Project Y 2004
白馬岳
白馬に登るのは15年振り3回目
大雪渓から登り鑓温泉へ下る今回のルートは白馬岳のメインストリート
1983年は単独行、1989年は二人での登山
3回目の白馬岳は家族でのアタック
年月が流れ、自分を取り巻く状況が変わっても
白馬はいまでもHAKUBAではなくShiroumaだった。
多忙を極める2004年
でも、いつもの夏と同じように
北アルプスは大きく、空はどこまでも青かった!
8/10.猿倉へ
8/11.猿倉→大雪渓
8/11.大雪渓→お花畑→白馬山荘
8/12.白馬岳→杓子→鑓→鑓温泉
8/13.鑓温泉→猿倉
2004年、夏。やっぱり今年も北アルプスに向おうとしている。
毎日は多忙を極め、気持ち的には少々疲れ気味のオヤジではあるが、山へ向う熱い気持ちだけは萎えることなく、
今年もやっぱり家族で山に向っている。いつまで家族そろって山に登れるかはわからない!
でも、今こうして我が家は家族で山に向おうとしている。今のこの現実に感謝して、夜の高速をすっ飛ばそう!
しかし、名神高速道路は一宮付近で10キロの渋滞、(しまった、東名阪経由で中央道に行くべきだったのか!)
豊科ICから白馬へ、コンビニで明日の朝食とビールを仕入れ、猿倉に到着!
午前0時30分、白馬八方の気温は16度、寒い。
午後1時自宅から5時間30分かけて猿倉駐車場に到着!
星空が見事だ!
8/11.猿倉〜白馬尻〜大雪渓〜お花畑〜白馬岳山頂
8/10.猿倉へ
午前5時、白馬岳はモルゲンロートに輝いている!
天気は120%快晴!すばらしい1日になりそうだ。
身支度を整えて、まずは猿倉荘で、登山届けを提出し、
山の状況を教えてもらう。
「大雪渓は秋道に変わってます、
雪の上を歩くのは例年よりも短く、
途中からガレ場を登ることになります。
小雪渓は今年は消滅しました」
ふむふむ、大雪渓は今年は短いんだ、
小雪渓のトラバースもないんだ。
大雪渓が短く、途中からガレ場に変わることが
どういうことを意味するのか!
猛暑の影響で小さくなった大雪渓がどのように影響するのか
気合十分のオヤジにはこのとき気づく由もなく、
抜けるような青空と、悠然とそびえる峰に
心躍らせるのみであった。
「今年も山にいる!」
さぁ、靴紐を結びなおして出発だ!

