鴨都波1号墳から未盗掘の遺構 発見!
| 鴨都波(かもつば)1号墳の概要 所在地 御所市三室20番地 墳 丘 南北19m、東西14mの方墳で、埴輪、葺石はありません。 隍(からぼり) 幅4mの隍が巡ります。北東のコーナーには渡り土手を積み上げており、墓道に通じています。な お、隍が芦原状態になって埋没する過程で、北東のコーナー付近を中心に、隍の外側から、布留式と呼ばれる古墳時代前期の土器が大量に投棄されています。 主体部 粘土槨と呼ばれるもので、棺を粘土で覆います。 棺(ひつぎ) 長さ4.3mの刳抜式の木棺で、被葬者は頭を北にして仰向けに寝た状態で埋葬されています。棺身[棺身]幅外形4.3m、深さ外形8p、材の厚み2p程度、[棺蓋]幅外形53p、高さ外形25p、材の厚み4p程度 副葬品 出土の位置と状態ごとに、それぞれ原則として北から順に記します。 【棺外】《墓壙西側》方形板革綴短甲の下に入れ込んで漆塗り靫、南側ではその靫の下に波文帯二神龍虎画像(棺外鏡1)と波文帯三神三獣鏡(棺外鏡2)、次いで波文帯二神四獣鏡(棺外鏡3)の3面の三角縁神獣鏡をいずれも鏡背(文様面)を上にして並べてあります。棺内の被葬者との位置関係でいえば短甲は概ね胴の位置にあり、鏡3面は腰から足先にほぼ相当するものとみられます。また、槍2本の本体と漆塗り葬具は墓壙の南西端近くにあり、漆塗りの柄は短甲の上まで伸びています。 《墓壙東側》鉄刀4本以上の南に、鉄鏃10本程度と漆塗りの矢柄を漆塗り靫に収めています。さらに南には漆塗り盾らしきものがあります。 《墓壙南小口》鉄剣4本、板状鉄斧1、袋状鉄斧2、 5程度が刳抜式の合子状の入れ物に収めてあります。 《被覆粘土》東側南端近くに大形の碧玉製紡錘車形石製品が埋められていました。 【棺内】 人体の頭部は棺の北小口から90pほどの位置にあり、歯の遺存状態良好。顔面の位置の赤色顔料はとりわけ鮮やかです。北小口と頭部の間の中央に三角縁吾有好同三神三獣鏡を鏡背(文様面)を上にして置き、これを挟んで東に漆塗りの杖状木製品(長さ約25p、指揮棒?)西に碧玉製紡錘車形石製品をおいています。頭の左右には、頸飾りを分け置き(硬玉製勾玉・碧玉製管玉・ガラス小玉)、右腰付近には漆塗り装具を伴う鉄剣(?)があります。 まとめ 古墳時代前期中葉(4世紀中葉)とみられます。一辺20mほどの方墳にもかかわらず、豊富な副葬品を有することに注目されます。この程度の規模の前期古墳で、棺の内外合わせて4面もの三角縁神獣鏡を副葬する例はほかには見当たりません。また、前期の小形古墳で短甲を副葬する例は大和に限定されますので、これらは古墳時代前期における、他地域に対する大和の卓越性を示すものと考えられます。 一方で本墳の三角縁神獣鏡には特殊な意匠を持つものが多く、大形碧玉製紡錘車形石製品と呼んだものも他に例をみません。棺構造も異例に属し、こうした特殊性と鏡の特徴的な配列は、弥生時代以来、鴨都波遺跡周辺を中心とする南葛城に本拠を置いた、伝統勢力の性格の一端を示すものとみられます。 また、靫や槍・剣の装具などの漆塗り製品、および被葬者の歯や棺材の遺存状態の良好さも注目され、今後の整理作業や鑑定により、貴重な知見が得られるものと期待されます。 調査中につき、内容については変更・修正の場合があります。 調査に当たっては網干善教先生、橿原考古学研究所の指導、協力を得ました。 現地説明会 2000.6.10〜11 御所市教育委員会編「鴨都波遺跡第15次調査現地説明会資料・鴨都波1号墳」より ![]() 鴨都波1号墳 北西方向を望む ![]() 遺構の全景 北東方向を望む 後方の大きな建物は「済生会御所病院」 この病院の増築工事で遺構を発見 ![]() 鴨都波1号墳主体部 ![]() 硬玉製勾玉 碧玉製管玉 ガラス小玉 ![]() 被葬者の顔の位置の赤色顔料 上記の玉類も見える ![]() 出土品「波文帯二神龍虎画像鏡」 |
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