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「おはようございます」

 あたかも魔界への入口とも言うべきドアを開ける。今日も陰気な空気が漂ってくる。

「……おはよう」

 気だるそうに挨拶を返す係長。無言のままパソコンの画面から目を離さない所長。

 私の職場の毎朝の光景だ。大阪営業所内は終日、覇気のない雰囲気に包まれている。

 五年前に初代所長が定年で去るまではこうではなかった。かなり口うるさく強引なリーダーではあったものの、最後まで責任を持つ人物であった。二代目所長に代が移り、その事無かれ主義に則し徐々に業績が低下。ここ一、二年は営業所への電話や来客がめっきり減っていた。現在では、東京本社におんぶに抱っこで辛うじて営業所の体を維持している。正に“給料の貰えるネットカフェ”状態だ。

 誰でも楽がいいものだ。しかし、二代目は次の世代にどのようにバトンタッチをするのだろうか。常に上に追従をしなければならない一兵卒サラリーマンとしてはいささか不安なものだ。

 十五年も昔になるだろうか。自分の若い頃を思い出す。本業はフリーター、目指すは自営業社長。あれやこれやと企画し、無謀にも挑戦し続け、意気がっていた頃だ。



「雑貨に興味があるのだったら、正月用のしめ飾りを扱ってみたらどうだい」

 その頃、農業のアルバイトとして手伝いに行っていた私は、辻本さんから思わぬ声を掛けられた。農家の辻本さんは冬の閑散期、暇を持て余して、しめ飾りなどの縁起物を作って売っているという。

 かと思えば、農作業の休憩時間には「近未来通信ネットワーク」について熱く語り出す。なかなかのマルチぶりを発揮する人柄に、私は何かしら憧れにも似た感情を抱いていた。

「そうですねえ……

 電話兼ファックスに毛の生えたようなものを「次世代型近未来通信」と呼び、その普及の片棒を担がされるのは流石にマルチ講めいたものを感じたため乗らなかったものの、しめ飾りには勝機めいたものを感じていた。それもそう、辻本さんの自宅の離れにある作業場では、彼の老齢のお父さん、お母さんが懸命に藁を綯って手作りする様子を見ていたからだ。丹念に手作りされた品質のよいものに間違いなかった。

 煮え切らない私に辻本さんは背中を押す。

「君も商売人を目指しているのだろう。百貨店のバイヤーも買付けに来るいい商品だよ。俺はこの片手間仕事だけでも三百万円くらいは儲かるかなぁ」

 この言葉を聞いて、私は二つ返事で扱わせてもらうことにした。

 その年の瀬、辻本さんから連絡を受けた私は早速約束の商品を受け取りに行った。明細を確認すると、

 卓上門松 @800×50個 小計四万円

 迎春しめ飾り @900×50個 小計四万五千円

 招き猫付きミニ門松 @600×70個 小計四万二千円

 招福ホルダー @400×100個 小計四万円

 総計 十六万七千円也。

 大きな段ボールに山積みされた商品を目の前にすると俄然やる気が出る。この金額に自分の利益を乗せて、一個につき1.5倍の値段で売る算段だ。これを手始めに一国一城の主、自営業かと思いを巡らせていた。



 翌日、パソコンで自作したパンフレットとリュックに詰めるだけ詰め込んだ商品を背負い意気揚々と出発。先ずは大阪ミナミ随一の繁華街 心斎橋筋商店街に向かった。南北約五百メートルにおよぶ巨大な商店街。年末バーゲンセールと相まって歩くのもひと苦労の人混みだ。

