2000年
8月14日
8月15日
8月16日
by Papa
奥穂高岳
上高地から遠望する奥穂高岳
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標高3190m
日本第三にして北アルプスの最高峰、
この山には特別な思い出が父親の私にはある。
あの頃の感動を子供たちにもと、17年ぶりに目指した昨年は涸沢で断念。
今年こそは…
8月14日涸沢へ
 
 上高地はいつもの喧騒、
でも、去年と打って変って抜けるような青空。河童橋から奥穂がバッチリ見える。
足どりは快調のはずが…、娘の顔色がさえない。どうやら沢渡からの路線バスに酔ったらしい。
不安を抱えながらの出発である。様子を見ながら明神までは空荷で娘を歩かせる。
早めの休憩と給水を心がけながら、なんとか横尾まで到着、なんのかんの言いながら、標準タイム通りの所要時間。
さすがに山登り一家の血統か?

 横尾からようやく山登りらしい道になる。
本谷までは全員快調である。天気はピーカン、風はさわやか。だが…
Sガレを過ぎ涸沢ヒュッテが見えてきたくらいから、「足が上がらない!」親父の面目丸つぶれ、ばててしまった。
「お父さんはのことはいいからお前ら先に行け!お父さんは景色を楽しむから」と強がり。
遅れる事30分ようやく涸沢ヒュッテについた頃には、受け付けも済ませ子供たちはテラスでヒュッテ名物のおでんを食べている。
「この親不孝者、ビールも頼んでおいてくれ!」

8月15日奥穂往復
 
 本日も快晴。朝陽をあびて穂高連峰は輝いている。パノラマコースはすでに人が歩いているのが見える。我が家も早めに朝食を済まして奥穂を目指して出発!
今年の涸沢は残雪も多く、シナノキンバイも今が最盛期を迎えている。「天気は最高!お花は満開」
 花や雪渓、そして穂高連峰の風景を楽しみながら、いよいよザイテングラードの登り開始。ヒュッテがどんどん小さくなり、前穂や涸沢槍がだんだんと目線に近づいてくる。
ザイテングラードからの穂高の大パノラマを楽しみながら、子供たちはすれ違う登山者のみなさんに「頑張ってね」とか「えらいえらい」と冷やかされながら、それでも嬉しそうに歩いている。

途中からは大阪からいらしたという女性5人のパーティとご一緒させていただいて、のんびりと穂高山荘のテラスにつく。山荘で昼食のラーメンを食べ、1時間ほどで奥穂高岳3190mのピークに着く。

湧き出したガスで展望はきかない。しかし子供たちにとっては初の3000m峰の頂上、私にとっては18年ぶりの奥穂の頂上。「山はいい、穂高はほんとにいい」
頂上を後に涸沢までザイテングラードの下りである。
大人にはたいした事無い下りでも、子供たちにはかなりの段差になる事もある。

ところがザイテンの下りで、「グキッ」と膝をひねってしまったのはまたしても親父である。なんとかかんとか涸沢小屋まで下りきるが、痛みは増すばかりである。またしても親父の面目丸つぶれである。なんとか歩ける、涸沢ヒュッテはもうそこだ。不思議な事に平坦な道ではなんともない。

 ヒュッテに着き熱さまシートでひざをアイシングしテーピングである。「あぁ情けない」
 しかし意外なところで意外なものが役に立つものである。
膝は少々痛むが、涸沢ヒュッテで「涸沢氷河ワイン」で祝杯をあげる。
8月16日 下山
本日も快晴、穂高がまぶしい。
まずは本谷までの下り、案の定膝が痛むが充分歩ける。とりあえずは本谷橋まで膝のご機嫌を伺いながらのんびり歩く。

この調子で横尾まで、屏風岩を登るクライマーを眺めながら、なんとか横尾に到着、予定よりも一時間遅れ。
横尾から上高地までは俗に言うアルプスハイウェイ、ほぼフラットな林道歩き、もう膝を気にする事もない。
徳沢までも快調に歩ける、この調子で上高地までのはずだった。しかし
明神手前でついに膝が力尽きてしまった。右膝がほとんど曲がらない
上高地まではあと一時間、明神小屋でもう一度アイシング、おそるおそる屈伸運動を試みるが痛い、しかし歩くしかあるまい。

かつては、ちんたら歩く観光客をビュンビュン抜いて行った上高地への道、その道を観光客に追いぬかれている自分がいる。精魂尽き果てて、どうにか上高地に到着。ここで最後の昼食。そしてビール!
河童橋から穂高を振りかえる。涙が止まらない。

「苦しんだ分だけ感動は大きい!、流した涙の数だけ幸せになれる。」
これはどうやら本当のようだ。
涸沢のシナノキンバイ