百済大寺か? 一辺30mの基壇跡確認





 巨大な飛鳥時代の金堂跡が昨年見つかり、639年に天皇が初めて造営した寺院「百済大寺」ではないかと注目されている桜井市吉備の吉備池廃寺で、一辺30mに及ぶ塔の基壇跡が確認された。塔は100m近い高さだったと推定され、日本の仏塔では文献から史上最高とされる東大寺にあった東塔、西塔(いずれも101m)に並ぶ。この規模から、日本書紀に記された百済大寺の「九重塔」の可能性が高く、吉備池廃寺は百済大寺であるとの見方がさらに強まった。
 遺構が見つかったのは、金堂跡の西側。高さ2.1mで、土を突き固める版築という方法で造られており、中心部に東西6m、南北8mの巨大な穴があった。この穴が中心柱を支えた礎石を抜き取った跡とみて、この遺構を塔の基壇跡と判断したようだ。
 日本書紀によると、百済大寺は、舒明天皇の発願で639年に造営が始まり、九重塔などが建てられたとされている。これまで所在地論争が続いていたが、昨年2月に東西36.2m、南北27m以上という飛鳥時代最大の金堂跡が見つかり、同廃寺を百済大寺とする見方が強まっていた。今回の発見でこの見方がさらに強まったといえる。(参考:毎日新聞)




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