 片っ端から飛び込み営業をかけてみる。

「突然の訪問で申し訳ありませんが、お正月用にこのような商品を扱ってみませんか」

 私はバッグから取り出した商品を片手に力説した。

 ――いや、今忙しいのでごめんなさい。

 ――担当者が外出していますから。

 ――後で検討してみるから、パンフレットでもあれば置いていって。

 二十軒は回ったであろうか、けんもほろろの仕打ちを受けた。

 次の日。気を取り直して再度出発。こんな事もあろうかと次の一手は考えてある。商品は縁起物だ。神社を訪問してみることにする。

 奈良県南部の大きな規模の社。

 社務所で声をかけてみると、「こちらでお待ち下さい」と奥の和室に通された。何処の誰だか解らぬ輩に丁重な対応で恐縮だ。静寂な空間にお茶が出され、暫くして襖が開いた。

「初めまして、禰宜の原田です」

 白衣に袴を整然と着こなした男性は、縦書の名刺を差し出した。私も気後れしながらスピード名刺で挨拶を交わす。

「私共とご商売を希望するのでしたら、卸組合の許可が必要です。私が組合員様の賛同なく勝手に判断することは出来ません」

 組合。自己権益を守ろうとする者が集まり新参者を排除しようとする組織。返ってきた答えは、またも気を萎えさせるものであった。

 時間も車のガソリンも注ぎ込んでいる以上、このままでは帰れない。言いようもない虚無感に苛まれながら帰路に着いていると、沿道のスーパーが賑わっている。

 そうか、年末だ。何処のスーパーでもしめ飾りくらいは売っているものだ……。近畿地区に展開している中堅チェーン店を覗いてみることにした。

 店内は年末特有の浮かれた活気を呈している。案の定、しめ縄がワゴンに山積みされ売られている。気忙しく働くエプロン姿のパートさんを捕まえ聞いてみる。

「お正月用商品を扱う者ですが、店長さんをお願いしたいのですが」

 アポなしで怪訝な顔をされるも、何とか事務所まで案内してもらう。パートさんはドアをノックし「お客さんです」と取り次ぎ、そそくさと店内に戻って行った。

 でっぷりとした体型の男性店長の机の上には書類が散乱している。電話応対を終えたばかりの店長は、椅子に腰を掛けたままこちらを一瞥して問うた。

「どういったご用件でしょう?」

「店長さんのお店でお正月用のしめ飾りを扱っていただきたいと思い」と切り出したところ、「聞いてないよ、聞いてないよ」と連呼し、取り付く間を与えない。

 どうやら本部からの通達無しに、一切の裁量は認められていないらしい。末端の現場で働く者の悲哀を感じさせながらも、私の目的は全く話にもならなかった。

 六畳一間の自宅アパートに戻ると、商品の入った段ボールが所狭しと積み上げられたままだ。ここまで困難を極めるとは予想外であった。だが、不貞腐れてばかりもいられない。正月迄はあと半月を切っている。行きつけの銭湯に浸かりながらじっくり考えてみる。

 ――少しでもキズを浅くするのであれば、小売店を回っている時間はない。自らで売り捌く他ないのではないか。

 翌日。近所のスーパーから不要になった段ボールケースをいただき組み立ててみる。五個ほど重ね合わせ、上から大風呂敷で覆うと立派なシステムデスクになる。

 私の“即興商店”は街外れの歩道脇で開店した。少し気掛かりなのは、ショバ代を要求する管理者は来ないか? ということだった。冷や汗をかきながら、パイプ椅子に腰を下ろすこと数時間。

 人っ子ひとり寄り付かない。

 それも当たり前だ。張り詰める心境で冷静に考える事が出来なかったが、魚がいない場所にいくら釣糸を垂れても成果はない。ある程度、路上販売の雰囲気に慣れた私は、駅前の商店街通りに場所を移してみることにした。

「テナント募集」の張り紙が貼られたシャッターの閉まっている雑居ビル前に陣取り、再び開店する。思ったとおり人通りは多く、道行く人それぞれの視線を感じる。そして、商品に興味をそそられた人は歩み寄って来る。

「どうぞ、手に取ってみて下さい」

 私はサンプルとして商品を一つ袋から出してみせた。

「ありがとう」

 最初は訝しげな表情を浮かべていたお客も少し態度を和らげる。

「農家の方が一つ一つ丹精込めて作ったいいものです」

 中核都市のこの賑わっている場所では冷やかしも多いものの、それ相応に売れる。スーパーや商店、銀行などへ所用がある人を狙った小判鮫商法だ。万のお金が動いている訳ではないが、ちょっとした手応えを感じる。

