・・・じゃなくって、ボス猫かも。
 うちに居たのは捨て猫でしたが、小動物用の哺乳瓶でミルクを与え排泄の世話をし、蝶よ花よと育てたせいか、お目めパッチリの内気な箱入娘猫でした。  
 ドアの外へそっとおし出しても、怯えて部屋の中に入ってしまうんです。
 物心つかないうちから人間に育てられてるから、私を母親と思っていたかも・・・(^:^)
(猫に物心があるかどうかは、疑問ですが?)
 拾ったのは18年前ですが、今も友人の家で元気に走りまわっているそうです。

 ●メールありがとうございました。ところで、うちのミーですが、雌猫なんです。私の写真がうまくなかったせいか、彼女の写真写りが悪いせいか、男の子のように取れてしまったようです。娘が中学のとき、自分の小遣いで避妊手術も受けさせた経緯もあってか、娘に一番懐いています。
 でも、かわいいよ。現物は……。それにしても耳に傷があるなんて、すごい観察ですねえ〜。またこのページの感想を聞かせてくださいね。

●2002.7.28sun.  Kさん

 へクソ葛はこの辺りでは見かけません。さねかずらを一度みてみたいのですが、どのあたりに咲いているのでしょうか? 露草はお買物へいく道で、いつも眺めています。元気にさいています。鮮やかな青紫色が目にしみます。でも枯れてしまった姿はとても悲しい・・・・

 ●メールありがとう! 嬉しく思います。
 サネカズラは野草でなく、野山に生息するモクレンの仲間であるつる性の常緑低木です。
 町では生け垣などに使われていることがありますが、あまり見かけませんね。
 秋に赤い実をつけます。またこのページの感想をお寄せくださいね。
 お元気で!

●2002.7.1mon. Tさん
見てるよ。ひとつ注文在ります。プロヒールの自画像の写真、やめません? イメージを崩しますから……。
●言い訳ですが、私もできれば、したくなかったので削除します。              
 「そんなら、初めからすんなや」と陰の声。 

●2002.6.29sat. Kさん                   

こんにちわ。
久しぶりに家でゆっくりしている土曜日の午後です。紅茶をいただきながら、パソコ
ンにむかっています。
ホームページ、拝見するのが楽しみです。どくだみは家の裏庭にたくさん、咲いていました。日陰でひっそりと咲いているのですが、葉の独特の匂いのせいか、自己主張の強い花という印象があります。スケッチ、素敵です。
近頃、外を歩いているとき、草花によく目がとまります。残念なことに、私は何の花
かわからないことが多いのです。名前を知っていたらもっと楽しいのにと思います。こういうことに興味をもつようになったのは、きっと花の好きなエッセーのお仲間との出会いがあったからでしょうね。

 ●メールありがとう! しばらく野草シリーズを続けるつもりです。楽しいページになるようにし たいと思っています。