|
明日香村飛鳥で、掘削時期が7世紀中頃までさかのぼる、幅10メートルの運河跡が発掘された。日本書紀には、斉明天皇(在位655〜661年)が、大規模な土木工事として「狂心の渠(たぶれごころのみぞ)を造ったと記述されており、今回の発掘は、その渠の一部分である可能性が高い。 発掘された遺構は、南北に延びる溝で、東西両岸が明確になっている。護岸改修が2回実施されているほか、沿岸に立てられた塀の跡と見られる柱穴も見つかっている。溝の最大幅は10メートル、深さ1.3メートル。物資運搬用に掘られた運河と見られている。発掘された土器などから、掘削時期が7世紀ごろまでさかのぼることが分かっており、斉明天皇の時代とも一致する。 溝の上流は、酒船石遺跡の東側までのびていると見られ、護岸改修で使われた石の中には、溝の上流部の丘にある酒船石遺跡の石垣に使われた砂岩も見つかっている。 日本書紀の斉明2年の記事には、「水工(みずたくみ)をして渠(みぞ)穿(ほ)らしむ。香山(香久山)の西より、石上山に至る。舟200隻をもって、石上山の石を積みて、流れのままにひき、宮の東の山に石を累(かさ)ねて垣とす」とあり、香久山の西側から3万人を動員して水路を掘らせ、7万人を動員して現在の天理市の石上(いそのかみ)付近と考えられる石上山から、舟で石を運ばせたことから「狂心の渠」と非難される記述がある。宮とは当時の後飛鳥岡本宮、東の山は酒船石遺跡の石垣遺構に当たると考えられている。 参考 : 1999.11.19付 奈良新聞 |
戻る |