青い海と空、波の音と鳥の声 ・大三島より No.3



2004年10月20日
                                                             
台風通になりました!


 温暖な瀬戸内の島にも、いくつもの台風がやってきて、私達も、8月末以来、休む間もなく大変な日々を過ごすことになりました。憧れの田舎暮らしでは、台風や海の潮のことを、楽しい作物作りや魚釣りの為だけなく、身の安全を守る為に、一生懸命学習することになりました。自然とともに生きる百姓は、頭も身体も一杯使わなければ暮らしていけないようです。学生時代、地学はさっぱりだったけれど、今なら、台風のこと、潮の満ち引きのことなんでも答えらそうです。
 
 台風16号襲来!高波や吹き返しの怖さを知らない都会者夫婦が、高波による床下浸水という思いもかけない恐怖を体験させられました。なにしろ、家の中にドンドン潮水が押し寄せてくるまで、消防団の人が『堀内さーん!逃げてください』と駆けつけてくださるまで、『台風はもう終わった』と気がつかなかったのですから。消防団や役場の人達が、高波と暴風雨の中深夜まで,潮水をポンプ車で汲み上げてくださったお陰で,危機一髪で床上浸水は免れました。村の人々の親切と畳の上で寝れる幸せをしみじみ感じた夜でした。
  
 80歳を過ぎた島の数人のお年寄りが、「こんなひどい台風は私がこの島に住んで2回目じゃ。あんたらは、もう一生遭わん」と慰めてくださったのですが・・・すぐに続けて台風18号!台風21号! 台風23号と!
 
 台風16号以来、万が一の浸水に備えて、家の中の床にあるものは、統べて畳より50センチ上げての生活です。冷蔵庫まで上げたので,踏み台を作ってもらって上段の物を取っています。16号台風で潮水に漬かったものの後始末と比べると、多少の不便は我慢です。潮水に漬かると、電気製品はまるで駄目!洗濯機、風呂釜、農機具、大工道具など、一瞬で錆び付いてしまったのですから。台風の度に家財道具を上げたりおろしたり・・・・台風が次から次に来るので、降ろす間もない落ち着かない日々でした。

サイドボードも足をつけて
 
 
 
たんすの引き出しは全部上に 
 
洗濯機も上に載せて
 
木工機械も足を
 
冷蔵庫も台付き

げた箱も脚付
 
 家の前の野菜畑、ミニハーブ畑、果樹類も全滅しました。16号では、生きるかもと望みをかけていた苗木も、18号で駄目押し,日に日に茶色く枯れていく様を見ていると、やる気や希望が失われていくようで悲しくなりました。
一番大切にしていた、裏の蜜柑畑も木がほとんど、枯れてしまいました。少し離れた蜜柑畑は、大丈夫で一安心。
 
 台風前
 
台風後の野菜畑
   
枯れそうなみかんの木
 16号の教訓から、堤防の階段に土嚢を積んでもらったり、何しろ堤防と道路の間に隙間が開いてしまう位強い衝撃の高波だったのです。18号の時、見ていていると、電柱の高さまで高波がきて驚きました!
 
台風18号の電柱までの高波
 
16号の教訓から土嚢を積む
 
 18号で崩れた土嚢
 
亀裂のできた堤防と道路の間
 
潮かぶりで茶色くなった我家周辺
 
 台風が来ても、高波がきても、大丈夫&安心な七曜工房へむけて奮闘中!
 
 
海からのゴミを拾い石灰を撒いて耕し直し 
 
潮に強く生き残ったうばめがし 
 
野菜苗の芽が出始めた。
 
バーベキューコーナーも整地して
  
平成3年の19号台風で全滅した蜜柑園に,デコポンの苗木を植えて十数年大切に育て、今ようやく実をつけ、収入源になったと喜んでいた70歳近いみかん農家の人が、再び苗木を買って活動し始めています。
 「早く,石灰を撒いて土を中和させて、秋野菜植えんかい」『とりあえず、植えてみろ』と、白菜、小松菜といろいろ苗をかき集めて持ってきてくれます。近所のお百姓さんは、早速次の日から、作物の修復ヘの活動開始です。いろいろな人から、勇気つけられ、励まされ、助けられたお陰で、もう一度初めから、高波で打ち上げられた流木やゴミを掃除し、流された石を拾い集め、初めから耕し直して、今ようやくいろいろな芽が育ち始めました。
 
