ホケノ山古墳から「石囲い木槨」発見!

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1.はじめに
 三輪山の麓に存在する墳丘長約280mの箸墓古墳は、最古の巨大前方後円墳として広く知られています。箸墓古墳の周辺にはホケノ山古墳のほか、纏向石塚、矢塚、勝山、東田大塚など、箸墓古墳と同時期、あるいはそれに先行すると考えられる前方後円墳があり、また一帯には纏向遺跡がひろがっています。この地域が、大和政権の誕生と深いかかわりをもつことは、疑いありません。
 ホケノ山古墳は、桜井市大字箸中に所在します。これまでの3次にわたる墳丘や周濠の調査によって、箸墓古墳よりも古い時期のものである可能性が指摘されていました。昨年9月から、より具体的に古墳の実体を明らかにするための発掘調査を進めてきましたが、その主要な成果をここにご紹介いたします。
2.墳丘
 全長約80m、後円部径約60m、後円部高約8.5m、前方部長約20m、前方部高約3.5mの、前方部を南東に向けてつくられた前方後円墳です。墳丘の表面には葺石を設け、周囲には周濠を巡らしています。前方部裾付近では、葺石を一部破壊して設けられた埋葬施設が検出されています。
3.中心主体部
 古墳の主人を葬った中心主体部は、後円部中央に設けられた「石囲い木槨」です。「石囲い木槨」はわが国で初めて確認された特殊な構造の埋葬施設で、木材でつくった「木槨」の周囲に、河原石を積み上げて「石囲い」をつくるという、二重構造をもっています。「石囲い」の上部は木材で天井とし、その上に大規模な積石を行います。「石囲い」部分は、内法で長さ約7m、幅約2.7mで、高さは現状で約1.1m、本来の高さは1.5m程度と考えられます。「石囲い木槨」の内部には、長さ約5mのコウヤマキ製の長大な刳抜式木棺をおさめていました。この古墳の主人の遺骸は、木の棺、木の部屋、石の部屋によって幾重にも厳重に包み込まれていたのです。埋葬施設の上部には石を積んだ長方形の壇があったと推定され、このまわりにはさまざまな文様で飾った二重口縁壺を、ほぼ一定の間隔で長方形に並べていました。
4.出土遺物 
 現在までに、中国製の画文帯神獣鏡1面のほか、内行花文鏡・半肉彫表現の鏡の破片若干、素環頭大刀1口を含む鉄製刀剣類10口前後、銅鏃60本以上、鉄鏃60本以上、鉄製農工具など、数多くの副葬品が出土しています。また、棺内には多量の水銀朱がみられます。
5.横穴式石室
 中心主体部西側に、6世紀末頃の横穴式石室が墳丘を再利用してつくられています。石室全長14m以上で、玄室に組合式家形石棺を安置しています。若干の土器、鉄釘などが出土しました。
6.まとめ
 出土した二重口縁壺は土器の編年上、庄内式と呼ばれるものです。画文帯神獣鏡は後漢末の製作とみられます。埋葬施設に使用された石材には、箸墓古墳をはじめ、周辺の前期古墳に普遍的に使用されている二上山周辺産の板石がまだ含まれていません。木槨を採用した特殊な埋葬施設の構造など総合して考えると、この古墳の築造年代は箸墓古墳よりさらに古く、3世紀中葉と判断されます。内容的には、定型的な古墳時代前期の前方後円墳とまったく共通する点、あるいはつながっていく点が多い反面、弥生時代の大型墳墓に類例が求められる要素もみられることが注目されます。ホケノ山古墳は、同時期の他のどの地域の墳丘よりも大きな墳丘、大規模で複雑な構造の埋葬施設をもち、副葬品も質・量ともに豊富です。今回の調査で得られた成果は、古墳時代の開始にかかわるさまざまな問題を考える上で、きわめて重要な意味を持つものといえるでしょう。
         現地説明会 2000.4.8〜9
         大和古墳群調査委員会編 現地説明会資料「ホケノ山古墳(第4次調査)」より


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 石囲い木槨のあった場所














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 横穴式石室
 (後の時代につくられた)













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 箸墓古墳
 (卑弥呼の墓と言われている?)







 ホケノ山古墳のすぐ西に位置する





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 中央が箸墓古墳
 矢印のところにホケノ山古墳がある







 南西から北東を望む
 (現地説明会資料から)




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 ホケノ山古墳を西から望む(写真中央)








 右の手前は箸墓古墳の後円部
 後ろの山は三輪山




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 出土品「画文帯神獣鏡」













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