 通り過ぎ行く、次の客になることを願う通行人を下から目線で観察する。

 先ず、商材を広げている私に殆どの人が気付く。目は口ほどに……の言葉通り、興味をそそられた人はふらっと歩み寄って来る。商材の品定めをするものの、それ以上の興味が湧かなければ商品を手に取ることもなければ話し掛けてくることもしない。

 売る方も体力、気力が必要だ。招く客の全てに口上を述べていてはエネルギーが持たない。ある程度の見極めが必要だ。冷やかしなのか買ってくれるのかは、数秒の対面で判断する洞察力が必要だ。

 さて、昼から夕方まで粘ること三日間。そろそろ此処も潮時のようだ。見たような顔も何人か通り過ぎて行く。

「これは何?」

 歳三十を超えたような娘とその母親らしき人物が現れた。

「お正月用の飾りものです」私はいつものように変わらぬ返答すると、

「私たちが聞いているのは、そんなことじゃないのよ。ここで断りも無く、勝手に売っているのかということなのよ」

 酷い剣幕で詰め寄って来る。もちろん、許可などは取っているはずもない。しかし、どう見ても彼女たちはショバ代を要求する輩には見えない。私は呆気に取られていると、矢継ぎ早に続けた。

「あなた、こんな通行の多い所で。少しは人の迷惑を考えたことがあるの」

 人の往来を邪魔するような場所ではないはずだ。さらに厳密に言えば、役所の許可と雑居ビルのオーナーに断りを入れていないだけである。

「このビルの管理者の方ですか」

 私は逆に、彼女たちの目的が何であるのか尋ねてみた。

「そんなこと関係ないわよ、バカ」

 捨て台詞を吐き、そそくさと立ち去って行く。

 何であったのだろうか。のちで言うクレーマーの先駆であったのだろうか。

 商品はまだまだ売れ残っている。こんな出来事も売場を移動してみろという暗示なのかも知れない――

 さらに売れる場所を求めて無い知恵を絞ってみた。



 街の至る所でクリスマスソングが流れている。楽しそうにカフェで語らう恋人たち、両手に荷物一杯のショッピングをする家族連れ。その日暮らしの自分の身上からは、まるで別世界のお祭り騒ぎだ。

 数日間のアルバイトで日銭を稼ぎ、気を取り直して別の場所でアタックを開始する。

 奈良県随一の繁華街、三条通り商店街。JR奈良駅を起点に東西五百メートルに渡り土産物店、スーパー、飲食店が軒を連ねる。商店を抜けた先には、初詣の大規模参拝神社として名高い春日大社がある。

 場所の確保は極めてスムーズにいった。既にフリーマーケットのような露天を広げている先輩の末端に我が店を開店することにした。

 開店して間もなく買い物帰りの主婦層を皮切りに売れるも、あまり芳しくない。この上ない人通りなのにどうしてだろうと思案していると、一人の男性が近づいて来た。

「うーん。なかなかしっかりした良い製品のようですね」

「ありがとうございます。お解りなのですか」

「ええ。私も商売をしているので」

 よくよく見るとこの男性、お客の雰囲気ではない。人間の線の太さを感じさせる。そして、彼は続けた。

「でも、商品の陳列は出し惜しみをしたらダメです。手持ちを全部、テーブルに広げるくらいでないと。『目立ってなんぼ』なのです」

 そう言い残すと、何事もなかったように立ち去って行った。

 ――なるほど。商品を小出しに、売れれば箱から出し補充、その繰り返し。お客からは貧相に見えたに違いない。派手に並べて買い手に選択権を持たすべきだったのだ。

 アドバイスを実行してからは、お客の寄り付きが格段に違った。同じ商品でも微妙に形状が違ったり色合いの変化があったり、売り手の私も気付かなかった事も判明した。お客のニーズに合致するのか否かが最も大切な事だったのだ。