売店で買った記念品兼用のアイゼンをザックに入れ、猿倉を出発する。
いよいよ、ProjectY2004、白馬岳への山登りが始まった!
大雪渓末端の白馬尻までは緩やかな林道歩きが続く、木立越しに白馬三山が見え隠れする。
「ぎょえー!あんな上まで上がるのかよ!」
標高差1700m、昔は血が騒いだ標高差の数字が今は大きなプレッシャーとなってくる。
単身乗り込んだ1980年代の山登りは出来ないんだ。
でも、今は子供たちとの会話を楽しみながら山に登れるんだ。のんびりと、ゆっくりと…
のんびり歩くこと1時間、白馬尻に到着。
白馬尻から大雪渓の取り付きまで、今年はしばらく歩かねばならない。
夏道ではなく秋道を歩いてゆく。
ようやく、大雪渓の取り付きに到着!
アイゼンを装着し、いよいよ大雪渓だ!
ザクッザクッと一歩一歩刻むようにゆっくりと登ってゆく、
雪渓を渡る風は涼しく、気持ちいい!
これ以上ない好天、青い空と雪の坂道。
吹き抜ける風は涼しい、
「楽しいか!」
「うん」
下界は記録的な猛暑。
でも、俺らは雪の上を歩いている。
「物より、思い出!」なのである。
傾斜の強弱はあるものの、大雪渓の登りはけっこう急登である。
たぶん、雪の上で涼しいことと、自分の歩幅で歩けることなどで快適に歩けているんだろう。
これが、ガレ場だったら、間違いなくオヤジはバテまくりだろう。
ザクッザクッと快調に歩いてゆく。
2時間弱で大雪渓を踏破する。
快調だ!
しかし、この後訪れる事態にまだ気づいていないオヤジと息子なのであった。
秋道の大雪渓は、最上部手前で大きく右にそれ、ガレ場の急登へと変貌する。
葱平の遥か下でガレ場にチェンジだ。大雪渓を越えてからが勝負どころの白馬への登り。
今回は早くも勝負どころである。雪渓の涼しい風はどこへやら、
ひたすらガレ場の急登が続く。
「ダメだ!足が上がらない。」
ここで初めて気づいた
「大雪渓が短い分ガレ場の急登が長くなる」
すなわち
「今年もばててしまう!」
予想通り葱平ですでにバテバテの醜態である。
しかし、子供たちはパワー全開だ、ぐんぐんと高度を稼いでゆく。
NEWザックを背負った息子は絶好調そのものである。
「そろそろ昼飯にしようよ!」という願いも子供たちには届かず、
昼食のラーメンを背負った娘は遥か上を歩いている。
ラーメン用の2リットルの水と馬鹿でかいコッフェルを背負ったオヤジだけが、
高山植物を眺めるふりをしてじっくりじっくりと上がってゆく。
ハクサンフーローにヨツバシオガマ、ミヤマキンバイ、
盛りは過ぎているものの見事な花の競演が続く。
急なのぼりではある、しかし楽しい登りでもある。
ようやく追いついた息子に声をかける。
「NEWザックでがんばったね!飯にしよう!」
「うん、ちょっと頭が痛いけどがんばったよ!」
午前11時お花畑避難小屋到着。
ようやく昼飯だ!今年も出遅れたオヤジであった。
家族4人で食べるラーメン、塩味が美味しい!
杓子の稜線が鮮やかである。
しかし、すでに起こっている息子の異変に気づいていない家族であった。
非難小屋から稜線上の村営宿舎まではお花畑の中の急登だ。咲き乱れる高山植物の中を稜線を目指して一気に上ってゆく。
一気に上がってゆく子供たち、出遅れるオヤジ。毎年恒例の風景である。
1983年の単独行の時はバテバテの登山者をぶっちぎって上がっていった山男が今ではこの有様である。
♪そんなぁ時代もあったねといつか話せる日が来るわ〜なのである。
あの頃は恋人もなく、たった一人で山に通っていた。
でも、今は一人じゃない。へろへろだけど、ひとりじゃない。
見上げていた白馬鑓の稜線がどんどんと近づき、村営宿舎の建つ稜線に着く。
大雪渓の方向からヘリが飛んでくる。このヘリは荷揚げでも取材のヘリでもない。
「長野県警察」
救助のヘリである。
村営宿舎上空で二人の人をヘリに乗せてゆく。負傷者を収容したようである。
救助された人と我が家の無事を祈らずにはいられなかった。
この救助の詳細を白馬山荘の予想もしなかったところで聞くことになるとはまだ気がついていなかった。
「おとうさん、頭痛いよう!」
「もう少しで頂上だ!頑張れ」
緩やかな稜線を登ってゆくとようやく白馬山荘である。
宿泊届けを済ませ、部屋に案内してもらう。
8月11日、平日、例年のような大混雑もない。6畳に家族4人。ゆったりである。
乾杯用の飲み物を仕入れ、頂上に向う。
2936mの山頂からは360度大パノラマが広がっている。
ほんとに自分の小ささを痛感するのみである。
しかし、自分の足で登ってきたことに少しだけ胸を晴れる瞬間でもある。
この感激は、登ったものにしか分からぬ思いである。
♪ファイト!闘う君の歌を、闘わないやつらが笑うだろう。
♪ファイト!冷たい水の中を、震えながら上ってゆけ!ファイト!

山頂での大パノラマを思い切り楽しみ、稜線をのんびりと降りてゆく。
Toshiの異変がやってきた。「頭痛い」といいながら、吐いてしまった。
3000mの嘔吐だ!などといってる場合ではない。
ゆっくりとなだめながら山荘の夏山診療所で診てもらう。
「典型的な高山病ですね」
「とりあえず、酸素を吸って肩をマッサージしましょう!」

元気のなかったToshiが見事に元気になってゆく。
酸素のパワー恐るべしである。医学の力、侮るべからずである!
「すぐには寝ないで、話をしながら、呼吸数を落とさないようにしてください、それから、ザックは肩で背負うんじゃなくて、腰で上げる感じで背負ってください。」
村営宿舎のヘリも高山病から脱水症状をおこした小学生を搬送するヘリだったそうだ。
元気を取り戻した子供たちは、Drコトーの言いつけ通り、すぐには寝ないで、小屋のあちこちを散歩したり、話をしまくっている。
いつもオヤジがばてている夏山のことや将来のことや、友達に買って帰るお土産のこと。
ほんとにいろんな話をした。
社会の時間ではなく地球の時間で時間がゆっくりと流れてゆく。
ゆっくりと流れる時間がいろんなことを運んでくれる。
だから、山はいい。ほんとにいい。
雲海の彼方に剣が勇ましい!
「来年はあそこへ登ろう!」
「高山病小僧が生意気言うんじゃないよ!あの山は大人になってからの宿題にしておこうよ!」
ゆっくりと、時間が過ぎてゆく!こんどこそ乾杯!
うーっ!ビールが美味いぜ!