 潮に強い果樹や防風林は何を植えようか?ハーブ畑は海から一番遠い場所にと、台風に負けない畑つくりに向けて計画の練り直しです。そして、土盛りした海から遠い、潮を被らない場所に家を早く建てようと・・・・台風が来ても安心して住んでいられるように・・・主人の建てる家で、果たして安心できるかどうかも少し心配ですが・・・家の設計に、より一層励む夜が連日続いています。
  
 そんな折、朝日新聞に大きく、みかんクラフトの紹介記事が掲載(9月3日付愛媛版朝刊)されるという、嬉しいこともありました。その後、その掲載記事を見て、朝日テレビの『人生の楽園』からも取材依頼、こちらは「今は台風にあって人生の楽園ではないよ」「家と工房を建て、楽園になったらお知らせします」とお断りしました。 でも、NHK「伊予路てくてく」や[おはよう日本列島]では、台風被害にあったみかん畑やみかんの木クラフトを紹介して、見た人が勇気つけられる番組にしたいという趣旨ということなので、出演させてもらうことにしていました。
 
  台風に遭って、いろいろあって、本当の田舎生活がこれから始まるのかもしれません。今までは、組に入らない気楽な生活をと望んでいたのですが。台風の被害で、村の組組織の消防団に助けられ、高波に効果的なテトラポットの設置を役場に頼んでくださったり、組の有難さも知って・・・・。又、お隣の東京より転居して来た30歳の息子さんが、行方不明になられ、その捜索にも参加して、助け合って生活している現実をより一層感じました。海や山の捜索に、炊き出しに。もちろん海上保安庁や、役場、警察も出るのですが。組の人が船を出し、1週間も毎日交代で主になって捜索するのです。残念なことに息子さんは海で溺死体となって発見されるという悲しい結果になったのですが。都会では、想像できない助け合いが、やっぱり村にはあるのです。面倒なこともあるかもしれなしけれど、有難いこと、嬉しいことも一杯ありそうな、組組織のようです。
 
 台風と一緒に、一度にいろいろなことがやってきた9月でした。役場の人からは、『堀内さんが、台風を連れて来たんじゃないか』と冗談を言われています。これから、いよいよみかんの収穫です。みかんも、沢山の台風に遭ったけれど、精一杯実をつけ、これから色付いて、おいしくなろうとしているようです。最後の肥料を撒かなければ。
 
 9月末、母が亡くなりました。台風の合間、みかんの収穫で忙しくなる前に。しばらく滋賀に帰っていたら、村の人が、「奥さんは台風が怖くて、逃げてしまったのかと思った」と心配してくれていたそうです。一時は、お隣の息子さんの溺死もあり、波の音や満潮が怖く、海を見るのも嫌になっていたのですが。今は、青い空のもと青い綺麗な海を見るとやはり島暮らしは気持ちがいいものです。主人も魚釣りにしばらくは行く気にもならなかったようですが、近所の人から『昨日、あそこで、よく釣れたで』と釣り情報をもらうと、行きたくなり、いっぱい釣れて楽しそうでした。
 
 田舎生活は、食べて生きる為に作物を育てるなか、自然の怖さ、厳しさを知り、だからこそ収穫の喜びも、楽しさもより一層で、充実した暮しになるのでしょう。今春敷地を埋め尽くしたカモミールのこぼれ種が、潮で流されて畑中のあちこちに芽を出しています。友人よりプレゼントされた水仙を、家の周りに植え付けました。「そんな海岸近くに植えたら、がっかりするで」という主人の忠告も聞かずに。潮に漬かったタマスダレは、今花が咲いています。流されたワケギも、隅っこで芽を出して育っています。来春には、きっと水仙とカモ-ミールが咲き乱れ、野菜や春の花で一杯の七曜工房になっているでしょう。島のお百姓さんも逞しくて驚くけれど、植物の逞しさも凄いものです。「雑草はちゃんと生えてきよるなあー」と、丹精こめたみかん畑が全滅したお百姓さんがニコニコと声を掛けて、みかん畑へ行かれます。
 
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