 二日目。昨日同様、昼前から店を開けていると、何処からともなく女性が現れた。

「いつから此処で店を広げているのですか」

「昨日からですが

 ビジネススーツを纏った女性は、ショルダーバッグから何やら帳簿のようなものを取り出しチェックをし始めた。そして、私の登録がないことを確認すると、

「私はこの地区の管理会社の者です。この場所での出店は、一日に三千円お支払い頂きます」

 普通のOL風にしか見えない女性だ。しかし、私には彼女の言っている意味が理解出来なかった。それは、公道であり私有地ではなかったためだ。

「そのような話は関知しておりません」

 暫く押し問答が続いたものの、結局、女性は諦めて帰って行った。

 時おり冬の木枯らしが冷たく感じるが、雲ひとつない青空で爽快だ。日光浴気分でうとうとしていると、黒光りした国産高級車がいきなり目の前に停止した。

「許可は受けたのですか? 無許可販売はご遠慮願いたいのですが」

 開いたドアからは言葉尻は丁寧だが、サングラスに恰幅のいい男性が肩をいからせながら降りてきた。

「申し訳ありません」

 私は遂に来てしまったかと、財布から数枚出す準備をした。だが、お隣さん数組も同じように店を広げているのに、自分だけにやって来るのも合点がいかない。緊張で口もからからになりながらも思い切って聞いてみた。

「我々の会社は行政から委託された管理会社です。公道でも自由に使ってよい場所とそうでない場所があり、私達は使ってよい場所の使用料徴収を含め管理を任されています。隣の皆さんも既に支払っておられますよ」

 先般のスーツの女性から、不埒な輩が勝手に商売をしているという連絡を受け飛んで来たのだという。男性から差し出された領収書には確かに言葉通り、○○公認という行政機関の名が入っている。

 ――なるほど、世の中上手く成り立っているものだ。立派な私警察になっている。

 私は妙に感心してしまった。

 日が暮れるまであと数時間。

 場所代の元くらいは取り返そうと声を張り上げ、ディスカウントも試みる。だが、いくら値引きしても、お客からしてみれば要らないものは要らない。逆に、売る気で満々になると「押し売りされる感」が伝わり、一向に売れなくなる。

 日もどっぷり暮れた午後七時、採算も取れないまま赤字で店を畳んだ。どこでどのように苦労しても、一日三千円を手にするのがやっとだ。明日、同じように出店しても売り上げ増が見込まれる訳でもない。さらに赤字を計上してしまうだろう。これではアルバイトに精を出している方がマシだ。

 精魂は尽き果てた。

 後日、私の夢の商材は、二束三文でリサイクルショップの店頭に並ぶに至った。



 ――外線二番、電話、お取り下さい。

 社内。女性事務員の呼びかけで私は我に返った。

 思い起こせば、世の中の仕組みを知る良い社会勉強にはなった。そう言えば隣で終日パソコンを叩いて遊んでいる係長も、出勤しても缶コーヒーを飲んで煙草を吹かすだけの所長も、役員の目の届く範囲では忙しいコマネズミのように常に回ってみせている。

 末端の私は、そのしわ寄せで右往左往する毎日だ。新入社員の頃は先輩社員からよく教えられたものだ。「立場の弱い者に仕事を投げろ。鎖で繋がれた可愛い飼い犬となり、限りあるエサをぶんだくれ」と。そう見ると、彼らのパフォーマンスは立派な仕事になっている。

 一介のサラリーマンとなった私は業務上、過去に夢見た一国一城の主である自営業主とも接することがままある。こちらは鬼気迫る勢いを感じさせる。

 理不尽に対する逞しさ、矛盾に対する順応性人間社会を渡り歩くのは様々な能力が要求される。さあ自分はこれから、サラリーマンとしてのサバイバル生活を潜り抜けていかなければならない。これも天から与えられた修業の一つだ。

 明日も会社のドアを開けると負のオーラに刺されるのは間違いない。だが、朱に交わり赤くなってはならない。どこかに必ず転がっているチャンスを活かせるよう頭と身体を常に鍛えておこう。自ら諦めた時の限界が見えて来ないように。


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